更新日【2007/03/02】
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  【 文化継承学U 2006年度 年間プログラム 】

2006年度に行われた文化継承学の発表リストです。
  2005年度はこちらよりご参照ください。
報告日
報告者
タイトル
特集:人種、マイノリティ
2006年
4月28日
武井望
  (西洋史)
「アメリカ帝国主義における人種」
【報告要約】
   本報告では、アメリカ合衆国による海外領土獲得における人種主義の影響について考察した。まず、アメリカ白人における人種階層制という概念やアングロ・サクソン主義について述べた。次に、1898年のパリ講和条約の批准をめぐる米連邦上院での論争をとりあげた。条約批准をめぐって主要な争点の一つとなったのが、アメリカ合衆国によるフィリピン領有の是非であった。報告では、論争において賛否両派が人種主義のレトリックを用いて自らの主張を弁護したことを指摘した。さらに、アメリカ合衆国によるフィリピン統治におけるアメリカ人行政官の人種主義の影響についても検討した。

福士純
  (西洋史)
「ブリティシュ・アイデンティティと植民地カナダ
─ブリティッシュ・ワールドの形成と1886年植民地・インド博覧会を中心に─」
【報告要約】
   本報告の目的は、19世紀末から20世紀中葉におけるイギリス本国と白人植民地の関係を捉える際に重要となるブリティッシュ・アイデンティティと、それを共有する人々が住む地域−ブリティッシュ・ワールド−について、植民地カナダを中心にブリティッシュ・ワールド内における本国・植民地関係そして植民地間関係について明らかにすることである。この問題に取り組む際の事例として、1886年に開催された「植民地・インド博覧会」を取上げ、検討を試みる。
   この植民地博は、「帝国」展示に主眼が置かれ、参加も植民地に限定されていたことがその大きな特徴であり、19世紀末のイギリス帝国関係、特に帝国の経済構造を表象するものであった。この博覧会にカナダは積極的に関与し、多数の一次産品や工業製品展示を試みた。その際、カナダ側の博覧会運営者達が目指したのは、イギリス帝国における「最上位の地位」としての地位を確立することであった。多くのカナダ人は、カナダ自治領が成立した1867年以降もブリティッシュ・アイデンティティを保持し続けていたが、「本国」・「植民地」という観点から見れば、カナダは経済的、文化的に本国に「劣る」植民地人であり、博覧会においてカナダの発展を示すことで、両者の差が縮まっていることを示そうとした。つまりカナダは、博覧会を通して工業的、文化的に発展したイギリス本国と自身を同一視しようと試みる一方、他の後進的な植民地を他者とみなし、他植民地に対する優位の意識の確立を目指した。このような博覧会を通して、帝国内での植民地の位置付けを序列化し、その序列の中での上位を目指す動きは、カナダに限ったことではない。他植民地も、程度の差こそあれ、展示を通しての帝国内での序列上位を目指した。中でも、オーストラリアのヴィクトリア植民地は、展示を通して自らをイギリス、カナダに次ぐ帝国第三位の地位、オーストラリア第一位の植民地としての地位を広く訴えることを、その博覧会参加の目的としていたのである。
   この博覧会において見られた帝国関係を序列化し、「上位」を目指す動きは、本国とブリティッシュ・アイデンティティを共有するも、イギリス人よりも劣っていると自分達を位置付ける植民地人の「ギャップ」を埋めようとする意識のあらわれであり、帝国からの分離・独立へと向かうものではなかった。植民地は、あくまで本国との関係を強化し、最終的には本国と平等、つまり「イギリス人」となることを目指していたのである。

池田辰之
  (英米文)
「Jack Kerouac のメキシコ表象、あるいは『白い黒人(ホワイト・ニグロ)』再考に向けて」
【報告要約】
   ジャック・ケルアック(Jack Kerouac, 1922−1969)はマサチューセッツ州ローウェルで生まれ育ったフランス系アメリカ人であった。ケベックから移住してきたフランス系カナダ人の両親の元に生まれ、カトリックでカナダ訛りのフランス語を母国語とする彼の出自は、1950年代のビート文化の第一人者というイメージの影に隠れて見落とされがちだったが、彼の作家としての原点は白人マイノリティという、いわば有色人種でも米国中産階級の白人でもない人種的カテゴリーの間に宙吊りにされた出自にあったと考えることができる。では、例えば、なぜケルアックは「黒人になりたい」という思いからメキシコへの放浪に至ったのか―― 確かに、ケルアックにとってのメキシコは彼の故郷を想起させる場所であり、その要因がカトリック教とアメリカ合衆国からみた「周縁性」という恣意的な結びつきであったことは否定できない。しかしながら、本報告では、ケルアックのメキシコへの放浪が、フランス系アメリカ人としての意識に根ざす「周縁」から「周縁」へという文化的越境であったことを一連の作品を手がかりに読み解いていきながら、「マジョリティ/マイノリティ」の区別が肌の色によってなされていた1950年代の時代思潮を脱構築しうる視点にも結びつく問題として評価しつつ、「ビート」の代名詞ともされてきた「白い黒人(ホワイト・ニグロ)」を同様の観点から読み直していく可能性を示唆してみた。


特集:家族と記憶
5月12日
寺澤由紀子
  (英米文)
「母性の抹消と記憶の支配 Chang-rae Lee の A Gesture Life」
【報告要約】
   本発表では、慰安婦問題を扱った、韓国系アメリカ人作家Chang-rae Leeの小説A Gesture Lifeを取り上げ、そこに見られる男性中心主義的な記憶支配のあり方について、特にテクスト中の二つの場面に注目して考察を試みる。その場面とはまず、語り手であるFranklin Hataが戦時中出会った慰安婦の死の場面、そしてもう1つは、Hataの養女の堕胎手術の場面であるが、これらを、視覚的イメージにおける母体、胎児の可視性、不可視性という側面、及び、胎児言説に基づく母体の抹消という側面から分析することによって、Hata個人における記憶操作の過程だけではなく、弱者から発せられる記憶の隠蔽というさらに大きいレベルでの男性的記憶支配のあり方を読み解くことを目的とする。

