更新日2013/03/02

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Cultural Heritage Studies

 

   文化継承学U 2012年度 年間プログラム

2012年度に行われている文化継承学の発表リストです。
随時更新して行きます

 

報告日

報告者

タイトル

 

テーマ:

 

2012
4
27

穴井祐

(西洋史)

「17世紀イングランドの安息日論争とユダヤ教化主義者」

 

【報告要約】 

本報告では、1630年代のイングランドにおける安息日論争を、安息日厳守主義をユダヤ教的な見解だとして否定した教会当局のみならず、安息日厳守主義を聖書にもとづいた正当な見解だと主張することで当局を批判した人々からも言及されたユダヤ教化の異端者ティオフィラス・ブレイボーンへの非難という観点から考察した。

論争において、教会当局と当局批判者はともに、ユダヤ教的な土曜安息日厳守主義を主張したブレイボーンの誤謬性・異端性を通して相手を批判するという言説を展開した。つまり、相手の見解は異端者ブレイボーンと同様の誤謬を犯しているという主張を相互に行ったのである。結果として、このような批判の応酬からは、両者の見解がいずれも同様にユダヤ教的な誤謬や異端として非難されうることが明らかになった。本報告は、この点で、ユダヤ教化的な異端という存在が、安息日のあり方をめぐって対立した両者の見解を相互に相対化する機能を果たしたのではないかと考えられることを指摘した。

 

齋藤崇弘

(仏文学)

「オクターヴ・マノーニ『プロスペローとキャリバン』をめぐって」

 

【報告要約】

 フランスの精神分析家オクターヴ・マノーニが1950年に刊行した著作『植民地化の心理学 プロスペローとキャリバン』はマノーニ本人がフランス領マダガスカルに赴任していたときの経験をもとにして書かれたものである。初版当時の副題にも付されているように、マノーニは植民者と被植民者の関係性をシェイクスピア『テンペスト』の登場人物になぞらえて捉えようとしたが、このような試みはマルティニーク出身の文学者であり政治家であったエメ・セゼールや、その教え子に当たる精神科医であり政治運動家であったフランツ・ファノンによって批判されることになる。そこでは植民地という制度空間における被植民者の心性をめぐる考察がその争点となるが、セゼールやファノンの批判がマルティニークの独立運動の熱気のなかでなされたということを考慮に入れつつ、マノーニが示した他者認識がどのような歴史的・思想史的文脈で語られたのかを考察した。

 

 

テーマ:

 

511

鳥居太郎

(独文学)

「多和田葉子『カフカ 開国』の組み立てについて」

 

【報告要約】

日独で作家活動を行っている多和田葉子の『カフカ 開国』は、20112月にベルリン日独センターで、「日独交流150周年」の公式認定行事として上演された。この戯曲は多和田自身がインタビューで語っているように、「謎に満ちたカフカの小説『変身』を芝居にした」ものだが、多和田の言う「謎に満ちた」部分が強調されることによって、カフカの『変身』で描かれている不安感や孤独感というものが、ほとんどなくなっている。それはタイトルからみても分かるように、単純に戯曲化したのではないからである。例えば、泉鏡花が登場人物として現れ、劇の進行の中心的な役割をしたり、カフカの短編『田舎医者』から田舎医者が登場人物として現れたりし、更にパロディーのような台詞回しや、滑稽な動きすることによって、不安感を払拭している。このように他作品との繋がりからも、この劇が重層的な構造になっていることが分かる。どのような要素から、この劇が組み立てられているか分析した。

 

 

吉田遼人

(日本文学)

「泉鏡花「春昼」「春昼後刻」の方途」

 

