2017年5月20日(土)21日(日)の両日、明治大学駿河台校舎において「第三回日中雇用、労使関係シンポジウム──非正規時代の労働問題」が開催されました。日中双方の代表挨拶(日本側:石井知章・明治大学教授、中国側:楊河清・首都経済貿易大学教授)につづき、記念講演1(花見忠氏:上智大学名誉教授)、記念講演2(常凱氏:首都経済貿易大学教授)、そしてセッション1(非正規雇用と法規制)、セッション2(労使関係と団体労使争議の処理)、セッション3(非正規就業労働者の権利保護)、セッション4(労働市場の法規制)が挙行され、日本側から13人、中国側から9人の演者が講演し、成功裏にシンポジウムを終えることができました。
本シンポジウムで得られた成果は、来年3月を目処に論文集として出版・刊行する予定です。
以下、シンポジウムの発言要旨を掲載しますのでご参照ください。
〔本シンポジウムは日本学術振興会科学研究費基盤研究A(中国における習近平時代の労働社会──労働運動をめぐる法・政治・経済体制のゆくえ/研究代表者:石井知章・明治大学商学部教授)の助成を受けて実施されました〕
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中国における非正規就業は労働人口の3分の1を占める。こうしたなか、非正規労働に対する法規制は緩めるべきではなく、強化すべきである。現状では以下の三つの課題を解決する必要がある。①国際労働機関(ILO)の主張に呼応し、非正規労働の正規労働への転換を促進する。②伝統経済のなかで労働法規を厳守し、とくに「労働契約法」の実施を厳守する。③ネット経済における非正規就業に対する研究を強化し、法制化を図る。
セッション1 非正規雇用と法規制戦前から1950年代の「臨時工」は成人男性が中心で、本工と同じ仕事をしながら差別を受けていたため、社会問題の火種であった。これに対し、高度成長期以降の主婦パートや学生アルバイトは社会問題ではなくなった。1990年代以降、正社員として就職できなかった若者が不本意に非正規化したため再び社会問題化し、彼らが中年化するとともにその待遇改善が国政の重要課題となり、同一労働同一賃金が半世紀ぶりに議論されるに至った。
陶文忠(首都経済貿易大学労働経済学院副教授)一般的に中国における非正規就業は都市部にあり、自家雇用、小企業雇用などに存在する。また、類似する期間限定雇用、個別ジョブ型雇用、季節就労、兼職、パートタイムなどに多い。就業、収入の安定、労働時間、労働者の安全、社会保険への加入の有無、技能研修の有無などに解決すべき課題が存在する。労働法規で団交や社会的な身分保障など基本的な権益の保護を実施していく必要がある。
劉誠(上海師範大学法律・政治学院教授)反労働契約法的観点には多くの瑕疵がある。労働契約法は労働力市場の柔軟性を保護するためのものとする観点は荒唐無稽である。中国の労働力コストが高すぎるとする観点も根拠に欠けている。労働法が外国企業の中国離れを招いているという見方も不正確だ。高労働コストが中国にラテンアメリカの後塵を拝させるという言説は間違っている。新たな規制を選択し、管理を緩めるべきではない。ルーズベルト大統領の施政は唯一正しい政策選択だった。
範囲(首都経済貿易大学労働経済学院副教授)従属性は労使関係の核心であり、学術的にはそれを人格、経済、組織に対する従属の三つに分類し、なかでも人格の従属をもっとも重要な特徴とする。しかし科学技術の発展とそれに由来する管理手法の変更で、伝統的な労働関係の従属性理論は陳腐化した。中国におけるネット予約タクシー運転手の法的身分の位置づけに関する論争に、その例を見ることができる。ネット予約タクシー運転手とネット予約会社のあいだに労使関係は存在しないというのが学界の通説で、それは独立した請負契約者の労務関係に類似している。演者は、ネット予約タクシー運転手とネット予約会社の間には従属関係が見られ、そこには労使関係が存在すると考えている。故に、労使関係の従属性理論に検討を加え、労働法に対しても一定の見直しを行う必要があるだろう。
