更新日2012/03/30

Cultural Heritage Studies

 

   文化継承学U 2011年度 年間プログラム

2011年度に行われている文化継承学の発表リストです。
随時更新して行きます

 

報告日

報告者

タイトル

 

テーマ:

 

2011
5
27

藤田怜史
  (西洋史)

米新聞報道における原発事故とヒロシマ・ナガサキ
―フクシマとチェルノブイリの比較検討―

 

【報告要約】 何か非常に象徴的な出来事の発生に際し、過去の出来事が象徴的に想起されることがしばしばある。本報告では、2011311日の東北沖大震災に伴って起きた福島第一原子力発電所事故に関連して、アメリカにおいて広島と長崎がどう想起されているのかを、チェルノブイリ原発事故のケースと比較しながら検討した。全体として、両原発事故に際して原爆投下問題が想起されることは少なかったが、その中で特徴的だったのは、放射線障害のレファレンスとして、広島と長崎のケースに具体的に言及されていた点である。批判的な意見もあったものの、どちらかと言えば放射線に対する認識と実際のギャップが指摘され、安堵感を提示するための材料として、広島と長崎が引き合いに出されていたのである。その結果として、広島と長崎への原爆投下による長期的放射線障害の問題が深刻ではなかったというイメージが付与されている。とはいえ、原発事故報道全体における広島と長崎の位置づけを考慮すれば、チェルノブイリと福島第一原発の事故がアメリカ社会における原爆投下への認識に与えた影響は、きわめて小さいものであったと推測される。

 

 

穴井佑
   (西洋史)

17世紀イングランドにおける「ユダヤ教化のトラスク」像
――その構築過程と意味を考察する――

 

【報告要約】 さまざまな宗教的・政治的な逸脱によって17世紀前半のイングランド社会を騒がせたジョン・トラスクという人物が、「異端のカタログ」や「難語解説(辞書)」によって、「ユダヤ教化のトラスク」として表象されていく過程を考察した。そこからは、17世紀イングランドにおいて、ある人びとを特定の異端として対象化することは、統治の枠組みの境界を可視化していくことにもつながっていたのであり、トラスクを「ユダヤ教化のトラスク」として描くこともまた、そうした試みの一環であったことを明らかにすることができた。キリスト教徒が、宗教改革の情熱から聖書に忠実であろうとしたとき、神の言葉が直接記されたテキストとして、旧約聖書は新たな重要性をもつようになった。しかし,こうした聖書中心主義は、モーセの律法への傾倒を招くことによって、キリスト教社会の慣習や伝統を逸脱してしまう危険性もはらんでいた。その危険性が、「ユダヤ教化のトラスク」という異端者として,可視化されていったのである。

 

 

合田正人先生
 (仏文学)

「西周が問いかけるもの」

 

【報告要約】 西周(1829-1897)は「哲学」という訳語を作った思想家として知られているが、荻生徂徠と出会ってから幕府崩壊の最後まで慶喜に仕え、その後、森有礼らとともに明治の啓蒙思想家として活躍した彼の知的履歴は、「雑種性」を特徴とするわれわれの知性の構造について今何を語っているのだろうか。また、文芸評論家の小林秀雄は、なぜ西の「希哲学」という姿勢を高く評価し、それに対して、「希」を喪失した「哲学」の病的な孤独の典型的な事例として西田幾多郎の「奇怪なシステム」を捉えたのだろうか。そこには、朱子学それ自体の多様性、西訪欧時の西洋哲学の趨勢(ドイツ観念論の衰退と実証主義、経験論の台頭)、仏教、特に禅に対する新政府の対応など、きわめて多くの変数が作用していたと考えられる。大きな社会変動期の文化の継承をめぐる一つのケーススタディとしてこれらの点について概説し、文化継承学第一回に際しての問題提起とした。
 

 

 

 

テーマ:

 

610

黒崎周一
  (西洋史)