神代知子
  (日文)
「近代文学に見る『老い』へのまなざし
 ──志賀直哉『老人』を中心に── 」
【報告要約】
   古代、「老い」には生命力の衰えと神の属性という両義性が付与されていた。近代においては医学の発達と家制度とのかかわりによってそのような聖性は失われる。本論は志賀直哉「老人」(明治44年『白樺』)をそのようなコンテクストにおいて考察するものである。
   同時代評に共通するイメージは〈弱々しい老人〉である。また先行論においては語り手の「彼(老人)」に対する温かい視線が指摘されている。しかし「彼(老人)」は必ずしも弱々しい存在としてのみ語られているわけではなく、語り手の視線にも批判的なものがあることは否めない。語りの中で「彼」から「老人」へと変化する人称に注目し、〈理想の老人像〉へと収斂していく過程を追った。

合田正人
  (仏文教員)
「アンナ・フロイトとメラニー・クライン
 ――児童精神分析についてのある論争」
【報告要約】
   フロイト自身認めているように、「女性の欲望」と「前エディプス段階の子供」は精神分析にとって難題を提起する事象であった。報告では、「女性の欲望」をめぐるフロイトの知見を、ラカンのセミナー『精神分析の倫理』ならびにサラ・コフマンの『女の謎』を参照しながら検討するとともに、共にフロイトを継承する二人の女性分析家のあいだで、児童の精神分析をめぐって繰り広げられた論争を取り上げ、そこに、「言語とは何か」「意味とは何か」「表出とは何か」「感情の両価性とは何か」「母性とは何か」「治癒とは何か」といった、今日に至るもいまだ解決されざる数々の問題への興味深い応対を読み取ろうと試みた。


特集:図像と身体
5月26日
太田翼
  (日文)
「太鼓腹から筋肉美へ
 ─表象される身体と欲望の視線」
【報告要約】
   明治時代から第二次大戦後の各時期において、理想とされた男性像の変化を検証した。当時の広告や言説から、「理想の男性」モデルの変化が国民意識の形成と密接に関連するものであったことがわかる。さらに文学作品に同性愛の欲望の対象として描かれる男性像の変化を検証し、「理想の男性」モデルの変化と照らし合わせてみる。すると、筋肉美に象徴される男性性そのものが欲望の対象として記述されるのは、身体意識と国民意識が切り離された戦後以後、すなわち三島以後のことであったことがわかるのである。

中村俊彦
  (英米文)
「身体と図像 
 ─ King Lear におけるMasculinity」
【報告要約】
   古代、「老い」には生命力の衰えと神の属性という両義性が付与されていた。近代においては医学の発達と家制度とのかかわりによってそのような聖性は失われる。本論は志賀直哉「老人」(明治44年『白樺』)をそのようなコンテクストにおいて考察するものである。
   同時代評に共通するイメージは〈弱々しい老人〉である。また先行論においては語り手の「彼(老人)」に対する温かい視線が指摘されている。しかし「彼(老人)」は必ずしも弱々しい存在としてのみ語られているわけではなく、語り手の視線にも批判的なものがあることは否めない。語りの中で「彼」から「老人」へと変化する人称に注目し、〈理想の老人像〉へと収斂していく過程を追った。

吉田正彦
  (独文教員)
「伝承は現実を反映するか」
【報告要約】
   伝承、特に昔話[メルヘン]は日常の世界、現実世界との乖離を好む「物語」である。例えばお菓子の家、ガラスの山、魔法による変身等々。だが昔話も全くの想像の産物というわけではない。グリム『昔話集』第28話「歌をうたう骨」が中、近世に行われた「棺審」−撲殺された被害者が生者と同様に原告として出廷し、犯人を暴く−を反映した話であるとの仮説のもとに、『ザクセン・シュピーゲル』およびグリムの『ドイツ法律古事誌』の当該項目と昔話とを対比させてみる。昔話では骨片が「歌により」犯人を暴くという非現実性はあるものの、「棺審」が事実上は両法律書の記述どおりに被害者の亡き骸そのものではなく、彼の右手=骨片のみを保存して「生きている死体」の代理として出廷させる便法を用いた事実を知ると、両者の溝は埋り始める。犯人が触れた被害者の骨片が血を流すというスイスの伝説も、「仮説」の正しさを証明する。物語と現実との「溝」を、資・史料によりできるだけ隙間なく埋めることができるならば、多くの成果が挙がるかもしれない。 


特集:図像と雑誌
6月23日
金澤宏明
  (西洋史)
「19世紀転換期の政治カトゥーンとその外交形成過程への影響について試論」
【報告要約】
   19世紀後半以降のアメリカの他者/自己表象がいかに外交政策決定過程に影響したのか。本報告はこの課題に従って、政治マンガが19/20世紀転換期のアメリカ対外関係政策意識の大衆への流布と賛同を促す媒体として機能したという研究仮説に基づき、議論を行った。
   報告では時間の都合上、メディア研究の方法論を割愛したが、19世紀から20世紀前半にかけてのアメリカ社会のメディアが、現在の多層で複雑なメディアとは異なり、限定的な情報配布を行っていたという仮説の上で、読者に対する議題設定または提示型の機能を有していたと考えた。さらに、『ハーパーズ・ウィークリー』や『パック』などの新聞や雑誌に掲載された政治漫画はその実作者者が意図したデフォルメや情報取捨、議論設定によって生み出された風刺性をもった。読者は風刺の効いた政治漫画を読み、対象を笑い飛ばし、漫画作中の環境と情報を認知(「平準化」及び「環境化」)する一方、本来この時代では大きく読者と距離があるはずの批判の対象に迫る主体化が行われ(「状況化」)、故に読者に対し強制的なメディアとなった。
   こうした、新聞・雑誌を読むことのできる(を購買可能な裕福な)大衆の政治参加を促した政治漫画は、その情報の議題設定性ゆえに読者に政治漫画に風刺された対象の事実認識化をも迫るのである。本報告では、中米地峡運河建設についての政治マンガを一つの事例に、風刺対象の既成事実化の展開を検討した。

