更新日2009/3/10】

Cultural Heritage Studies

 

   文化継承学U 2008年度 年間プログラム

 

2008年度に行われている文化継承学の発表リストです。
随時更新して行きます

 

報告日

報告者

タイトル

 

テーマ:翻訳論

 

2008年
4月25日

恒川隆男先生

(独文学教員)

ベンヤミンの翻訳論

 

【報告要約】
ベンヤミンは徹底した直訳主義である。彼の比喩によれば、オリジナルが円だとすれば、あるべき翻訳は円周上の各点に引かれた接線の集合のようなものである。というのも、外国語の単語とそれに対応する母国語の単語は意味という一点だけを共有するが、それ以外の方向性 (Intention)はそれぞれの言語によって全く違うからである。こういう翻訳を読むとなると、接線の集合から円をイメージするような努力が必要になるだろう。だが、ベンヤミンによれば、この努力によって読者は母国語に閉じ込められていることから解放されるのだ。いわゆる読みやすい翻訳というのは、ベンヤミンのこの比喩を延長して考えれば、オリジナルの円のなかに、それよりは多分かなり小さい円を描くようなことなのだろう。彼はルドルフ・パンヴィッツの、なすべきことはインド語やギリシャ語や英語をドイツ語にすることではなくて、ドイツ語をインド語化し、ギリシャ語化し、英語化することだという考え方を引用している。  

 

合田正人先生

(仏文学教員)

フランス語のハイデガー

 

【報告要約】
 1920年代末にハイデガーの思想がフランスに紹介されて以来、実存主義、構造主 義、ポスト構造主義などと称される多様なフランス思想の担い手たちはほとんど例外 なくハイデガーの熱心な読者であった。ハイデガーのドイツ語をどのように読解する かがその思想家の質を決めてきたと言っても決して言い過ぎではない。と同時に、フ ランスは、これまで幾度もハイデガーの政治思想を激しく糾弾してきた国でもあっ た。いずれにしても、ハイデガーがきわめて重要な位置を占めているわけだが、その フランスでハイデガーの『存在と時間』(1927年)の全訳が公式に出版されたの は、何と1980年代末のことだった。しかも、そこに至る60余年、まさに「翻 訳」をめぐる闘いが展開されていたのだった。発表では、アンリ・コルバンによる1 938年のハイデガーの翻訳を起点として、フランスにおけるハイデガーの翻訳の歴 史を辿ると共に、ハイデガー自身の翻訳論にも注目しながら、そこに秘められた諸問 題、例えば翻訳と隣接民族の対話との連関などに言及した。

 

テーマ:海軍

 

5月9日

立野正裕先生

(英米文学教員)

武器よさらば――2つの暴力にあらがって

 

【報告要約】

現代の戦争と暴力の問題を、非暴力主義の想像力によって考える試みの1つとして、Ernest Hemingway, A Farewell to Arms(1929年)を取り上げた。

この小説で際立たせられているのは、戦争と暴力の本質に関わる2つの面である。退却中に敵側のスパイと疑われ、即決裁判で主人公は憲兵によってあやうく銃殺されかかる。憲兵たちの無機質な非情さがことに印象的に描かれるが、これに先立つ場面もまた印象的である。主人公が指揮を取る救急自動車が動きが取れなくなったとき、手伝いもせずに立ち去ろうとする味方の兵士を、主人公は拳銃で容赦なく撃ち殺すのだ。憲兵同様、このときの主人公の行為も無機質で非情そのものである。

即決裁判による銃殺が軍隊の非人間的な理不尽さを現わしているとすれば、主人公の発砲行為もまた理不尽な非人間性の現われである。軍律の名のもとに主人公の上に行使されようとした暴力と、主人公の内側に巣くう暴力の発現とは、けっきょく同根のものである。戦争という条件のもとで、これら2つの理不尽さが表裏一体をなして一挙に人間を支配する。作者のその洞察をこそ、今日の読者は読み取らなくてはならない。 

 

小林瑞穂

(日本史専修)

水路部創設者・柳楢悦について

 