【報告要約】

 自然主義の小説が文壇を席捲しはじめた明治三十九年は、日本近代文学史の上で、時代を画する重要な一時点にあたる。そのような時期に泉鏡花が書き継いだのが「春昼」「春昼後刻」(明治3911月〜12月)である。この連作小説は、鏡花文学の「特質が打出されてゐる」(久保田万太郎)とまで評されている。「春昼」「春昼後刻」の位相はこれまでにも自然主義小説との対比などによって求められてきたものの、本作の発表当時は近代小説という型式が確立されようとする時期であっただけに、小説以外のほかの散文ジャンル、たとえば写生文や紀行文の表現様態を視野に入れた検討が重要であると思われる。そこで本発表では、連作の視点人物である散策子の視覚反応と「ぶらぶら歩行」に特に注目しながら、「春昼」「春昼後刻」の表現世界に、写生文的要素や紀行文的要素がどのように関連し、どう彩りを添えているのかを検討した。

 

テーマ:

 

525

金木利憲

(日本文学)

「『太平記』における白氏文集の本文変化」

 

【報告要約】

日本文学に重大な影響を及ぼしている『白氏文集』の本文は、日本でも中国でも本文と編成の変化を受けている。よって、文学作品への影響を考えるときには、その時代に即した本文を確認することが必須である。

従来、日本の中世文学において『白氏文集』の影響や本文引用があることは指摘されてきたが、具体的にその引用文にまで踏み込んで研究した例は見ない。『太平記』は『白氏文集』本文交代期に成立した作品であり、同一書の中での交代が確認できる好例であるから、全編にわたって校勘する意味があると考える。今回は「楊国忠事」段に引用される「長恨歌」本文を検討したが、太平記初伝本の特徴がよく出た。

なお、本報告を元に、20121117日(土)開催の第36回国際日本文学研究集会における口頭発表を行った。

 

徳重豊

(西洋史)

19世紀中葉ロシアのジャーナリズム界と体制派新聞」

 

【報告要約】

19世紀中葉のロシアの出版物は、1826年の検閲規則以後は国内の政治に関する記述を禁じられた。この検閲下でもジャーナリズム界は発展を遂げたが、人気雑誌の1830年代の体制護持保守派から1840年代の革新派への潮目の交代が世論の変遷を特徴づけていた。

この時代に政府の立場に立ちながらも政治問題を公式に扱った主な新聞は官庁系の『サンクト・ペテルブルク報知』、『モスクワ報知』と私営の『北方の蜜蜂』の3紙であった。官庁新聞は政府による布告や内外報道とその解説を掲載する公式部と編集者が選んだ論文・文芸批評を掲載可能な非公式部に分割されていた。世論の動向を新聞も反映し、両『報知』は1840年代に非公式部を拡大し、そこに社会問題を論じた学術論文を頻繁に掲載し始める。民間のジャーナリズムが寓意やほのめかし、学術的議論の形で検閲への対抗を志向した一方、政府は体制派新聞紙上の外国報道において引用元となる外国の新聞記事に部分的削除を施すなどの手法で世論の統制を図っていた。

 

井戸田総一郎先生
  (独文学)

「文学するニーチェ」

 

【報告要約】

 

 

 

文化継承学T・U合同授業 

 

68

 

【報告要約】 
 

 

 

【報告要約】 

 

テーマ:

 

622

岡本光代

(演劇学)

田中良の舞台装置に関する一考察

 

【報告要約】

明治時代後期から非常に発展したものに舞台美術がある。今回の発表では、大正時代から昭和時代と長きに渡って活躍した田中良の舞台美術について、主に大正時代、そして昭和初期に在籍した宝塚少女歌劇団のレビュー『モン・パリ』を中心に考察した。『モン・パリ』には、田中がアメリカからヨーロッパにかけて洋行した経験や、宝塚大劇場という非常に広い空間が活かされており、田中は『モン・パリ』の舞台美術において、スペクタクル性やスピードを観客に提供したといえる。

 

中村俊彦

(英文学)

Ben Jonson の視覚論:宮廷劇場から本の中の劇場へ」

 