佐久間桃
  (英米文)
「ヴィクトリア時代中流階級と唯美主義
 ―『パンチ』試論」
【報告要約】
   『パンチ』(Punch)は、挿絵と機知にとんだ文章が一体となって発する抜群のユーモアによって人気を博したイギリスの風刺雑誌である。1841年創刊、1992年終刊。後に復刊の動きこそあれ、完全な復活には至らなかった。その読者は概括して中流階級、またイングランド人とされる。本発表ではそのうち1880〜90年代の唯美主義者、芸術愛好家の風刺に焦点を絞って、中流階級から彼らがどのように映っていたのかを考察することを目的とした。まず、唯美主義者、上流階級の風刺で有名なデュ・モーリエ(George Du Maurier)の挿絵をビジュアル的に分析、紹介した。次に、労働者の描写、『不思議の国のアリス』の挿絵で有名なテニエル(John Tenniel)が、美術展に出かけようと倉庫から出てくる貧しい夫婦を描いている挿絵を紹介、両者を比較して何が見えてくるかを考察した。結論として、この比較から導き出されたのは、中流階級は唯美主義的思想を、芸術的な観点からではなくあくまで彼らの階級的な観点からとらえていた、つまり19世紀台頭してきた「勤勉な」中流階級にとって、唯美主義者と労働者は「何もしない人間」という点で共通し、ともに彼らの風刺対象となっていたという見解であった。
   『パンチ』を読解し学問的に考察することは、あらゆる観点からの知識が必要となり非常に困難な作業である。本発表ではそのビジュアル的な魅力を伝えるに留まったが、当時の様子を鮮明に描いた資料として『パンチ』の更なる研究が期待されるところである。

井戸田総一郎
  (独文教員)
「図像に記憶された時代心理風景 −『ユーゲント』と『ジンプリチスムス』に見る1930年代の危機」
【報告要約】
   『ユーゲント』と『ジンプリチスムス』は、いずれも19世紀末ミュンヘンで生まれた雑誌であり、画像と文のコラボレーションの新しい可能性を切り開いた画期的な試みであった。二つの雑誌については、ユーゲント様式等のテーマとの関連でよく紹介されているが、それらは大抵の場合、刊行当初の初期の段階に限定されている。明治大学図書館は近年、この二つの雑誌のオリジナルを全巻揃えることに成功し、雑誌の全体像の再構成にとって理想的な環境を生み出している。この発表では、これまでほとんど取り上げてこなかった1930年代の『ユーゲント』と『ジンプリチスムス』のなかから、前者についてはベルサイユ条約批判に関連するページ、後者についてはゲーテのイメージとナチの台頭を関連付けたページを主に紹介した。これらの実例の説明を通じて、雑誌に関する文献学的研究が当時の状況を、政治・経済上の出来事ばかりでなく、研究の対象となりにくい同時代人の心性をも含めた総合的視点から再構成する上でいかに有効であるかを明らかにした。


特集:文体と翻訳
7月7日
八木下孝雄
  (日文)
「欧文訓読の方法と欧文脈」
【報告要約】
   本発表では,明治期の英語学習書の訳本により当時の欧文訓読の方法を見ることで,欧文脈がどのように形成され,受容されてきたかを考察した。
   欧文脈とは日本語の中に取り入れられた,外国語の翻訳文の文体・語法などのことである。翻訳文は日本語でありながら,外国語の特徴を反映した文体・語法を持つ。外来語のように直接的に取り入れられる外国語に対し,欧文脈はいったん翻訳という作業を通した日本語への受容となる。
   欧文脈形成には直訳体がかかわり,それには英語学習が大きな役割を果たしていたという先行研究をうけて,明治期の英語教育を受けたほとんどの人が使ったとされる,New National Reader の独習書である訳本を調査し,その中で訳の方法に「型」のようなものがあることを見つけた。
   「型」の多用による馴れで,外国語由来の異質性が薄れ,欧文脈が受容される条件ができたと考えた。

金子祥之
  (独文)
「ウィルヘルム・フォン・フンボルトの翻訳論」
【報告要約】
   フンボルトが展開した言語論の中心思想は言語有機体論である。フンボルトは当時の生物学における後成説的有機体論を背景に、言語を完結した一つの全体と捉えるのではなく、発展・成長し続けるもの、即ち自然世界の生物と同様の存在と見なしていた。彼の初期の論考に見られるように、生物世界が「男」と「女」という相異なる性同士の競合による発展と捉えていたことを考え合わせると、言語もまた異なる他言語との競合によって新たに変容、発展し得る存在であるということとなる。
   フンボルトのテキスト「アガメムノン翻訳への序文」にも、上記のような有機体的言語思想が背景にあると考えられる。そこでは古代ギリシア語という理想的言語でありながらドイツ語との親縁性を保持している言語を対象とし、それと競合させることによって、美的感性に欠けているドイツ語を向上・進化させるための手段としての翻訳行為が語られる。その際重要とさせるのは、語彙レベルの翻訳や意訳ではなく、ギリシア語のリズムをドイツ語へ忠実に移入させることであった。フンボルトの同時代にはリズムこそ言語の本質であるという考え(A・W・シュレーゲルなど)が存在し、リズムを取り入れることによってドイツ語はますます(理想的言語である)ドイツ語へと近づき得ることとなる。
   このようにフンボルトがドイツ語を古代ギリシア語へと近づけようと試みた背景には、当時のドイツにおける「ドイツと古代ギリシアの親近性」という言説があったと考えられる。この、18世紀前半頃からドイツに芽生えた考え方は、フンボルトの時代、フランス−ローマに対抗し得る自意識を形成するために頻繁に語られた。フンボルトの古典観もまたこのような時代の要請から自由ではない。ギリシア語によるドイツ語の改良思想は、新たなドイツ・ネイション構築のための手段の一つとして捉えられ得たと言えよう