【報告要約】
 本報告では、海軍水路部創設者であり初代水路部長であった柳楢悦の業績と、後年水路部内で行われた柳の顕彰について考察を行った。 1832年(天保3年)に津藩藩士・柳家に誕生した柳楢悦は、幼少時より集中的に和算を学び、1855年(安政2年)に幕府設立の長崎海軍伝習所に入学を許され、オランダ海軍士官より西洋式の測量術や数学を学んだ。1869年(明治2年)に伝習所同期の川村純義(後の海軍卿)や五代友厚らの推薦によって兵部省御用掛(測量担当)となった柳は「海軍ノ創設ハ必ス航海測量ヲ基トス」と、海軍内における海洋測量の重要性を主張した。1871年(明治4年)、兵部省海軍部に「水路局」が設置されると柳は局長(初代部長)となり、お雇い外国人による技術指導の行われない中で、測量・海図作成等の水路業務を修得・確立し、1888年(明治21年)まで水路業務にあたった。 柳の死後、関東大震災による柳楢悦関係資料の焼失を契機として、水路部内で柳に対する関心が高まり、1930年(昭和5年)に胸像除幕式という形で水路部において顕彰が行われるに至った。柳が創設時に掲げたとされる創業方針が登場して強調され、顕彰以降の水路部における柳楢悦は、初代部長としてだけではなく「外国人の手を借りず、困難を排して水路部業務を確立させた」人物としてイメージが固定化されていく。

 

テーマ:シェイクスピア

 

5月23日

徳植隆真

(独文学)

ゲオルグ・ベンダの『ロメオとユーリエ』
-シェイクスピアとドイツ音楽  

 

【報告要約】
 
本発表ではゲオルグ・ベンダのオペラ『ロメオとユーリエ』について、特に音画技法の観点から考察した。 シェイクスピアとオペラというと、たいていの場合、イタリア人作曲家ヴェルディが思い浮かぶ。しかしドイツにもシェイクスピアを題材にしたオペラは数多くある。 というのもドイツでは早くからシェイクスピアが受容されていたからである。ゲオルグ・ベンダの『ロメオとユーリエ』は最初期に作られたシェイクスピアオペラの一つである。 しかし原作通りの結末を迎えるわけではない。舞台上では誰も死なないからである。これは当時の観客が感受性豊かであったためとされている。 このオペラの音楽的特長としては音画技法があげられる。音画技法とは言葉と音楽の相互作用に重点がおかれる技法で、自然や感情を表現する時に用いられた。 今回はとりわけこのオペラの中の2幕フィナーレ、ユーリエのアリアを扱い、考察した。

 

中村俊彦

(英文学)

シェイクスピア『ジョン王』:“commodity”をめぐって

 

【報告要約】
『ジョン王』は、中心人物の不在や構成面での弱さゆえに失敗作と評価されがちであった。本発表では、これらの特性をあえて構築された劇構造として捉え、当時の経済危機と絡めて解釈した。額面価値という誓約を反故にし、自らの利益を追求する国王ジョンと父王の乱世に「秩序という形を与える」者としての息子ヘンリー三世という親子の関係は、悪貨鋳造によるインフレーションを引き起こしたヘンリー八世と、貨幣価値を回復し、経済危機を克服したエリザベス女王の関係とアナロジカルである。本作品が制作されたとされる1590年代、イングランドはまたもや経済危機に直面した。そのような危機の時代、エリザベスは次第に議会との対立を深めていった。そのような歴史的背景に照らして『ジョン王』を解釈すれば、「秩序という形を与える」者としてのエリザベスに再度経済危機からの脱却を期待する一方、議会との対立にみられるような、“faith” よりも “commodity” を追求する政治は、国政の迷走を生み出しかねないという警告とも考えられる。

 

文化継承学・合同授業

 

6月13日

佐々木先生

(考古学専修)

アメリカ合衆国国立スミソニアン研究所人類学研究報告と合衆国考古学の位置付け

 

【報告要約】   

 ヨーロッパ・アジア諸国では考古学は歴史学の一分野と位置づけられているが、北アメリカでは、民族学・自然人類学・言語学と並び人類学の一分野である。これは、北アメリカ考古学の研究対象が、自分たちの祖先ではない、先住民族の文化であるという前提があるからだ。今回の発表では、アメリカ合衆国国立スミソニアン研究所の人類学研究報告の内、1887年から1967年まで200回に亘り刊行された「アメリカ民族学局紀要 Bureau of American Ethnology Bulletin」の内容・構成を具体的に取り上げ、他地域の考古学研究との共通性・差異を探ってゆきたい。

