北京に到着した日は,どんよりとした曇り空だったが,汗がにじみ出るような蒸し暑さだった。
巨大な建物,道,ほこりっぽい空気の中を,浅黒い顔をした人々が動いている。
想像はしていたものの,それでもやはり圧倒されるしかなかった。
圧倒されて,すぐにでも押しつぶされそうな思いでもあった。
日本で,不要な肌と肌の接触をできるだけ避けるために,無意識に確保されている,
見えない自分の領域のようなものが,ここには存在しないのだ。人々は列をつくらず,
トイレも開けっ放しで,よけることもなく,熱をもった体で,容赦なくぶつかってくる。
そして,笑いかけることもなく,明らかにぴかぴかの服を着た私に,
ぶしつけとも言える視線を投げかけてくる。その日の夜に乗ったバスの中でも,
ほこりっぽい熱のこもった空気が充満していて,今自分がいるのは,現在の,
いまの中国であるということが,頭ではわかっていても,
それを受け止める自信がまったくないくらい,うんざりしてしまっていた。
それが不思議なもので,三日も経てば,ウソのようにからだも心も慣れていく。
拍子抜けするほどだった。秩序がないと嘆いていたことも,
これがここの秩序だと思えば納得がいく。いつもほこりっぽい空気と,
熱のある人々の生活が,この街なのだ。清潔で,手入れの行き届いた,
でも良くも悪くも無味無臭のような日本にはないものが,この街には存在しているのだ。
一ヶ月間,この圧倒的な熱気,人々の生命力は,常に感じることができた。
学校の課外授業で,洛陽に旅行へ行った帰り,寝台車の隣が,
一つの中国人家族だった。なんとなく目が合ううちに会話が始まり,
自分がほとんど話せず,聞き取れないことも承知で,それでも筆談や,
少し英語の話せる十五歳の息子に頼りながら,必死だった。私が理解できなければ,
三人がそろって簡単な文に言い換え,漢字を書き,英語に訳し,お互いが,
とにかくなんとか伝わるように努力を重ねた。彼らが一生懸命になってくれるほど,
自分の伝えたい言葉が,きちんと変換できないことに苛立ちを覚え,
吐き気がするほどだった。そんなことは今までで初めてで,言葉の力,壁というものを,
改めて思い知った気がした。日本にいる時,必死になって相手に伝えようとすることは少ない。
不自由なく言葉を駆使し,おなじ国に育ったという点で,
微妙なニュアンスというものも通じる。それが今回は違う。伝えたいこと,知りたいこと,
百分の一もできない。一生懸命コミュニケーションをとろうとすること,
なんとか伝えようと試行錯誤すること,それはとても素晴らしく,楽しいことだ。
しかし,お互いが思っていること,考えていることの細部は,
言葉の力なしに伝え合うことはできない。そのことを痛感し,
それでもその時はどうしようもないことが,本当にもどかしく,悲しかった。
最後に,もらって一緒に皮ごとかじった桃の味は,今でも忘れられないくらい,
おいしいものだった。
一ヶ月の間,バスの路線図を片手に,よく歩き,様々なところへ出かけた。
そして,たくさんの人とすれ違う中で,この国の貧富の差というものも痛感した。
近代的な建物が次々と立ち並ぶ横に存在する,今にも壊れそうな家屋。
世界の流行の最先端を流すテレビチャンネルと,抗日戦争のことだけ流し続けるチャンネル。
観光地にいる,でっぷり太った真っ白な子供と,街中で見る,裸同然の子供。
新しいものと古いもの,今のものと昔のもの,富裕層と貧富層,すべてが混在している。
今の中国の体制の,ひずみのあらわれだろうか。あまりにも広大なこの国では,
仕方のない現象なのだろうか。
今,日本の書店に行けば,中国に関する書籍が大量に並べられている。その政治体制や,
外交に関するもの,肯定的なものも,真っ向から批判するものも,
とにかくたくさんのものがある。仕組み,現状を理解するためには,
そういったものを読むことは大事だろう。しかし,それを理解したというだけで,
本当にこの国について分かったと言えるのだろうか。新聞やニュースの,
ある一部分だけを切り取った報道を鵜呑みにして,何が分かるのだろうか。
私だって,長い長い歴史を持ったこの国に,たかだか一ヶ月いたくらいでは何も分からない。
人々の生活を,わずかながらも垣間見ることができただけだ。
それでも,机上では得ることのできないことが,たくさんあったことは間違いない。
夕方の公園の,人々が思い思いに過ごすゆったりとした時間は,
日本と何一つ変わらないと感じたし,学校のグラウンドでバスケットをする学生たちも,
みんないい顔をしていた。もちろん,彼らがみんないいひとたちで,中国はいい国だ,
と単純に結論づけるわけではない。不快な思いもたくさんしたし,
信じられないと思うことも多々あった。ただ,私が出会った中国の人々については,
みな素晴らしい人たちであったと言えるだけだ。
それでも,それが何より大事なのではないだろうか。
歴史や,他の国の事を学ぼうと思ったとき,すべては,
人と人との関わりあいから始まるものだと思うのだ。
このことは,実際に触れないと,感じることのできないことだと思う。
帰国してから,日本のことについて考えることが多くなった。
戦後を経て,いまは国民が世界でも最高水準の生活をおくり,
日本は行くところまで行ってしまったのだろう。人々が無味無臭に感じられるというのも,
そのせいだろう。しかし,その先には,一体何があるのだろうか。
いまは生命力と熱気にあふれた中国も,いずれは日本のようになるのだろうか。
この夏を北京で過ごし,吸収したこと,感じたこと,
すべて意味のあることだった。これからそれらを消化し,そして,
もどかしさを感じた言葉の壁を,少しづつ壊していけるようにしたい。
そうすれば,今よりもっと鮮明に,たくさんのことが見えてくると思う。
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