野田学
  (英米文教員)
「岸田國士とハロルド・ピンターの文体論的比較」
【報告要約】
   岸田國士とハロルド・ピンターの文体の近似性については、すでに喜志哲雄ならびに別役実が指摘しているところである。本報告においては、これらの指摘を確認し、その上で、岸田國士の文体の息づかいの、日本演劇の近代化・西洋化の文脈においてどのように発展していくかを考察した。この考察の背景には、当初西洋の「模倣」もやむなしとしていた岸田が、文体作家から主題作家へと移行していく過程を経て、大政翼賛政治下の文化部長就任の経験をふまえ、戦後日本人の西洋化がもたらしたある種の違和感を、「痙攣」と称している事実がある。本報告では、この「痙攣」の意識が、岸田の初期からの文体を何らかの形で流れているのではないかという仮説を考察した。


報告日
報告者
タイトル
特集:戦争とレトリック
9月29日
小谷奈津子
  (仏文)
「パトリック・モディアノ『ドラ・ブリュデール』
   ―忘却に抗するエクリチュール―」
【報告要約】
   パトリック・モディアノの『ドラ・ブリュデール』(1997)は、タイトルになっている一人のユダヤ人少女の痕跡を探求する作品である。他のモディアノ作品と異なり、モディアノは、ドラという現実に占領期に生き、ショアーの犠牲者となった人物をこの本の中心に据え、彼自身が語り手として語り、現実を描くことを意識的に試みている。よって、モディアノのエクリチュールの変遷を研究する上で、検討すべき重要な作品であると思われる。本発表では、モディアノの作品において、創作の原動力として特権的な位置を与えられている記憶の特徴や重要性を確認した上で、『ドラ・ブリュデール』の中で、作家が少女の探求する際にどのように記憶が関与しているのか、エクリチュールのコラージュ風な構成、多くの日付の付与、語りの時間の錯綜などに注目し考察した。

林義勝
  (西洋史教員)
「戦争とレトリック」
【報告要約】
   2001年9月11日の同時多発テロの発生後数日して、ブッシュ大統領はアメリカ合衆国のその後の対外政策の基本方針を示した演説を行なった。この演説のキーワードは「自由の防衛」「人類へのアメリカの使命」であり、「善か悪か」といった二者択一的な発想であった。
   しかし、こうした外交方針の基本姿勢は、歴史をさかのぼれば、冷戦時のトルーマン・ドクトリン、第一次世界大戦時のウィルソン大統領の対独宣戦布告、さらには、モンロー・ドクトリンのレトリックにまでさかのぼる。(発表では言及しなかったが、そもそもピューリタンたちが目指した「丘の上の町」を建設するという神との契約という考え方にまでたちもどることになろう)
   一方、19世紀から20世紀初頭にアメリカでフィリピン併合に反対し、海外領土を獲得することによる「共和国の堕落」、ヨーロッパのような「帝国」への変身を危惧した、反帝国主義者の論理も、実は共和国の伝統の喪失、「世界に模範を示す」ができなくなる、「人類の大義を守る戦争を帝国のための戦争にさせないこと」が重要な位置を占めた。正当化できる戦争は認めるが、その目的が逸脱することに対して異議申し立てを行なったのである。
   このように、戦争へアメリカ市民を動員する際と政府の対外政策に対して反対する際に、同じレトリックが用いられることがアメリカ対外政策の論理を考える際の一つの特徴といえるのではないか。以上の論点を若干の資料を用いて検証した。

萩原芳子
  (仏文教員)
「ラシーヌ初期作品における権力争いと戦争の表象と文体」
【報告要約】
   劇作家ラシーヌの初期2作品はいずれも「野心」がもたらす争いや戦争という題材を扱っているが、これは同時に新しい劇作法と文体の模索に繋がっている。世紀前半のコルネイユにみられる貴族的な野心の賛美とは正反対に、『ラ・テバイッド』(1663)においてはオイディプス王の二人の息子の権力争いを不毛な対照法を多用して描いている。ルイ十四世賛美の作品として片付けられている『アレクサンドル大王』(1665)においても、敵から見た不毛な戦争の鮮烈な描写にも多くの行数を割いていて、その後のアレクサンダー大王批判の流れの先駆けとなっている。さらに次作の『アンドロマック』では、戦争の描写は登場人物を束縛する戦争の癒しがたい記憶として悲劇の根底を成し、同時に時間と空間を越えた記憶の詩的な文体が形成されていく。題材と文体との切り離しがたい模索はコルネイユ劇との距離を置くものであると同時に、教育を受けたポール・ロワイヤルの学校の厳格な隠居士たちとの決別がそれほど決定的でなかったことをうかがわせる。


特集:精神分析
10月27日
下井有子
  (仏文)
「セリーヌ作品に見るユダヤ人表象の変化
   ─フロイトによる影響と反ユダヤ主義─」
【報告要約】
   ルイ・フェルディナン・セリーヌという作家にとって、その小説作品におけるフロイトの影響というのは、作家本人が繰り返し述べているとおり、非常に重要な事実である。しかし、この作家の激烈な反ユダヤ主義的攻撃文書を読むとき、セリーヌにおけるフロイトの影響という事実はきわめて複雑な問題を孕んでいるといえよう。そこで本発表において、セリーヌのフロイトによる影響と反ユダヤ主義については、ゴダールやベロスタ、アルメラスなどによる先行研究を確認し、さらにセリーヌの言説におけるユダヤ人表象の変化について考察した。作家の反ユダヤ主義とフロイトに対する熱中は、同時期に両立している。パンフレットにおけるフロイトへの言及などからは、セリーヌにおける反ユダヤ主義が極端で過激である一方、矛盾と変化を常に内在したものであることがわかる。この変化を辿る上で、占領下のパリで執筆、出版された『ギニョルズ・バンドT』におけるユダヤ人表象を手がかりに、セリーヌにおける反ユダヤ主義を堅固なものとして捉えるのではなく、揺らぎ、矛盾したエクリチュールの中で主張されたものとして捉えることを試みた。