 

合田正人先生

(仏文)

文化継承学の意義、方法論、および学問としての構築

 

【報告要約】   

  二十世紀哲学の諸潮流が言語学の成果をふんだんに採り入れて展開されたことはよく知られているが、そうした合流が形成する渦巻きのごときもののなかから、ミシェル・フーコーのいう「知のアルケオロジー(考古学)」、ジャック・デリダのいう「グラマトロジー(文字学)」など極めて刺激的な方法論的試みが生まれた。「知のアルケオロジー」はアナル学派など当時の歴史学の趨勢を意識して提起されたのだったし、「グラマトロジー」は土器の紋様や漢字の分析等もその射程に収めていると考えられる。これらの方法を紹介することで、「文化継承学」の、多様ではあるがどこかで連繋したあり方を探りたい。

 

テーマ:家族

 

6月27日

唐澤聖月

(日本文学)

志賀直哉「雨蛙」について

 

【報告要約】
 
本報告では、志賀直哉の短編「雨蛙」(1924.1)が執筆、発表された前後の状況について考察した。「雨蛙」についての作者自身の言を見ていくと、同時代の批評家に対して意識的であったことや、自分自身と作品世界とを直接に結びつけて考えられたくない という気持ちがあったことがわかる。作品成立事情から、「雨蛙」は「暗夜行路」との 比較において考えられることが多かったが、「暗夜行路」のほかにも「雨蛙」と同年に 発表された「転生」も視野に入れた。志賀作品には、夫婦をテーマとしたものが多くあるが、これらの三作品の中には、文学と夫婦という共通項が見出せる。この当 時文壇を賑わせていた「私小説」との関わりから、文学と夫婦とは作者志賀直 哉の問題でもあった。そういった影響を受け、この時期の志賀が文学の悪しき面を意識 していたことが作品に表されていることを指摘した。

 

小谷奈津子

(仏文学)

パトリック・モディアノ『ある青春』−不在の両親の影

 

【報告要約】
 
モディアノ作品において、頻繁に父親や母親の存在が仄めかされるが、実際、その両親は不在の対象でしかない。仮に両親が登場しても、「家族」の要となる存在ではなく、常に不可解な存在である。『ある青春』は、モディアノ作品には珍しく冒頭でごく平凡な「家族」の姿が描かれるが、両親の不在というテーマは、物語の隅々に深く浸透している印象を与えている。本発表では、この作品の中で、二人の主人公のそれぞれの両親がどのような経緯で姿を消したのかを示唆する場面を確認し、両親が、主人公、副登場人物、そして物語の主要舞台であるパリに、どのような暗い影を落としているのか、順に考察した。貧窮する若い主人公たちは、売春や不正取引に手を染め、ドイツ占領下のパリに暮らした両親の姿と重なる。また、周囲の人物たちも揃って胡散臭い過去を引きずっている。パリの両親縁の地は、占領期の記憶の場所でもあり過去と現在を繋ぐものの、時間の経過によってもたらされた変化がより一層深い喪失感を作品に与えている。最後に、作中に散りばめられた循環のイメージについて指摘した。

 

テーマ:変態

 

7月11日

竹内聡

(仏文学)

ジャン・ジュネ作品における倒錯/悪

 

【報告要約】
同性愛作家・泥棒作家として知られるジャン・ジュネの作品における倒錯について、ジャン・ポール=サルトルが『聖ジュネ』において提起する定義―善が存在であるのに対して悪は存在の否定であり、それ故仮象である、そして仮象は想像力にかかわっている―から出発することで考察を行った。考察の対象としてはジュネが監獄の外を初めて作品の題材とした初期の小説『葬儀』を取り上げ、作中に見られる現実界と想像界の交錯を、特に戦後間もないフランスでスキャンダルを呼ぶことになる語り手=ヒトラー=ジャンヌ・ダルクという同一化の過程をたどることでジュネ作品における現実に対する仮像と悪の問題に取り組んだ。フランス語《perversion(倒錯)》の語源であるラテン語《pervertir》が意味するところの「まずい方向に変える・テクストを偽造する」をジュネ作品に当てはめるならば、その倒錯性と悪は現実の変容をテクスト化するものであるという仮定のもとに、ジュネによるテクストの発生過程を辿ることが可能になると思われる。   