19世紀後半のイギリスにおける医療の権威と慈善
−リヴァプール・ホメオパシー診療所を事例として− 

 

【報告要約】19世紀のイギリスでは医師の専門職化と並行して,ホメオパシーなどの非正統医療が台頭していた。先行研究は,正統医療が国家の支援の下で専門職化を推進し,自由放任主義との軋轢を生む一方で,非正統医療がその対抗文化として台頭したと論じたが,非正統医療の地域社会での具体的な活動にはほぼ言及していない。そこで本報告は,リヴァプールのホメオパシー診療所を事例に,19世紀後半イギリスの医療の社会的権威を考察し,自由放任主義との関係を再検討した。ホメオパシー診療所は,貧困層の利益増進を第一に掲げ,時に正統医療の治療法も用いることで,市長などの有力者から支持され地域の病院基金にもの参加していた。医学理論の優劣ではなく,慈善への貢献が評価されていたのである。 つまり医師の社会的権威において慈善は重要な位置を占めていた。また慈善が公的救貧を抑制して自由放任主義を支えていたことを考慮すれば,医師の社会的権威は自由放任主義との間に親和性を有していたといえる。

 

 

荒木仁朗
  (日本史)

近世近代移行期における土地売渡と金子借用
―足柄平野農村を事例に―

 

【報告要約】本報告は、旧足柄下郡府川村(現神奈川県小田原市)を事例として、近世近代移行期における金子借用方法の段階的な変容(お金の金子借用および返済までの過程)≒質契約・債務関係の処理方法を考察した。その際、日本近世史研究において別個に統計処理的分析をしてきた金子借用証文や土地売買証文を結びつけて、個々の貸借関係に着目して借り手側の視点から分析することに留意した。そして、幕末から明治10年代まで連続して検討し、近世近代を分断させず、その債務処理実態を提示した。特に明治6年以降には債務処理の方法は、証文形式を変容させる形で変化していくが、返済できなくなると、貸借条件が異なる証文を作成し直す点は変化なく、債権者と債務者の関係を10年以上にわたり長期的に継続していた。いわば幕末から明治10年代において個々の債権債務処理の過程は、一枚の証文では完結しないで長期的に継続されるものであったと理解できる。

 

 

テーマ:

 

624

山本梓
  (日本文学)

「泉鏡花『誓之巻』考

――「母恋」と「妄執」の観点から――」

 

【報告要約】 観念小説で名を挙げ、近世戯作などに影響された怪奇小説や芸妓の登場する幻想的な作品で知られる泉鏡花であるが、恋情からくる「妄執」の醜悪さを前面に描いた作品も発表しており、こういった作品は初期に集中して描かれている。何故このように「妄執」のモチーフが繰り返されたのか。また、なぜある時期を境に描かれなくなるのか。妄執を描いた作品群とほぼ同時期に描かれており、のちの鏡花作品の幻想性や優美性に繋がると目されてきた「亡母憧憬」のモチーフとの関連から初期鏡花作品に描かれた「妄執」の意義を見出すことを目的とし、本発表では、初めて「母恋」のモチーフが描かれた作品であると同時に、「妄執」も描かれている『誓之巻』を検討し、主人公新次が「妄執」を自覚した直後に夢の中で盲人の知人・富の市の醜悪さを目の当たりにしていることから、新次の秀への慕情は「母恋」的である一方で、醜悪なものとして捉えていたことを明らかにした。

 

 

 齋藤弘崇
  (仏文学)

「ヤスパースとラカンのアンティゴネー論をめぐって」

 