大貫明仁
  (仏文)
「マルローにおけるフロイト
   ― 『反回想録』序文 ─」
【報告要約】
   オリビエ・トッドのインタビューに、マルローは精神分析者たちの哲学は彼の哲学ではないと述べ、フロイトの無意識は昔の悪の領域であると述べている。『反回想録』の序文におけるフロイトへの批判を検討することで、マルローの思想を新しい側面から照らすことが本発表の目標である。マルローにおける悪は運命とほぼ同義である。彼はこの「運命=悪」に対する抵抗の拠点として自我よりも原始的な「自己のない私」を見いだす。人間において唯一虚構ではない「自己のない私」同士の結合は、例えそれが惨めで、一瞬でしかないとしても、「運命=悪」の動きを止める、あるいはそのような幻覚を見せる神秘的な効果を生み出す。それゆえ、マルローは行動に、芸術にそれを見いだそうとすることが理解されるだろう。

合田正人
  (仏文教員)
「ポリアコフ歴史学の射程と方法、その問題点」
【報告要約】
   『反ユダヤ主義の歴史』全四巻の著者レオン・ポリアコフ(1910-1997)は、デュメジル、フーコー、アリエスにも比される著名な歴史家であるが、少なくとも日本では、その『アーリア神話』の邦訳があるだけで、本格的に論じられたことはほとんどない。そこでまず、多くの者にとってはいまだ未知のこの歴史家の生涯を辿ると共に、スピノザ、フロイト、サルトル、レヴィナス、ジャンケレヴィッチ、カール・ポパー、ユングといった多様な思想家たちとの錯綜した連関を通じて、また、「悪魔的因果性」なる観念を手掛かりに、ポリアコフ歴史学の方法と問題点を指摘した。


特集:仮面
10月27日
中村俊彦
  (英米文)
「理性と情念
   −Hymenaeiにおける統治者の苦悩」
【報告要約】
   1606年1月5日6日に上演されたBen Jonsonによる宮廷仮面劇Hymenaeiは、Earl of EssexとLady Frances Howardの結婚を祝した芝居でありながら、また同時に、国王James Iと作品中に登場するReason(理性は伝統的に女性として表象されてきた)の密接な結びつきをも描いている。そこには、Ben Jonson、ひいては彼の同時代人達が抱えていたある種のジレンマが感じ取れる。実際に国家という身体を統治する、理性としての国王と劇世界の身体を統治するReasonの結合という、二重に理性化した管理システムモデルは、一方で、情念、換言すれば、王権に対する危険分子をしっかり管理する理想的な国家モデルを意味しながらも、他方では、このような理性同士の結合なしにはそれらを管理できないという、王権思想に対するある種の危惧が感じ取れるからだ。

太田翼
  (日文)
「折口信夫『口ぶえ』試論
   −身体意識の変化と異郷への憧憬」
【報告要約】
   「口ぶえ」は、折口信夫の最初の小説である。この作品は、未完ということもあり、これまであまり高い評価を得てこなかった。しかも言及される際にも、折口の思想の発現を創作の中に見出す場合や、語彙の概念を定義するために論じられることが多く、作品それ自体の評価が提出されるようになったのは、比較的近年においてのことである。本稿は、この作品を一つのテクストとして読む試みである。
   岡澤からの求愛によって、安良は同性の性愛の対象としてまなざされる存在であることを自覚する。そのことによって、安良の身体認識は大きく変化する。性欲を「けがらはしいもの」として排除する安良は、それに対置する「浄らかなもの」を「少年」ということばに形象化していく。このことで周囲が強要する男性としての性役割への違和感は、日々募るようになる。岡澤の存在によって、現実の世界への違和感は、自身の出自を疑う思考へとも結びつく。安良の感じる身体的違和が、現実の世界への違和感とたくみにスライドされて語られるところに、このテクストの特殊性があるといえよう。


特集:植民地と宗主国
11月10日
小池航太
  (西洋史) 
「モンロー政権期における西インド市場をめぐる米英対立」
【報告要約】
   本報告では、アメリカ合衆国が1818年に制定したアメリカ航海法と、これを受けて1822年にイギリスが制定した植民地貿易法、双方の制定過程を検討した。
   19世紀初頭、イギリス領西インド植民地は、食料供給を合衆国に依存していた。しかし、イギリス航海法によって、合衆国産食料を輸送できたのはイギリス船舶のみだった。そのため、合衆国はアメリカ航海法を制定し、植民地に向かうイギリス船舶への食料供給を停止することで、合衆国船舶による西インド諸島との直接貿易開始をイギリスに要求した。一方、同法によって、奴隷への食料供給が困難になったイギリスは、植民地貿易法を制定し、合衆国船舶による西インド諸島への食料供給を許可した。
   以上の立論は、19世紀初頭に、合衆国が先行研究で主張されたように、イギリスとの通商対立において常に譲歩を強いられていたわけではなかったことを示している。それどころか、アメリカ航海法によって、イギリスから譲歩を引き出し、合衆国はカリブ海市場への経済進出の基盤を築いていたと言える。

武井望
  (西洋史)
「『英雄ボニファシオ』は捏造か? ―フィリピン革命史をめぐる米比研究者の論争―」
【報告要約】
   本報告では、フィリピン独立革命の指導者であるボニファシオ(Andres Bonifacio)およびフィリピン革命をめぐる米比研究者の議論について検討した。アメリカ人史家メイは、史料考証の不確実さを根拠にボニファシオに関する従来の解釈を批判、「国民的英雄」としてのボニファシオ像はフィリピン人歴史家による「捏造」であると主張した。これに対し、フィリピン人史家イレトは、フィリピンの植民地支配を進めるアメリカにとって、独立運動の指導者であるボニファシオは容認できない人物だったことを指摘した。そしてイレトは、メイによる批判の背後にあるのは植民地支配以来フィリピンの歴史記述を支配し続けてきた植民地言説であると主張したのである。    以上のように、米比研究者の間では、ボニファシオの人物像についての分析を通じて、フィリピン革命史の意義をめぐる激しい論争が行われてきたのである。