 

太田翼

(日本文学)

志賀直哉『濁つた頭』論

 

【報告要約】

常に「性慾」というキーワードを軸として解釈される志賀直哉の『濁つた頭』であるが、その「性慾」の内実については十分議論されてきたとは言い難い。そこで本発表では、この作品における「性慾」の描写と執筆当時の性をめぐる言説空間をともに検証した。すると、この作品の執筆された時期がちょうど「性慾」の価値の下落する一時期であったことが判明した。つまり「性慾」の価値の転換期における男性性の不安を描き出したのがこの作品であったといえる。以上のことを考えれば、明治四四年の日記にある「ミダラでない強い性慾を持ちたい」という記述も、従来解されてきたように「性慾」に振り回されない自分を持ちたいということなのではなく、「性欲」を正当化する論理の復権を願った言葉であったと考えられよう。  

 

テーマ:近代演劇

 

9月24日

神山先生

(演劇学)

「日本演劇史」の成立

 

【報告要約】
 
日本の近代化の流れの中で、「美術史」「文学史」等々が、隣接分野で書かれる時代に、「演劇史」がどのように意識され、叙述されるかをとり上げた。まず、近代以前の各分野に見られる「名人列伝」風の挿話の連続による魅力的な叙述が、何故近代には不足と感じられるのかを考えた。次に、日本の「演劇」が他の分野と異なる特殊性を踏まえたうえで、西洋の演劇史の発展史的叙述や、有効性や意義を前景化する歴史的叙述によって失われるものの意味も探った。最後に、近代日本で最初のまとまった「演劇史」である、伊原敏郎の『日本演劇史』三部作の、特質に言及した。   

 

テーマ:教育

 

10月10日

武井望

(西洋史)

フィリピン歴史教科書における革命像

 

【報告要約】
 
本報告では、アメリカ統治期のフィリピンにおいて教育長を務めたD.P.バロウズの著による歴史教科書を中心に、フィリピン革命をめぐる「植民地言説」の形成について検討した。
 バロウズが1905年に執筆した高校用歴史教科書は、まず歴史の意味について説明し、次いでフィリピンの各人種・民族について論じている。それらを通じて、バロウズはフィリピンが外界からの文化の流入によって発展したことを主張する。こうした主張を行なった上で、バロウズはスペイン、さらにはアメリカによるフィリピン統治について論じている。そこでは、バロウズはフィリピン「革命」を認めない。そして、フィリピンの指導者として、スペイン統治下での改革運動を提唱したホセ・リサールを称揚する。こうした記述には、フィリピンに文明をもたらす者としてアメリカを位置づけるために、民衆の支持を得た「革命」の存在を否定する言説が内包されていたと言える。   

 

藤田怜史

(西洋史)

アメリカ歴史教科書における原爆投下
―historical thinking の養成と、教育の社会化機能について―

 

【報告要約】
 
本研究の目的は、教育社会学において説明されている、歴史教育の生徒たちに対する社会化の機能と、アメリカの歴史教育における重要な理念である歴史的思考(historical thinking)の養成を、歴史教科書における原爆投下に関する記述と関連づけて考察することにある。歴史的思考とは端的にいえば、ある歴史的事実について理解を深め、分析、解釈を試み、さらには意思決定を追体験するというものである。そこではある出来事について問題設定をし、議論し、多角的な視野を身につけることが奨励されているが、本研究では特に原爆投下問題について焦点をあて、そこで提示されている議論の枠組みについて検討する。その際注目するのが教育の社会化機能であり、教育を通して原爆投下問題に対してある程度「画一的」に考える人々が多く輩出されることを、議論の前提とする。それによって、原爆投下に関する教科書の記述、提示される問題提起、議論の枠組みなどを分析することによって、教育を受けたアメリカの人々がどのような観点から原爆投下問題を考える傾向にあるのかが明らかになると考えている。   

 

テーマ:ミスティシズム

 

10月24日

吉田遼人

(日文)

萩原朔太郎「猫町」試論

 