【報告要約】

ソフォクレスの『アンティゴネー』についてはこれまでにもさまざまな批評家や哲学者によって解釈が提示されてきた。本報告では、同時代性を持ちうるふたつの「アンティゴネー論」、すなわちジャック・ラカンとカール・ヤスパースによる「アンティゴネー論」を比較することを試みる。ラカンは学位論文においてヤスパースを主な参照軸として取り扱っているものの、ラカンが自身のセミネールをはじめた50年代以降において彼の口からヤスパースの名前が出る機会は減っていく。しかし、ラカンが精神分析の領域に足を踏み入れようとするまさにそのときに参照していたヤスパースの理論がラカンの精神分析理論の背後に息づいているのかを探ることが本論のねらいのひとつでもある。

 ヤスパースとラカンの両者は、オイディプスとアンティゴネーの知のあり方をめぐって解釈の仕方が異なる。本論ではこの差異に注目しつつ、アンティゴネーをめぐる二人の思想の一端について考察するものである。

 

 

鳥居太郎
  (独文学)

多和田葉子『夜ヒカル鶴の仮面』における翻訳の問題

 

【報告要約】多和田葉子はドイツと日本で作品を発表し、デビュー作である『Nur da wo du bist da ist nichts (あなたのいるところだけなにもない)』や『文字移植』などの翻訳をテーマとして扱った作品やエッセイを書いている。その翻訳のテーマでは飛行機の移動や対岸への移動の表現に、言語の移動と結びつけている表現が見受けられる。本報告では、そういった題材と関連が見受けられる最初の戯曲作品である『Die Kranichmaske, die bei Nacht strahlt(夜ヒカル鶴の仮面)』を分析する。この戯曲はドイツ語版と日本語版があるが、内容的にはドイツ語版を中心に行った。というのも日本語版では削除されているプロローグの部分では登場人物の役割が語られているからである。また多和田はドイツ文学者としてチューリッヒ大学で博士号を取り、博士論文の中でW・ベンヤミンを取り扱っていることから、その中で表現されている翻訳のイメージがW・ベンヤミンの『翻訳者の使命』とどのような結びつきを持っているかを分析した。

 

 

テーマ:

 

78

菊地俊輔
  (仏文学)

絵画制作の諸段階:シミュラークルと主体の形成

 

【報告要約】 本報告の目的は、20世紀フランスの思想家ピエール・クロソウスキーの主要概念である「シミュラークル」と、その概念を用いることによる主体の変容、つまり、クロソウスキー的な方法について検討することであった。

 分析対象としては、『ルサンブランス』所収の絵画論、「裸婦の頽落」、「シミュラークルとしての絵画」の2篇のテクストを使用し、シミュラークルを中心とした主要な概念分析を行うことから始めて、「いかにしてシミュラークルとステレオタイプは区別されるのか?」という問いを立てることで、最終的にはシミュラークル概念を用いることによって主体が被ることになる変化にまで、その考察の射程を拡げた。

 具体的には、クロソウスキーが指摘する画家における絵画制作の諸段階を一つ一つ辿り直し、また、そこでの画家と鑑賞者における絵画の見方について確認するという作業を行った。

 今後の課題としては、今回扱ったテーマをクロソウスキーにおける論述の問題に接続しつつ、ドゥルーズ、フーコーにおけるニーチェ主義と関連づけ、発展させていくことなどが挙げられるだろう。
 

 

三野村京子
 (西洋史)

「イギリス初等学校の歴史教育

−導入時期の歴史読本分析を中心に−」

 

【報告要約】 本報告では、19世紀後半のイギリスにおいて、民衆向け初等学校に導入された歴史教育について、歴史読本の分析から考察する。当時、イギリスでは、国家が補助金の拠出とひきかえに教育内容に関与していくようになった。教育内容には、宗教教育を基礎とした読み書き計算に、他の必修科目・選択科目が追加されていったが、離学年齢が早いために、選択科目のひとつとして導入された「歴史」の学習機会は少なかった。そこで、さまざまな内容を扱った「読本」という教材を「読み方」の授業で読むことで、不足する学習分野を補うことが要求され、歴史の学習では「歴史読本」が頻繁に使用された。