福士純
  (西洋史)
「世紀転換期におけるカナダ経済と保護主義
−カナダ製造業者協会の保護主義運動を中心に−」
【報告要約】
   本報告の目的は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス本国・白人植民地間経済関係を、植民地製造業利害の視点から検討することである。この問題について検討するために、カナダ製造業者協会(Canadian Manufacturers' Association: 以下、CMAと略記)を事例として取り上げ、CMAの国内製造業保護の主張について分析を試みる。
   当該期におけるCMAの保護要求は、何よりもまず政府への保護関税の強化を訴えるという点に向けられた。この時期、カナダ製造業者は、カナダ市場、特にカナダ西部市場へのアメリカからの工業製品流入に脅威を抱いており、国内市場の統合とアメリカ製品流入の排除という点から保護関税の強化を訴えるため、たびたび政府に対して陳情を行った。しかしながら、CMAの主張を政府は受け入れることはなく、CMAは政府への陳情以外の産業保護の運動を展開していった。CMAは、カナダの人々にカナダ製造業の重要性を理解させるための「教育キャンペーン」を開始した。その活動を通して、カナダ製品に対する誤った印象を排除し、「メイド・イン・カナダ」製品の保護を訴えた。
   これらのCMAによる活動は、政府への陳情だけでなく、民衆に国産品保護を訴えることで、保護関税強化の基盤拡大をはかるものであった。加えて、このCMAの保護要求の活動は、保護を訴えることで国内市場の統合や、外国産品の排除、国産品の購買を促すものであるという点で、保護主義とカナダ・ナショナリズムを接合する動きでもあったのである。


文化継承学・合同研究会
11月24日
図書館
  
文化継承学I・U合同授業
【内容】
   文化継承学T・Uの合同授業を行った。前半は、明治大学図書館が所有する稀覯史料を展示し、参加者は専門教員の解説を聞きながら各資料を閲覧した。後半は、2名の教員による研究報告会を行った。

湯浅幸代
 (日本文学・文学部兼任講師)
「『源氏物語』の青海波と時雨
  ─礼楽思想の観点から─ 」
【内容】
   『源氏物語』紅葉賀巻には、光源氏が天皇主催の儀式の場で「青海波」と呼ばれる舞を披露し、その素晴らしさに周囲の人はもちろん、天も感応したようだと語られる場面がある。当時、『源氏物語』のような王朝時代に作られた虚構の物語においては、主人公の理想性が「楽」(舞楽等を含めた音楽)の才能によって表現される事が多く、この事は、当時、日本が中国から受容していた礼楽思想(「礼」(礼節)と「楽」(音楽)によって、世の中がよりよく治められるという思想)と深い関わりを持つ。
   本発表では、父親である天皇の后・藤壺の宮と密通し、その秩序を犯す人物である光源氏が、地上の秩序(礼)と和(楽)の論理が示される儀式の場で、どのような「青海波」を舞うのか。その意味を、天の感応として描かれる「時雨」をもとに考えてみたい。

野田学
 (英文学・教授)
「小泉政権下の日本演劇におけるへなちょこな身体」
【内容】
   小泉政権の受容は内政と外交で基本的に対照的な評価をもたらしたが、両政策に共通する特徴は、攻撃的であったという点だろう。この攻撃的な?もしくは「マッチョ」な?圧力下において身体が「へなちょこ」に化す現象を政権下の日本演劇がどのように表象したかについて、上演ビデオを交えながら報告する。
   坂手洋二の「だるまさんがころんだ」(2004年)、そして岡田利則の「三月の5日間」(2004年)を主に扱う予定である。最終的にその源を、別役実の「壊れた風景」(1976年)にまで探ろうと思っている。


特集:恋愛における神話と宗教
12月8日
森真太郎
  
(仏文)
「ユルスナールの初期作品における作風の変化」
【報告要約】
   ユルスナール処女作『アレクシス』(1929)と、『火』(1936)という作品は、作者にとって思い入れの深い作品であった。『アレクシス』はユルスナールの「処女作」であるからその重要さはいうまでもないが、しかし一方で、『火』への愛着が強く語られているのは何故だろうか。研究者のアンヌ・イヴォンヌ・ジュリアンは述べている。「『ハドリアヌス帝の回想』のような成熟した物語の堂々たる結構に魅惑されたある種の読者は、このユルスナールの世界におけるこのいびつな山塊(『火』)を、ためらいなしに考慮することはないだろう」。作家の様々な発言に着目すると、古典的「レシ」の手法から自分自身の作風を得てゆくこの現代作家に課された、芸術もしくは人生上の、ひいては芸術家の生そのものという問題が考察できる。

久塚素乃子
  
(仏文)
「エミール・ゾラ『ムーレ神父のあやまち』における『創世記』」
【報告要約】
   エミール・ゾラの『ムーレ神父のあやまち』は、ゾラの創作プランからも分かるとおり、旧約聖書の『創世記』のアダムとイヴの「楽園追放」をモデルとしている。このテキストは、ゾラにおいてinfécondité(不毛性)の象徴であるカトリシスムに対立する形で現代版のエデンの園ともいうべき物語空間、パラドゥーをfécondité(多産性)の象徴として設定している。inféconditéに対立する形で称揚されるféconditéというこの構図は、『ルーゴン・マッカール叢書』の最終巻である『パスカル博士』を経て、その後の連作である『三都市叢書』や『四福音書』に引き継がれてゆく主要なモチーフの一つである。神話的要素からのゾラ研究において、ゾラの主要な連作である『ルーゴン・マッカール叢書』『三都市叢書』『四福音書』のいずれもが『創世記』を起点としているというフィリップ・ウォーカーらの主張を極端であるとして退ける向きもあるが、具体的なモデルとして『ムーレ神父のあやまち』に移入された『創世記』の世界が後の作品に引き継がれていることを考えれば、それも的はずれではなかろう。しばしば死を間近に見ながらも生命が称賛されるゾラの文学世界と、世界の創造の物語である『創世記』はおそらくféconditéという点において繋がりを持つのであり、これはゾラの作品における神話的要素の一形態であると考えられる。