【報告要約】
「猫町」(昭和10年8月、『セルパン』)は、萩原朔太郎がもはや詩作を試みなくなった時期に発表された小説である。本発表では、この物語をとおして、語り手の「私」、そして作者・朔太郎の訴えるものが一体何であったのかを探った。幻想文学として高い評価を得てきた「猫町」であるが、その物語構造は、幻想性が仮構されたものにすぎない事実を強く印象づけている。その運びを分析すると、「私」の真意は《猫町》の実在を唱えることになく、それをとおしてみずからを「詩人」として呈示することに重きを置くように映る。そのように「詩人」という記号に固執する「私」の姿こそ、実は「猫町」発表当時の朔太郎自身と同調するものにほかならない。『月に吠える』(大正6年)、『猫』(大正12年)といった詩集で名高い朔太郎は、『氷島』(昭和9年)以降、「詩」を生まない/生めないが、それでもなお彼は「詩人」たろうとしたからだ。ここから眺め返せば、「猫町」という「小説」は、「私」/朔太郎が自身をあくまで「詩人」として打ち出す物語だったことに気づくだろう。だとすれば、次の伊藤整の評価こそ、「私」/朔太郎に強く響くものとなったはずである――「「猫町」はどこまでも詩人の散文であつた」。   

 

桂真

(演劇学)

「演劇」と「美術」の接点
〜明治30年代の関西の新演劇を中心に〜

 

【報告要約】

本発表では、新劇勃興以前、明治30年代の関西新演劇と「美術」の接点に着目し、歌舞伎とは異なる「演劇」の形成上、新演劇が与えた影響を検証する。旧劇的手法で西洋戯曲を「強引に日本化」したと批判されがちな翻案劇を、当時の新演劇は度々上演し人気を博した。在阪中の喜多村緑郎は「三碧会」なる文化人らの指導の下、ユゴ―の翻訳劇風上演に挑むが失敗。翻案劇『マクベス』では成功した。洋画家浅井忠の背景画と最新の照明技術により、19世紀的な写実主義の舞台を創造し観客を驚かせたのだ。浅井は京都静間一座でも背景画を担当、更に京都高等工芸学校の学生に意匠研究の一環として背景画製作を手伝わせた。浅井の指導は女形の髪型や衣裳にも及んだ。マクベス夫人の扮装はサージェントが描いたエレン・テリー像を思わせ、浅井が留学先フランスで接した女優の影響、ア―ル・ヌーヴォーの雰囲気が感じられる。その「新しさ」を観客は「非近代的な」翻案劇や女形の身体を通じ実感したといえる。 

 

テーマ:図像

 

11月7日

奥美穂子

(アジア史)

『祝祭の書』にみる16世紀オスマン帝国のミニアチュール

 

【報告要約】
 
イスラームの有名な教義のひとつに「偶像崇拝禁止」がある。それゆえ一般に「イスラーム世界では絵画文化が発達していない」と考えられがちであるが、人物などを含む具象絵画は人目に触れることの少ない手書き本(写本)のなかで各時代や地域において存在し続けた。
 本発表では1582年にイスタンブルで催された「王の祝祭」の記録である『祝祭の書』(
Surname)のミニアチュールを事例とし、オスマン帝国における絵画の発展過程とその役割を考察した。オスマン絵画は同時代に隆盛を極めたヨーロッパ・ルネサンス絵画に比べ、一見するとユニークで技術不足に見られがちである。しかし、当時の社会において絵画が担う役割を再考すること、あるいは力点を入れて描かれていたのはどのような部分であったのかという点に注目することで、その芸術的・史料的価値を改めて評価できると考える。 

 

村島彩加

(演劇学)

江戸児(えどっこ)の面影
-五代目尾上菊五郎と森山写真館-

 

【報告要約】
五代目尾上菊五郎(1844〜1903)は、最初に舞台姿を撮影した歌舞伎役者だと言われている。
写真術伝来以前に生を受けた彼は、従来の役者の肖像の表現形態である錦絵だけでなく、数多くの演劇写真も残している。そんな彼の演劇写真撮影を、明治12年から一手に引き受けていたとされる森山写真館については、写真館創設当初の同業者との諍いが原因か、あまり資料が残されていないため、これまで殆ど詳細が知られていなかった。しかし、五代目尾上菊五郎という明治期を代表する名優のひとりを、その後半生に渡って撮影し続けた森山の功績は大きい。
又、五代目菊五郎は、同時代の名優・九代目市川團十郎と比較すると、写真撮影に対する意識や、その利用法において、前時代的な感覚を持っていたことが窺える。そこには、江戸以来の世話物を得意とし、その死に際して「江戸児の生粋」と称された五代目の芸質とも相通じるものがあると考えられる。
   