読本は、スタンダードという学年に対応して発行された。歴史読本の内容を低学年/高学年用で比較すると、偉人伝などによる徳目的な内容を身につけた生徒が、議会制の発展やイギリス帝国の拡大など歴史的な内容を学習するという流れになっていたことが明らかになる。歴史読本を読むことは、読み方を学び、歴史上の偉人から徳目を学び、歴史それ自体を学ぶという多層的な学習を意味し、次世代を担う子どもたちを国民として取りこむためのひとつの方法として機能していたといえよう。

 

 

酒井晃
  (日本史)

戦後におけるナショナリズムとセクシュアリティ
 ―高橋鐡を中心に―

 

【報告要約】本報告では戦後日本社会を性という観点から考察をおこなった。戦後日本の性の状況をめぐって、ヴァン・デ・ヴェルデ『完全なる結婚』の完訳、アルフレッド・C・キンゼイの「キンゼイ・レポート」が出されたことによって、性を科学的に分析する枠組みが広がった。ヴェルデは夫婦の性交をマニュアル化、キンゼイは性「実態調査」というテーゼを打ち出し、戦後日本社会において性を「科学的」に分析する枠組みが広がった。二つの性の回路を引き継ぐ形で、戦後日本においては、高橋鐡がそれを具現化し、実行した。彼がおこなった「科学的」な性の分析とはどのようなものであったの、その位相を1950年〜60年代の著作を通じて明らかにした。高橋は大学や国家機関に所属することなく、「民間」で活動をおこなった。高橋はヴェルデの性行為のマニュアル化を一段と進め、また「キンゼイ・レポート」の手法を援用し、「実態調査」をおこなった。その際、高橋は日本の性表現について近代以降抑圧されていたという認識を持っており、そうであるがゆえに国家の性表現規制についてはたびたび批判をおこなった。その一方、近代以前の日本の性表現(春画等)を高く評価し、戦後の状況においても、公に翻刻や出版ができないことを批判した。高橋は近代以前の性表現を取り上げつつ、日本の優位性を言い募り、それによって国家権力との対抗関係を示した。

 

 

 

 

文化継承学T・U合同授業 「震災と文化継承

 

715

 

 

 

【報告要約】

 

 

 

 

 

【報告要約】
 

 

オリエンテーション

 

923

 

 

 

【報告要約】

 

 

 

 

 

【報告要約】
 

 

テーマ:

 

1014

佐藤清隆先生
(
西洋史)

「シク・ディアスポラと伝承(文化継承)
   ―多民族・多宗教都市レスターの事例から―」

 

【報告要約】本報告では、「シク・ディアスポラと伝承」の問題を、イギリスの多民族・多宗教都市レスターの「グルドワーラー」と呼ばれるシク寺院の形成と発展を通して考察しようとした。イギリス在住のシク教徒は、主に戦後インド(独立前は英領インド)のパンジャーブ地方か東アフリカ(ケニア、ウガンダ、タンザニアなど)から渡ってきている。そして1960年代頃から、彼らの「故郷」のように、彼らのコミュニティの社会的・宗教的「核」としてグルドワーラーをオープンしてきている。レスターには、現在、1万人以上のシク教徒が居住し、9つのグルドワーラーが存在する。これらのグルドワーラーは、どのようにして形成され発展してきたのであろうか。通常、その主な理由として、シク人口の増加が指摘されているが、その形成と発展はそんなに単純なものではない。一方では、彼らの「故郷」のカースト制、シク宗派、政治などに深く影響されながら、他方では、イギリスの多文化主義政策などに乗りながら、こうしたグルドワーラーが形成され、発展しているのである。シク教徒も一枚岩として捉えるのではなく、多様化・多層化・グローバル化が進み複数のコミュニティ集団として捉え直し、これら集団間の歴史的プロセスを、イギリス国家や都市の多民族・多宗教統合との関連で再考していくこと求められているのである。これらの検討を通して、シク概念が改めてイギリス社会で再構築されていくプロセスも明らかになってくるのである。