日本における労働組合員数は2016年には994万人、雇用者数に占める推定組織率は17.3%(厚生労働省調査)となっている。1953年には36.3%まであったが、80年代半ば以降組織率が低下してきた。その要因のひとつが非正規労働の増加であると言われている。2015年の非正規労働者数は1980万人(35.1%)、2011年から5年間で169万人(2.4%)増加している。とりわけ女性は正規労働者1087万人に対して、非正規率は1375万人と正規を大幅に上回っている。
こうした雇用形態の不安定化を背景にして、パートタイム労働者の組合組織率は2013年の6.6%から2016年には7.5%へと増加傾向を示している。これは労働組合の非正規労働者組織化への努力に一定の成果があったことを示している。
しかし、全体としては組織率の低下に歯止めはかかっておらず、日本の労働運動にとって非正規労働者をいかに組合へ組織していくかは、非正規労働者の雇用確保、処遇改善にとって重要であるばかりでなく、労働運動全体、とりわけ女性労働者の組織化にとっては、むしろもっとも喫緊の問題となっている。
中国では、頻発する労使紛争をいかに解決するかが課題となっている。本報告は、こうした課題に対応している中国の専門家との対話に資するため、日本の労使関係と紛争処理制度について紹介を行う。まず、法的枠組みや歴史と現状などの概要を説明したうえで、次に日本における集団的労働紛争解決システムを紹介し、最後にこうしたシステムの運用上の特徴を明らかにする。
戸谷義治(琉球大学法文学部准教授)現在、日本における非正規労働者の労働組合組織率は7%程度であって、低下の一途をたどる正規労働者(17%)よりも更に下回っている。また、従来からの企業別の組合は非正規の加入を許容しない例が多い。その中で、企業内の労組が非正規についてどのように使用者と交渉しうるか、そもそも非正規の組合員資格をどのように考えるか、また非正規を組織する地域ユニオンによる交渉の取り扱いについて日本における議論を紹介したい。
石井知章(明治大学商学部教授)お互いの政治社会をまるで鏡のように照らしだしているかのような日中間の相互依存関係については、これまでもさまざまな局面で指摘されてきた。それは労働の分野でも例外ではなく、たとえば、労働契約法は同じ時期(2007~2008年)に同じような背景、経緯、法理のもとで制定、施行されている。だが、仮に内的「制度」の側面がそうであるとしても、それを変える力を持ちうる外的「運動」の側面はどうなのか。本報告では、日中間における非正規労働雇用条件と、それにもとづいて繰り広げられている非正規労働者による労働(組合)運動の諸相をめぐり、両者の同一性と差異について比較する。
非正規労働者が次第に増加していく1980年代から2000年代に登場した「コミュニティ・ユニオン」は、地域にベースを置く合同労組(企業を超えた個人加盟労組)で、主流である企業別労働組合とは異なる構造と機能を持っている。コミュニティ・ユニオンが創り出した地域での労働相談を通じた非正規労働者の組織化モデルは、連合や全労連に強い影響を与え、いずれも地方組織に「ユニオン」を設置して、労働相談・組織化を推進するようになった。
馮喜良(首都経済貿易大学労働経済学院教授)インターネット技術の発達で同プラットホームにおける柔軟性のある雇用モデルが激増し、それにともなう社会問題も頻発している。こうしたなか、国際労働組織やEU加盟国などでは就労者の労働権益に関する保護を中長期計画に組み込んでいる。以下、柔軟雇用における労働者の権益保護に注目し、関連法規の整備、誰が保護を受け、誰が責任を負うのかなどについて行論する。
山下昇(九州大学法学部教授)メンタルヘルス疾患による労働能力の低下・喪失だけでなく、IT技術の急速な革新による労働力の陳腐化・IT技術への対応の不十分さなどから、成果のあがらない労働者に対する処遇が大きな課題となる。そして、経済のグローバル化を背景に、世界的に共通した課題であり、特に外資系企業での解雇が問題となっている。こうした低成果労働者に対する解雇について、比較的厳格な解雇規制立法を有する日本と中国の裁判例を比較検討する。