柏淵直明
  
(西洋史)
「16世紀前葉フィレンツェにおける有力市民の人的ネットワーク ――フランチェスコ・グイッチャルディーニの代父母関係を事例として――」
【報告要約】
   本報告では、16世紀前葉フィレンツェの人的な繋がりを考察することを目的に、事例研究として、有力市民フランチェスコ・グイッチャルディーニFrancesco Guicciardini (1483-1540)を取り上げた。それに当り、彼の「覚書Ricordanze」を主要史料として分析し、彼の法律家としての活動を記録した「名誉に関する備忘録i Ricordi degli onori」を補完的材料として利用することを通じ、彼の代父母関係に関して、その広がりや有力市民の人脈形成への影響を検討した。そこから、次の2点が指摘できる。第1に、彼の代父母関係者は、フィレンツェの行政区を超え市域全体に広がっており、有力市民は同階層者に、非有力市民の公証人は法曹及び彼らよりも社会的地位の高い者に代父を依頼する傾向にあった。第2に、時間の推移に伴う変化という観点では、彼が30歳になった頃(1513年)を境にして、それまで多かった公証人等の法曹の割合が減り、公証人以外の様々な立場の者が増え、代父母関係者が広がっていったことを見出すことができる。フィレンツェでは、公的な政治活動が30歳になると認められたが、彼は30歳未満の時期、フィレンツェ政界の実力者サルヴィアーティ家i Salviatiとの姻族関係を介して、多くの法律顧問avvocato等に就任し、将来の政治活動の基盤を固めていった。この時期に結ばれた代父母関係では、彼の同僚や役職就任の支援者はいないものの、彼と共に訴訟に当った公証人や法律家の他に多くの有力市民が代父母関係者として現れている。このことから、彼が隣人関係を超え、姻族に求めたと同様に、血縁に拠らない有力市民や法曹との繋がりを代父母関係に求め、この関係を形成していくことに意義を見出していたといえる。また、こうした絆はフランチェスコが法律家としての業務を遂行する上で有益であり、彼の社会的地歩を確立するための布石である可能性を示唆している。彼が30歳になると、これまで通り有力市民との代父母関係を築く一方、日常的な絆をもつ人々との代父母関係も形成していったことから、彼がその政治的な足場を確立し、メディチ家i Mediciとの緊密な関係を有していたことを背景として、多様な人々との関係を構築し、維持していくことに関心をもっていたことが窺えよう。フィレンツェの代父母関係は、受洗者たる代子と代父母との繋がりよりも、代子の実父・実母と代父母との繋がりが重視されていたが、フランチェスコの事例から、実父や代父の立場の変化に伴い、彼らが代父母関係に期待するものやその性格が変化したと結論付けた。


特集:演劇
12月22日
新沼智之
  
(演劇)
「18世紀後半のドイツにおけるシェイクスピア改作 ―座頭俳優フリードリヒ・ルートヴィヒ・シュレーダーとシュトゥルム・ウント・ドランク―」
【報告要約】
   1770年代を通してドイツで沸き起こったシュトゥルム・ウント・ドランク運動は、当時の啓蒙主義の理性尊重の理念に反発した運動であった。その手本として彼らはシェイクスピアを賛美し、「自然」や「個」を束縛するフランス式の三統一の法則を破ることを主張した。そしてそのシュトゥルム・ウント・ドランク戯曲の上演に乗り出し、その運動を体現したのがフリードリヒ・ルートヴィヒ・シュレーダーであると言われている。しかし、シュレーダーは本当にシュトゥルム・ウント・ドランクを体現したのか。本発表では、それを彼が改作して上演した『ハムレット』を中心に考察してみた。
   シュレーダーは『ハムレット』上演において、シュトゥルム・ウント・ドランク運動の理論的指導者であるヘルダーが主張したようには、つまりシェイクスピア戯曲において個々の人物像よりも各人が織り成して作り出す世界の全体像を描き出すようにはそれを改作することはなく、それまでの英独のシェイクスピア批評と同様にシェイクスピアが描く登場人物の再評価を体現しながら当時の観客が好む三統一の法則を保持した。『ハムレット』上演後の『オセロー』上演でも、当時の観客にとっては筋が刺激的すぎて再演が不入りになると、ハッピーエンドに改作して観客を取り戻した。シュレーダーはその演劇観において、シュトゥルム・ウント・ドランクに理解を示しながらも、その上演が失敗に終わると、すぐにシュトゥルム・ウント・ドランクと手を切っていたことなどを考え合わせれば、時代の趣味に合わせることが彼の第一の主義であったということは明白である。
   彼は幼少の頃から、父親の一座のお金を求めるための巡業に付いて回ったし、俳優の放出と引き抜き、そして何よりもハンブルク国民劇場の挫折を見てきた。演劇の芸術を求めることよりも観客の趣味に合わせるというのは、生計を立てるための仕事として演劇をしていた当時の座頭俳優にとっては通常のことであった。演劇における芸術的な主義主張が実を結ぶようになるのは宮廷劇団を中心として展開する次の世代を待たねばならなかったのである。

大橋裕美
  
(演劇)
「榎本虎彦の劇作法
 ――『経島娘生贄』について」
【報告要約】
   明治・大正期に活躍した歌舞伎座の立作者・榎本虎彦の作品を取り上げ、その中でもラシーヌの「イフィジェニー」に拠ったとされる『経島娘生贄』と『筑紫太刀風』の劇作法について検証した。
   『経島娘生贄』において、虎彦は「イフィジェニー」の筋を借り、平清盛が実の娘を人柱に立てる、という話に書き換えた上で、大詰に、中村芝翫による「早替り」と、清盛の「愁嘆」という見せ場を用意した。「早替り」の際、虎彦は九代目市川団十郎の当り役を引用し、その面影を芝翫に引き継がせることで観客を満足させた。しかし一方で、清盛の「愁嘆」は、清盛がそれまでの「類型」を離れていたために、「西洋臭い」と非難されている。虎彦の作品の多くは、西洋演劇から取材、翻案することで書かれたが、観客にとって馴染みにくい「西洋臭」さを消すことで成功し、かつ、「有職故実劇」とも言われた道具や衣装の美しさで人気を誇ったのである。『経島娘生贄』よりはるかに「イフィジェニー」に近い筋立ての『筑紫太刀風』が不評だったのは、過去の名作を引用せず、名場面に欠けたことが原因だったといえる。ただ、作者の虎彦はそうした劇作法について不満を述べており、「類型」から逸脱した人物造形は、歌舞伎における新しい脚本を模索した虎彦の試みの一つであったと指摘できる。そしてこのことは、近代の「翻案劇」を検証する一助となると考えられるのである。