 

T/U合同授業

 

12月5日

尹 在石

(日本文学専攻 客員教授、

韓国・HANBAT大学校教授)

韓国における石川啄木の受容について

 

【報告要約】

  韓国にはじめて啄木の作品が紹介されたのは一九三二年「はてしなき議論の後」の翻訳である。これより先の一九二四年には「はてしなき議論の後」の影響と思われる「白手の嘆息」が作られたこともある。以後、一九六〇年金竜済編訳『一人で行く  石川啄木詩歌集』が紹介されてから孫順玉訳『石川啄木詩選』に至るまで数は少ないが持続的に翻訳された。

また、大学の講義用として啄木入門書や解釈付の詩歌選集なども作られている。これらは主に日本語文学を専攻にしている学生のためのものである。

一方、啄木文学は研究の対象として受け入れられていた。韓国では一九七〇年代初期大学院に研究課程が設けられ、日本語文学研究が行われる。そして、一九八〇年代に入ってから、数は少ないが啄木研究も行われるようになった。なお、同じく一九八〇年代に入ってから学位論文も書かれるようになった。

以下、これらについて触れて見たい。本稿を作成するにあたって、対象にした書物は韓国で発表されたものに限った。

 

韓 昇 (史学専攻アジア史専修、客員教員。中国復旦大学歴史系教授)

冊封、羈縻と朝貢

 

【報告要約】
                 文化継承学T参照

 

テーマ:演劇

 

12月19日

新沼智之

(演劇学)

ヨーハン・ヤーコプ・エンゲルの演技論

 

【報告要約】
   
ヨーハン・ヤーコプ・エンゲルの『演劇身振りのための理念』(一七八五―八六)について分析した。まずは、彼の分析手法の基盤となる当時流行の観相学について、そして当時の観相学の演劇への適用について考えた。観相学の演劇への適用は、自然な「身振り」を分析するのに非常に役立つものであったが、それは概して演技を固定化することに向かっていた。そして次に、その時期に新たな潮流として台頭してきた市民劇理論について考えた。そこには、俳優の芸術が空間芸術と時間芸術の双方に依存しており、時間空間構造の中で演劇を捉えていく当時の見方があった。そして最後に、そこからさらに彼が、演劇とはどういう芸術であると考えていたかを彼の著書から探ることで、彼自身が影響を受けた観相学的分析と時間空間構造上という着想の双方の立場を止揚する彼の演技論について考えた。

 

井戸田先生

(独文学)

多和田葉子の戯曲 "Pulverschrift Berlin"を読む

 

【報告要約】
"Pulverschrift Berlin“の登場人物や場の設定が能・狂言に基づいていることを明らかにし、多和田における能・狂言への接近の仕方について分析した。また、演技の場へとワキと狂言方が進んでいくプロセスの台詞に、ベンヤミンのテキストへの連関を生み出そうとする多和田の技法についても報告した。ワキの役割を担っているのが失業中の女性、狂言方は韓国と日本出身のドイツ文学専攻の女子学生、さらにシテとしてナポレオン、クライスト、森鴎外を登場させるこの作品は、過去と現在を結ぶ実験的演劇である。特に副題に Fr Luise“とあることは重要であり、作品全体がプロイセン王妃ルイーゼの鎮魂となっている構造に注目した。  

 

テーマ:出版

 

2009年

1月9日

吉田達矢

(アジア史)

カラマン・トルコ語逐次刊行物『東方の諸学に関する学校
ΜΕΚΤΕΠΟΥΛ ΦΙΝΟΥΝΙ ΜΕΣΡΗΚΗ』に関する一考察

 