 

 

太田亮吾
  (日本史)

戦時期日本の知識人論??「東亜協同体論」を事例に

 

【報告要約】本報告では、これまで戦争と知識人の関係を批判的に問う文脈で指摘されてきた代表的な人物であり「東亜協同体論」の主要な担い手であった三木清と、独自の論理で戦争を支持し「東亜協同体論」にも否定的な見解を示していた杉山平助という対照的な立場にあるふたりの知識人をとりあげることにより、知識人が戦時体制と結びつく過程において機能した知識人同士の相互規定的な側面を考察の対象とした。杉山平助は当時の代表的な評論家のひとりであったが、日中戦争を契機として、侵略戦争であることを肯定するとともに、戦争に対して消極的である知識人の態度を非難するようになる。こうしたなか、杉山による知識人批判に反論したのが三木清であった。三木は戦時下においても知識人固有の役割や自主性は伸ばす必要があると主張して、杉山が清算しようとした知識人の現状のあり様を肯定するところから戦争との関わりを探ろうとする。三木における「東亜協同体論」はその延長線上に位置づけられるものであった。以上から本報告では、三木清が戦争と交わる過程では異なる論理と立場から戦争と結びついていた杉山平助の動向が媒介項として作用していたこと、またそのとき問われていたのは自己の存在とも深く関わる戦時下において知識人はいかにあるべきかをめぐる知識人論であったことを明らかにした。
 

 

テーマ:

 

1028

小山亮
  (日本史)

1920年代前半のメディアにおける天皇・皇族の可視的表象
―天皇・皇族の写真撮影をめぐる取締方針と『アサヒグラフ』における写真記事から〈胡散臭い視覚〉に寄せて―」

 

【報告要約】本報告では、同日の全体テーマ〈胡散臭い視覚〉のうちの一つとして、1920年代の日本のメディアにおける天皇・皇族の写真記事に関する研究を中心として検討を行なった。

 はじめに、19世紀における写真技術の発生と日本への伝達、「御真影」の作成など天皇・皇族と写真との関わりのあり方、また第一次世界大戦前後に現れた影響が1920年代の日本での写真及びをめぐる動向に変化を及ぼしたことを確認した。次いで、191020年代における天皇・皇族を撮影する際の取締方針の変遷をそれぞれの史料を確認することから検討を行い、その基準が徐々に緩和されたということ、その背景に新聞に掲載された天皇らの写真への欲求、またカメラの普及による一般撮影者の動向があることを論じた。併せて、当時のグラフ雑誌『アサヒグラフ』に掲載された写真からその変化を確認した。

 また、全体テーマ〈胡散臭い視覚〉に関連して、同時期における中小資本による絵はがきの印刷・販売について検討を行なった。

 

 

矢島國雄先生
(
心理社会)

コレクションとそのまなざし
−ルネサンスから17世紀科学革命期のmuseum

 

【報告要約】今日的なmuseumの成立は18世紀後半の大英博物館の創設やルーヴル宮の公開に求められるが、これらの先駆的な形態としてイタリアのstudiolo、仏英などのcabinet、ドイツ圏のkunstkammerwunderkammerといったコレクションがある。これらの中には、museo/musaeumを名乗るものもあった。

 本発表ではデカルト・ニュートン以後の近代合理科学の下でのmuseumとはやや異なった初期近代におけるコレクションがどのような基礎原理に基づく収集と展示を行っていたものかを問題にした。

 今日の目から見ると、いかにも雑多なモノの集積であったり、珍品奇物に偏ったコレクションであったりするこうしたcuriositiesだが、その「まなざし」は、神秘主義、魔術、錬金術の世界にあっては世界を理解するうえで妥当でもあり、かつ優れたコレクションとして評価されるものであったし、そうしたコレクションを保持することが、社会的、文化的権威となっていたことが確認できる。
 