特集:18世紀末ドイツの文芸思潮
2007年
1月12日
金子祥之
  (独文)
「フロイトのテキストに見られるディオニュソス
 −『トーテムとタブー』を中心に−」
【報告要約】
   ジグムント・フロイトのテキスト『トーテムとタブー』において、ディオニュソス神は二つの役割を負っている。第一の役割として、原罪の起源としての機能を挙げることが出来よう。フロイトは、特定の共同体において、その共同体を代表する動物(トーテム動物)を殺害し、その肉を食するという行為をトーテム饗宴と名付け、それを原初における父殺しの反復・記念・贖罪の儀式であると解釈し、この儀式を共同体における一体感や道徳的感情、宗教の源泉であると考察している。この儀式において殺される父=神としてフロイトは、巨人族によって八つ裂きにされるディオニュソス神を例として挙げており、巨人族の末裔である人間の原罪(と、それを介しての共同体意識の発生源)として、ディオニュソス神話を想定している。さらにフロイトによれば、キリスト教においてイエスの命を以て償われるとする人類の原罪とは「父殺し」の罪に相違ないとして、キリスト教のプロトタイプとしてディオニュソス教団とその密儀を想定している。これと同時に、第二の役割として、フロイトのテキストにおいてディオニュソスは、「主人公が全ての罪業を引き受けることによって、共同体構成員全員の救済を表現している」とされ、(フロイトによって)中世におけるキリスト教受難劇の起源と推測される古典悲劇の主人公の役割を担う存在として捉えられている。言うなればフロイトのテキスト内においてディオニュソスは@原罪の起源となる殺される神でありかつまたA共同体を原罪から救済する存在でもあるという、二重の機能を備えた神として描出されている。本発表ではこのほかに、フロイトが参照した文献とフロイトのテキストとの間にある欠落点を補いうる議論としてニーチェの『悲劇の誕生』(特にコロスに関する箇所)を取り上げ、当時の人類学の議論を補いうる可能性をニーチェ、及びフロイトのテキストが有していた点に関して、若干言及した。

永川聡
  
(独文)
「18世紀末ドイツの文芸思潮」
【報告要約】
   本発表では、18世紀後半から世紀末にかけて出版されたドイツの代表的な文芸誌(例えばニコライの『ドイツ一般文庫』、シラーの『ホーレン』、シュレーゲル兄弟の『アテネーウム』)や当時の雑誌出版をめぐる状況を取り上げて、それらの比較を通じて理解できるように思われる「18世紀末ドイツの文芸思潮」の変遷について報告した。ドイツ文芸思潮史上、18世紀後半から世紀末までの時代は、啓蒙主義からシュトゥルム・ウント・ドランクを経て古典主義と初期ロマン主義へと続く時代であるが、特に18世紀末ドイツは、大まかに言えば、自身作家でもあった出版業者ニコライを頭目とするベルリン後期啓蒙主義の陣営と、ワイマールに居を構えるゲーテ・シラーのいわゆる古典派と、イェーナおよびベルリンでグループ形成をしていた初期ロマン派が、三つ巴となって、文芸思潮/市場における覇権を競い合って乱立していた時代である。本報告では、この三つ巴の18世紀末ドイツの文学界の勢力地図を脇に見ながら、各陣営がそれぞれの文芸誌上で展開していた文学プログラムをスケッチすることで、18世紀末ドイツにおける「批評」機能の変質や、「読者」概念の変遷を探った。

恒川隆男
  (独文教員)
「ドイツ・ロマン派における自然の概念」
【報告要約】
   トーマス・マンは『ドイツ共和国について』(1922)で、シュペングラーの『西欧の没落』(1917)を批判している。シュペングラーはエジプト、古典古代、アラブという3つの文化圏はどれもが文化から文明へと移行したと考える。文化は土地貴族、小都市、宗教、伝統などを、文明は大都市、大衆、合理主義、貨幣などを構成要素とする。西欧もまた例外ではない。シュペングラーによれば、西欧は19世紀以来否応なく文明に移行しているのだから、文化の衰退を嘆くのは無効で無意味な感傷である。トーマス・マンが彼を批判するのは、彼が歴史を人間にはどうすることもできない自然の法則に従うように考えるからである。たしかに彼は、文化圏の歴史について青年期、興隆、開花、凋落というふうな生物学的な比喩を使うことも厭わない。だが、人間のすることを自然のカテゴリーで考えることはシュペングラーに限ったことではない。ダーヴィニズムもそうである。(ニーチェは強者の権利を唱えたりするのでダーヴィニストと思われそうだが、彼は高度で複雑なものは滅びやすく、蔓延するのはプリミティブな単純なものだとして、ダーヴィンには真っ向から反対している。)あるいはまた、最近ではデジタルメカニズム(サイバネティクス)で遺伝子から言語まで解明できると考える人々もいる。トーマス・マンはシュペングラーに、ロマン派のノヴァーリスの、自然は克服されねばならないという考えを対置する。こうした論理は、神にのみ真理と永遠を見て、自然は、肉体にも見て取れるように、誘惑であり、移ろいやすいものだとする神学的伝統から来るのかもしれないが、自然の絶対的真理に仕立てあげる発想よりも、精神や自由を考えるのには有効なのではないか。ノヴァーリスはまた、現代のわれわれが漠然ともっている自然のイメージとはちがって、自然を生命だとも、有機的だとも考えていない。



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