【報告要約】
 本報告では、1849〜50年に刊行された、カラマン・トルコ語(ギリシア文字で書かれたトルコ語)逐次刊行物『東方の諸学に関する学校』の概要と内容を紹介し、同時にその著者・編者であったエヴァンゲリノス・ミハイリディスの思想についても若干の考察を試みた。
 『東方の諸学に関する学校』の内容は、アナトリアの町や世界の国々の地理、音楽や詩、鉱物や天文学などの自然科学や人文学など、多彩な記事がみられる百科全書的なものであった。各記事とその題名を踏まえると、『東方の諸学に関する学校』は、カラマンル(カラマン・トルコ語話者である東方正教徒)の学校で利用されるために出版されたと思われる。またその記事内容からは、エヴァンゲリノスが単なる文筆家ではなく、敬虔な東方正教徒である一方で、信仰(宗教)よりも知識の獲得を重要視する啓蒙家であったことも確認できた。そして、彼の啓蒙活動の目的は、あくまで「アナトリアのキリスト教徒」として発展することであった。

 

本間美奈

(西洋史)

福音主義と仏訳詩篇をめぐる16世紀出版業者ネットワーク

 

【報告要約】
 
本報告は、宗教改革期のフランスと低地地方における、旧約聖書「詩篇」の仏訳・出版の経緯を通じて、両地域の福音主義運動と出版界の関係を考察することを目指すものである。その準備作業として、ジュネーヴ改革派教会とリヨンの大書籍商A.ヴァンサンの関与のもとで、1562年以降、ジュネーヴ、リヨン・パリ、アントウェルペンなど各地で『詩篇歌』が多数、出版されていった状況をみた。この事例からは、ヴァンサンはジュネーヴ、リヨン、パリの改革派の‘つて’で『詩篇歌』を普及させようとしたが、パリやアントウェルペンといったカトリック地域では、むしろ改革派ではない業者の方が、『詩篇歌』の出版に成功したことが明らかとなった。今後の課題として、当時の社会における「読む」という行為の位置づけを考えるとき、詩篇を「歌う」ことの重要性に着目していた改革派や福音主義者の意図を意識することが必要と思われる。

 

テーマ:冷戦時代のアメリカ文化の影響

 

1月23日

林先生

(西洋史)

冷戦時代のアメリカ文化の日本への影響

 

【報告要約】
 
報告では、松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』(岩波書店、2008年)の内容に即して、第二次大戦後から1950年代のアメリカ合衆国の冷戦文化外交について報告を行った。その際、特にアメリカが単独で占領政策を実施した日本で、どのように「ソフト・パワー」を利用し、日本人(一般市民および知識人)にアメリカ理解を促進するための方策を展開したか、具体例を挙げながら説明した。1950年代に実施された東大・スタンフォード大学アメリカセミナーや京都アメリカ研究夏季セミナーが「親米派」の知識人を生み出すことにアメリカの目的があったこと、そのために財政的な支援が積極的に行われたことが明らかにされたことが興味深い点であった。また、このようなアメリカ側の「文化攻勢」のために、その後のアメリカ研究者やそのあり方に与えた影響についても筆者の厳しい見方を紹介した。

 

萩原先生

(仏文学)

P.キニャール『アメリカ軍の占領』のさまよえる亡霊

 

【報告要約】

1950年から67年まで、朝鮮戦争勃発後の冷戦体制のなか、フランスの41箇所にNATOの米軍基地が設置された。経済的文化的影響が大きかった駐留である。だが、1994年に、パスカル・キニャールがこの小説を発表し、翌年に映画化されたころには、この駐留はすでにフランス人の記憶から消え去っていた。作品は、ひとつの村を中心に、この地が見舞われた数々の占領のひとつと位置づけ、自然の災害と同様に襲うこの「占領」の持ついろいろな側面を、物質文明に憧れる子供の目や戦争を経験した悲観的な大人の目、ジャズに魅せられながらもいろいろな矛盾に悩む若者の目を通して描いている。ジャズとロックや視覚的なアメリカ文化、人種隔離の米軍とそれが巻き起こす対立が、キニャールのエクリテュールによって、列挙や急転直下に変転する記述、若いピアニストの鬼才を放つ考察や米軍人の英語などを駆使して、まるでジャズのセッションのような強烈なリズムとドラマをもって表現される。忘れ去られた時代のさまよえる亡霊を呼び戻す壮大なメタファーといえるが、1990年代の文化政策論争に一石を投じたものとも受け取れる。

 

2007年度はこちらよりご参照ください。
2006年度はこちらよりご参照ください。
2005年度はこちらよりご参照ください。

 

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