 

中村俊彦
  (英文学)

初期近代映像論争
Stephen Gosson Philip Sidney

 

【報告要約】今回の発表では、Stephen Gossson Plays Confuted in Five Actions (1582) Philip Sidney The Defence of Poesy (推定創作年代15802、出版1595) を取り上げ、初期近代イングランドにおける映像論を考察した。Gosson は、演劇を虚像、さらには偶像であると非難し、映像情報よりも活字情報を重要視することで、自らを演劇における偶像破壊者と位置付けている。一方 Sidney は、詩を絵画に喩える「詩は絵画のようにut picture poesis」の伝統を前面に押し出すことによって、詩の弁護を行っている。両者がそれぞれの映像論を書き上げた時代は、演劇文化が開花して一大マスメディアに成長した時代であると同時に、宗教改革に端を発した映像嫌悪が激化した時代であった。両者の映像論は、そのような時代にあって、映像が強大な力を有しているという考えに対する、まったく異なった反応の仕方であり、コインの表裏的な関係にあると言うことができる。

 

 

テーマ:

 

1111

大石直記先生
  (日本文学)

「〈身を投げる女〉の表象

――〈世紀転換期〉における再生する古伝承」

 

【報告要約】外と漱石とが日本文学の近代化のために果たした役割の大きさは、今では自明のこととされている。確かに両者はそれぞれに、正に〈他者〉としての西欧近代の文学・思想・芸術と厳しく対峙しつつ、日本における新たな文学の行方を模索し、その創造に大きく寄与した。しかし、〈世紀転換期(Jahrhundertwende)〉西欧との関係を、同時代的に生き抜いた両文豪の連携し合う位相については、ほとんど知られることがない。ここでは、両者が、東西の文化を高次に架橋するべく、どのように協働し合ったかを、両者の創造行為の具体相における密やかな応答の裡に見出すことを試みた。その際、鍵としたのは、古くは「万葉集」の昔から、日本人の心性(Mentality)の歴史に深く食い入り、強く根ざし続けた〈身を投げる女〉についての古伝承が象徴的に体現する、日本に固有の根源的な伝統的倫理性へ向けての深い〈問い〉のかたちであり、かつまた、〈近代〉という時代におけるその蘇生・再生のありようである。そのことへの考察をテクストに即し深めることを通じて、両者が、見失われ行く古伝承にいかなる変形を加えつつ、これをいかに継承しようと試みたか、その痕跡を発掘し、21世紀初頭の現在時において問題化しようとした。

 

 

金澤典子
 (日本文学)

「身を投げる女」の系譜と作り物語

 

【報告要約】近代日本文学にも大きな影響を与えた生田川伝説が中世までの文学にどのように取り込まれたかをみる。生田川伝説は古くは高橋虫麻呂と田辺福麻呂によって詠まれた(『万葉集』巻九)。そこでは処女の死の選択はその恋が禁断であったためと知らされるのだが、平安時代の『大和物語』は、女がいずれの男を慕っていたか、そもそも彼女が男たちに心を寄せていたかを表現しない。これは『大和物語』の文学の成り立たせ方であった。『源氏物語』は『大和物語』の描いたそのような生田川伝説をプレテキストとして取り込み、浮舟の物語を作り出す。女が自分の意志で新たな生を歩み出す物語である。生田川伝説の自死は再生の物語に捉え直され、平安後期物語『狭衣物語』の飛鳥井女君として再生産され、中世の作り物語においても、二人の男の求愛に結論を出した後に力強く生きる女像として継承されていく。中世の作り物語においては入水による自死の試みは少なくなるが、仏教の浸透によって入水が往生の手段となったことに起因するだろう。
 

 

テーマ:

 

1125

神山彰先生
(
演劇)

「近代日本演劇と関西モダニズム」 

 