阿古智子(東京大学総合文化研究科准教授)戸籍による雇用差別は中国に特有であり、戸籍制度が始まった1958年から現在に至るまで、形を変えながら根強く存在している。戸籍は地方保護主義を加速しており、新卒者の就職率向上にしても、失業対策にしても、地元の戸籍を持つ人たちが優先される傾向が強い。外地戸籍保持者を雇う際のコストも、企業を足止めさせる原因になっている。戸籍をめぐる雇用差別の実態を把握し、戸籍制度下の労働者の権利について考える。
包工制は「包工頭」が企業から委託を受けて労働者を募集し、労働者の労務・生活に関する責任および管理を請負う雇用形態のことであり、戦前からその前近代性を指摘されながら形を変え現代まで存続している。その背景には、取引において「仲介」を重視する中国独特の歴史的制度がある。また、グローバル経済における労働の非正規化は日本を含め先進国にも共通の現象であり、「包工制」もその趨勢の中で命脈を保っている。
小玉潤(社会保険労務士法人J&Cマネジメントパートナー代表社員、特定社会保険労務士)過労死とは一般には,過労(過重な業務)によって,くも膜下出血や脳梗塞などの脳血管疾患,心筋梗塞などの心臓疾患を発症して,従業員が死亡することを指すものと考えられている。本報告では,日本におけるこれら過労死の問題点及び,我が国の法律上初めて過労死等の定義を定めた過労死等防止対策推進法,直接規制としての労働時間の上限設定及び間接規制としての割増賃金率を事業主に課す労働基準法などの法規制について紹介する。
呂学静(首都経済貿易大学労働経済学院教授)中国共産党第十八期五中全会の公報は「雇用活性化の強化、新形態雇用の支援」に言及し、初めて新雇用形態の概念を打ち出した。本講演は新雇用形態とそれに類似する形態の発展状況について考察し、新雇用形態が中国の現行社会保障制度に与えた新たな挑戦について分析する。あわせて現行の養老保険、医療保険および失業保険などの制度がはらむ弊害について検討し、外国の経験が中国の社会保障制度について言及した関連提案を考察する。
王晶(首都経済貿易大学労働経済学院副教授)李国強首相の政府活動報告を契機として、中国では「共享経済」(シェア経済)という考え方が打ち出された。これは労働者対雇主という伝統的な雇用形態を打破した。これにより、将来的には企業・労働者間の関係が多様化することが予想される。以下、「共享経済」がもたらすイノベーション、社会資源との整合と節約、就業機会の増加、労使関係に与える影響などについて論ずる。
崔勲(南開大学商学院教授)雇用方式の多様化を背景に伝統的な雇用形態が打破され、労務派遣など柔軟性のある非典型雇用方式が流行し、非典型労働者の規模が徐々に拡大している。非典型雇用方式は企業に雇用の柔軟性をもたらして雇用コストの削減に寄与する一方、非典型労働者の就労態度や行為に対しては負の影響を与える。本講演は非典型労働者の雇用の安心感と公平感の生成、および組織アイデンティティに対する影響について分析し、非典型労働者の管理対策を提案する。
労働法学には多様な役割があるが、裁判手続に貢献しうるものとして、主に①法解釈論の提示、②判例・裁判例の分析の2点が挙げられている。しかし、実務に深く関与している研究者としては、大いに疑問である。①であるが、実際の手続で、○○説が決め手となって解決された事例はほぼ皆無である。②であるが、判例評釈という判例・裁判例の分析は、ほぼ判決文のみを対象とし、裁判手続における経過は捨象されるので、判決の射程距離を正確に捉えていないことがある。結論として、報告者は、立法趣旨、裁判官の経験則と事実認定、主張・立証過程などを、労働法学は重視すべきだと考える。
楊河清 (首都経済貿易大学労働経済学院教授)本講演では、中国と日本における「過労」問題の研究歴とその特徴について比較分析を行う。このテーマについて中国は研究のスタートが遅く、研究者も少なかった。日本では研究に従事する学者は多く、研究歴も長い。中国では過労研究に対する定期刊行物の関心が低く、日本ではその数は多く、内容も豊富である。過労研究に係る学問分野とその成果において、中国と日本、欧米には大きな差異が見られる。中国の研究は経済学と法学分野に偏重しているが、医学や心理学など関連学問分野では一定の研究成果をあげている。