コラム

石原惠「中国に滞在して:2005年夏の一ヶ月」

 8月の一ヶ月間中国の北京に滞在し、中国人民大学で短期留学生として語学研修を受けた間に感じられたことについての報告。今回の滞在は一ヶ月と短く、特に後半二週間は留学生寮に移ったため、崇文門区で生活していた前半二週間に比べ、一般の人々からは離れてしまった。しかし前半と後半ではそれぞれ違った経験が得られ、結果的に中国人だけではなく多くの国の人と交流を深め、その見解に触れることができた。

アパート暮らし――北京生活の前半
 まず前半二週間については、崇文門区の安化楼というアパートのようなところに部屋を借りることができ、そこで生活していた。安化楼は古い建物で、近年高層マンション化の進む北京において、数年後には取り壊される。大きめな道を一本はさんで反対側はすでに新しい高層マンションが何十棟と完成している。近所に大型スーパーやコンビニエンスストア、レストラン、軽食屋などがそろっていて、非常に住みやすい環境である。
 中国の物価は日本人からみればかなり安価である。旅行として遊びに来るだけならそれほど高額な旅費もかからず、豪華な食事や観光も十分に楽しめるだろう。しかし短期といえどもそこで生活をするとなると、日本の感覚で物価を考えていたのではやっていけない。私たちは一般の人が一ヶ月にかかる生活費と同じ額に抑ようとした。毎日かかる費用は飲食代で、真夏で常に猛暑であることを考慮すると飲みものは必ず持ち歩きたい。しかしそのつど買っていたのでは経済的ではない。私達は毎日水道水を沸かしお茶をつくり、それを冷ましたものを持ち歩いた。食べるものも、朝と昼は学校で済ませていたが、夜はスーパーで買い物をし、家で簡単な調理をして食べるようにした。

バスでの通学
 通学に関してはバスを利用した。人民大学までは大体一時間ほどで、57路と300路の二つのバスを乗り継いで通っていた。授業は八時から始まるため、朝食をとる時間も考えて、六時半前にはバスに乗るようにした。北京の通勤通学ラッシュは七時過ぎから九時頃までで、その間の渋滞は激しい。私達の通学時間はラッシュより少し早めだったため渋滞に巻き込まれることはほとんどなかったが、それでもバスは満員になる。
 特に300路の混み具合は半端ではなく、私たちはしばしば乗ることを断念しなければならなかった。同じ300路を走る空調車は料金が少し高いので、そんなに混むことはなく、こちらを利用することが多かった。しかしどうしても時間がなく300路に無理やり乗ったときは、「票」を買うことも困難で、人の間でどうしようもなくもごもご動いていると、周りの人が買ってくれたりした。また自分が服務員に近い場合は代わりに買ったりもした。300路はいつでも混んでいる。授業は十一時半におわり、その後は特に課外活動がない限り自由なのですぐに家に帰るのだが、何時に帰ってもバスは満員であった。

タクシーの利用
 私たちの交通手段はバスか地下鉄が主で、タクシーは緊急時以外あまり利用しなかった。出発前に知り合いの中国人の方に、「中国のタクシーはとても安いですから、日本のバスのような感覚でどんどん使ってくださいね。」と言われたが、バスや地下鉄に慣れると、初乗り十元はちょっとしたことでは使いにくいと感じた。
 大体の目的地へはバスか地下鉄で辿り着けるのだが、北京の地下鉄はあまり発達しているとは言えず、庶民にとってやはりバスは一番の足となっている。そんなバスもしばしば壊れる。道の途中で突然動かなくなり、服務員が「坏了。」と言えばみんな冷静に後から来たバスに乗り換える。最初はこんなに簡単に壊れていいのかなどと思ったが、次第に日常的なことだと思うようになった。

語学力を学ぶ環境
 語学力の変化については、安化楼で生活中、周囲と意思疎通を図るためには中国語以外の主段はなく、必死に相手の言っていることを理解しようとし、また伝えようとしたため、授業で習ったことを実践的に使える場が多く、新しい知識がどんどん増えていったように思える。隣の家の方も、私達の話す拙い中国語を一生懸命に聞いてくれ、何とかわかるように話そうと奮闘してくれた。
 日本にいても中国語を勉強することはできるが、身の回りの全てを中国語に変えることは不可能である。ひとたび外に出れば、何をするにも中国語を話す必要があり、自分が話していないときも、聞こえてくる会話は全て中国語という状況は、言語習得においてもっとも手っ取り早い方法であると確信できた。このようにとてもいい環境が整っていたのだが、家を貸してくれた方の都合で留学生寮に移らなくてはならなくなり、わずか二週間あまりで終了してしまった。

留学生寮の暮らし―後半の北京生活
 留学生寮に移ってからの変化は、まずあまり早起きをしなくなったことである。安化楼のころは毎日五時半に起きていたが、通学時間が省かれたため、七時頃に起きても十分授業に間に合うようになった。次に、お茶をつくって持ち歩くのをやめたこと。そして何よりも大きな変化は、周りがほぼ日本人になったことである。今夏の短期留学には特に多く日本人が参加したようで、寮にいる時間は大体日本人と過ごすようなった。
 幸いクラスには日本人は少なく、他に韓国人、アメリカ人、フランス人などバランスがよく、休み時間も中国語を使って話すことができた。他にスウェーデン、フィンランド、スイスからの留学生と親しくしていた。彼らは今夏から中国語を始めたため、中国語で意思疎通できるのはほんのわずかな単語だけであった。それでも一緒にいることが多く、会話は必然的に英語になってしまう。
 私は英語から久しく離れていたため、なんとか話そうとしても単語すらなかなかでてこなかった。中国語と日本語だけで、なんとか会話を成り立たせようとお互いの辞書を駆使して、一言二言の会話のために三十分以上かかることもしばしばあり、時には最後まで通じないこともあった。数人で彼らと話しているとき私は常に聞き手にまわっていた。
 私は今まで英語の必要性を感じるような状況に直面したことがなく、また勉強してこなかったことを後悔することもなかった。しかし、どの言語についてもいえることだが、誰か特定の話したいと思う人が現れることで、今後勉強したいと思う気持ちは強くなるものである。
 中国人の友人も、少数ではあるが親しくしていた人があり、その人たちともっと話したいという気持ちが勉強意欲の向上に拍車をかけた。もしこの友人と、安化楼のような生活が同時に身の回りにあり、最低でも一ヶ月きちんと過ごすことが実行できていれば、今夏の留学はより理想的なものになったのではないだろうか。
 このように後半二週間は、中国語に対する意識よりも、英語に対してその必要性を痛感するという結果になった。

 今回の短期留学が語学能力の向上という面において十分納得のいくものであったかというと、多少疑問が残るが、その他のことに関しては、すべての経験が非常に意義深いものであり、今後の自分の方向を定めるうえでも参考になると思われる。

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