【報告要約】1920年代の東京で人気を博した演劇ジャンル、新国劇・宝塚・曾我廼家喜劇は、なぜ、関西起源か、当地で喝采されたものだったのか。その不思議さの一端を考える際に、「新劇」や「築地小劇場」を基軸にしては、「東京の影響としての関西」という東京中心的で退屈な反復に終わる。モダニズム演劇の盛り込み的な生動感を感じるには、表現主義戯曲を先駆けて演じた新国劇や上記の「商業演劇」を見るべきである。それが見過ごされる、東京在在の高学歴の若い世代の経験がその時代の演劇として語られ、興行の成功、人気という側面が蔑視され、芸術的成果だけが自立、純粋なものとして語られるからである。モダニズムの特徴は、無国籍性と複合性と躍動感にある。レヴューや少女歌劇や浅草オペラは、その特性を備えている。一方、当時は江戸趣味や上方趣味への純粋志向もあり、関東大震災がそれを攪拌した。ノスタルジアと未来志向という要素も加えて、更に考察を進めたい。

 

 

村島彩加
  (演劇)

「役者の顔の表現
 ―川上一座欧州巡業の影響について―」

 

【報告要約】現在では当然のように演技の一部として受け入れられている、役者の顔の「表情」は、明治30年代以降、急速に注目が集まり、研究の必要が叫ばれたものである。そこで本報告では、明治32年(1899)〜同33年(1900)と同34年(1901)〜35年(1902)の新演劇川上音二郎一座の欧州巡業に参加した()()(しゅん)(しょ)(当時は劇評家、後に役者として活躍)が見た西洋の演技における「表情」とは如何なるものであったのか、そして彼はどのようにそれを紹介したのかということと、川上音二郎の妻・貞奴が、帰国後のメディアにどのように取りあげられたかということを中心に、明治末期の役者の演技において、特に「表情」が注目され始めた初期の状況について検証を行った。

  特に土肥春曙の紹介した西洋の「表情」は、当時欧米の俳優教育に導入されていたデルサルト・システムとの関連がうかがわれ、近代日本における俳優教育メソッドの形成の過程を知る上で、非常に興味深いものであり、今後の研究の一助となると思われる。

 

岡本光代
  (演劇)

大正期「宗教劇」の流行
−十三代目守田勘弥と武者小路実篤作品上演を中心に−

 

【報告要約】明治末期から昭和初期にかけて活躍した歌舞伎俳優十三代目守田勘弥は歌舞伎においては二枚目役者として評判が高かったが、歌舞伎に限らない活動をしており、その中で特筆すべきものが大正四年から文芸座による活動であった。勘弥自ら主宰したこの文芸座、また文芸座での活動が買われ大正八年より所属した帝国劇場での特徴は、武者小路実篤の作品を多く取り上げたということである。武者小路は数多く戯曲を執筆したが、勘弥が取り上げた作品は「宗教的」色合いの強いものが多かった。なぜ、勘弥は武者小路作品の中でもそうした色合いの強いものを取り上げたのか。それは勘弥自身の持つ「英雄」や「苦悩する人間」ではなく「身近な人間」というイメージが、武者小路作品の宗教的な作品といえども登場人物自体は人間らしい悩みを持ちながら活動をしているという箇所と合致したからではないか、ということについて考察した。

 

文化継承学T・U合同授業 



  

122

小山亮
   (日本史)

明治大学平和教育登戸研究所資料館の取り組みから〈文化継承〉に寄せて―資料館の展示構成・書籍『登戸研究所資料館の世界』・企画展「風船爆弾の風景2011」を足がかりに―

 

【報告要約】本報告は、明治大学平和教育登戸研究所資料館の取り組みを以下の3つに分けて紹介したものである。

 @明治大学平和教育登戸研究所資料館の概要と展示構成、これまでの活動実績の紹介。

 A2012年に刊行が予定されている『登戸研究所資料館の世界―キャンパスに残された戦争の記憶―』(仮)の概要の紹介。

 B20111012月に開催された、2011年度企画展「風船爆弾の風景2011」の内容の紹介。

 

