コラム

岡恵美子 「「アジアの未来」を聴講しての感想」

 日経新聞社主催の「アジアの未来」とは、アジアの財界・政界の首脳陣を招いて、アジアの経済共同体を実現するに向けて意見を交換する場として毎年開催されている国際交流会議です。(建前上は)民間機関が仲介しているとあって、各国で大きな影響力を持つ方々の忌憚のない意見を聞くことのできる貴重な経験でした。中でも国や立場によって主張の異なるスピーカーの方々の意見の中で唯一共通していた話が歴史学に関わる部分であったことが特に印象に残っています。

 そもそも東アジア共同体とは、主に東アジアの経済統合を目指したものです。市場レベルでの経済統合はすでにかなり進んでおり、この重なりあった経済を存分に生かすため、マーケットの統合を目指すのがその主たる目的です。しかし、ここで現実としての統合を推進するに伴い、政府レベルでの経済政策を検討するにあたっての障害が、じつは歴史問題なのです。

 北東アジアの3国(中国・韓国・日本)を東アジア共同体のリーダー格とするかどうかという点については、この共同体をEU(英・仏が主導的な役割を果たす、ある程度共通した価値観の下で歩みを揃える共同体)のようにしたいのか、あるいはまったく異なったものにしたいのか、それぞれの立場によって異なりますが、東アジア共同体を推進させるにあたって、北東アジア3国の関係が大きな障害の一つとなっていることは講演された方々の共通した認識でした。正直な所、今回の会議を聴講するまで、北東アジア3国の歴史認識問題がここまで他の国々をも巻き込むほどの大きな意味を持つ問題だとは思いもしませんでした。歴史の、とくにアジアの歴史学に携わる者として、純粋な学問としての歴史学ではなく、実学としての歴史、つまり政治に反映できる根拠としての歴史学の側面を見た思いがしました。

 いま、北東3国がそれぞれに譲れない一種の国益として、歴史問題は立ちはだかっているように思います。何かを譲る、ということはそれだけで外交カードの一枚とすべきなのかもしれませんが、このままでは一向に、何も解決しません。東アジア共同体を推進しようとする人々にとって必要なのは、共通の歴史認識であり、歴史学のすべきことは、感情論で歪められることのない冷静な史観を持つことなのではないでしょうか。

 とりわけ、スピーカーの一人であった駐日中華人民共和国特命全権大使の王毅氏が、「過去を終わらせるには中日間で基本的な認識の一致が必要だ。中日国交正常化の原点に戻り、どうすれば真に日本の国益になるか、どうすれば真に和解ができるかを賢明に判断してほしい。」と、実に冷静に国としての立場を訴えたことが私には新鮮でした。メディアを通じての中国の反日のイメージとはあまりにそぐわない言動のように思えたからです。

 経済協力の障害となるだけでなく、領土紛争、海洋権益の摩擦といった個々の問題の深刻化にも、歴史問題は影を落としているように思えます。マスメディアを通じて報じられる情報というものは、やはり人の心に訴えるようにコーティングされる部分があり、感情を煽りがちです。これはある意味仕方のないことでもあり、だからこそオピニオン・リーダーの冷静な判断が必要なのでしょう。

 今回の会議で痛切に感じた歴史学の役目、歴史学のすべきことは、その冷静なオピニオン・リーダーとしての一端を担うことであると私は思います。 (2006.7.4)

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