 

 

 

 

【報告要約】
 

 

テーマ:

 

2012
1
13

本庄十喜
  (日本史)

スガモプリズン関係史料からみる50年代<都市>の一断面

 

【報告要約】アジア太平洋戦争終結後、主に日本の指導者層を裁いた東京裁判とは別に、「通例の戦争犯罪」(=B級戦争犯罪)を対象にしたBC級戦犯裁判が連合国各国により行われた。当裁判の被告数は5,700名(死刑確定者934名、無期・有期刑3,419名)、そのうち当時「日本国民」であった植民地朝鮮、台湾出身者も148名(死刑確定者23名)、173名(死刑確定者21名、事故死・自殺・病死などの獄死者5名)がそれぞれBC級戦犯として裁かれた事実を忘れてはならない。

国内外で逮捕された「戦争犯罪容疑者」を日本人・外国人の区別なくすべて収容したのが、現在池袋・サンシャインシティのある一画に存在していた「スガモプリズン」だが、本報告では、国立公文書館に所蔵されているスガモプリズン関係史料の内容を紹介することを通して、プリズン内の朝鮮人、台湾人戦犯の動向や彼らの要求事項をみることにより敗戦直後の「都市」の様相の一端を提示した。

 

 

蔡欣吟
 (日本文学)

連体形準体法と準体助詞―安永天明期・文化期の資料について

 

【報告要約】1775年から1785年の10年間の資料(以下、安永天明期資料)と、1805年から1815年の間の資料(以下、文化期資料)における連体形準体法と準体助詞ノの使用状況を調査分析し、時間の推移による両者の相違と使用の傾向を見出すことを目的とする。調査資料は、安永天明期資料は作品のジャンル別に見ると黄表紙と洒落本を、文化期資料は式亭三馬の手による『浮世風呂』と『浮世床』を用いた。調査の結果、以下のことが明らかになった。一、時代が下るにつれて、準体助詞ノの使用が口語から広がっていくことが言える。二、上接環境を見ると、準体助詞ノは口語的活用語に接続しやすい傾向がある。三、登場人物の発話からは、いずれの時期においても、男女ともに準体助詞ノを使用するが、安永天明期では男女による準体助詞ノの使用差がないのに対して、文化期では女性が比較的準体助詞ノを多く使用する。四、文化期資料だけを観察すると、準体助詞ノは中・下層の若年女性から使用が広がったことが考えられる。
 

 

野田学先生
  (英文学)

遠くから見て:バブル期繁華街としての渋谷

 

【報告要約】渋谷は80年代を象徴する繁華街だった。しかし90年代以降、低年齢層化が進んだ。渋谷に集まるこれらのコドモたちは、60年代の新宿に集まってきた地方出身者とは違って、主に渋谷発経由私鉄路線沿線の郊外住宅地から来る「メガ東京人二・三世」である。そして、90年代以降に集まってきた彼らは、 70-80年代に生まれ、就職難に直面した「就職氷河期世代」に属している。2004年、岡田利規の『三月の5日間』と岩松了の『シブヤから遠く離れて』は、ともにこれらの世代を、バブルを象徴する都市「シブヤ」を背景に描いた戯曲だ。この二本はともに渋谷繁華街の「辺境」にある円山町をフィーチャーしている(『シブヤから遠く離れて』の舞台は円山町に隣接する住宅地の南平台だが、ヒロインのマリーは円山町で客を拾う娼婦という設定である)。その意味でこの二本の芝居は周縁化された世代が、渋谷の周縁から80年代的「シブヤ」を見ている−−つまり世代的周縁性が空間的隠喩を伴って過去をふり返るという格好になっているのである。

 




2010
年度はこちらよりご参照ください。

2009年度はこちらよりご参照ください。

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