【報告要約】
 Visuality of Ben Jonson: from Court Theatre to Theatres in Books

仮面劇作家 Ben Jonson を取り上げて、彼の視覚論と Folio 出版の関係性について考察した。仮面劇の共同制作者であった Inigo Jones との主導権争いが激化していく中で、Jonson は、言語の永続的精神性と絵画の瞬間的感覚性という対立項を用いて、舞台装置に対する詩の勝利を宣言する。その背景には、君主の徳と力を永遠のもととして称揚すべき宮廷仮面劇が、皮肉なことに、「超越的存在に対する黙示論的関心」を無効にし、それを越える時間的枠組み自体を否定してしまうというパラドックに対する Jonson の危惧が感じられる。Folio 出版は、その意味で、そのようなパラドックスから自らの作品を解放し、印刷出版という永続的メディアを Jonson が強く希求した結果であり、「詩は絵画のように」言説からの逸脱は、紙の上に理想的劇場空間を構築しようという彼の強い思いの表れだと言える。

野田学先生

(英文学)

「分裂した感性と、終われない終わり―東京における震災後の演劇」

 

【報告要約】

語源的に “disaster” という英語は占星術的に「星の並びの悪いこと」を意味する以上“human disaster” 「人為的disaster」は形容矛盾である。しかしながら、どのような自然災害を考える際にも、その自然災害を「もたらした」もしくは「それが契機となった」人為的災害にくらべれば、比較的に軽いと言わざるをえない。2011年の東日本大震災の場合、それは放射能漏れを引き起こした日本の政策と、それを受けた政府の対処の拙劣さという形に言い換えることができるだろう。本発表は、震災直後、圧倒的に可視的な津波の映像と、目に見えない放射能の恐怖に引き裂かれた東京の感性が、幾分ためらいがちに震災を劇作において取り上げる姿を追うことで、未だに完了進行形で続く「震災」がもたらした演劇上の時間表象を探るものである。

 

テーマ:

 

713

蔡欣吟

(日本文学)

江戸後期における連体形準体法から準体助詞への推移

 

【報告要約】

1780年から, 30年ずつの間隔を取り,1810年,1840年それぞれの前後五年を一つの時期とし,合わせて三つの時期の使用状況から,江戸末期における連体形準体法から準体助詞ノへと推移する過程を観察する。調査の結果,以下のことが明らかになった。一,地の文において,準体助詞ノは口語的な活用語につきやすいこと,七五調のリズムに合わせるような場合は準体助詞ノが用いられることがわかった。それ以外はほとんど連体形準体法の使用である。二,発話文では,連体形準体法が優勢であるが,準体助詞ノはU期からV期までの30年間に,著しい増加傾向が見られ,50%ほどになった。三,連体修飾構文の観点から見ると,「外の関係」より「内の関係」において,準体助詞ノの使用率が比較的高い。四,前件構成は単調なA類より,活用語に助動詞を付加する使用に準体助詞ノがつきやすい。五,連体形準体法と準体助詞ノの使用は発話者の性別による差がある。

 

村島彩加

(演劇学)

土肥春曙の演技―そのせりふ術を中心に―

 

【報告要約】
 我国における初期の新劇の舞台で活躍した俳優・土肥(どい)(しゅん)(しょ)(18691915)は明治40年(1907)、本邦初の本格的翻訳上演『ハムレット』でタイトルロールを演じてその演技を激賞され、その時点である程度以上の演技を確立していた。しかし、彼の役者としての出発は明治38年(1905)、坪内逍遥門下の文士劇である易風会第一回試演のことであり、その演技はわずか数年の確立されたことになる。その背景には、逍遥の下で培われた朗読術の素養や、洋行体験、清国人留学生の演技からの影響があり、また自ら後進の指導を行う内に確立されたと考えられる。明治期も終盤を迎え、同時代を代表する名優であった九代目市川団十郎や、五代目尾上菊五郎が亡くなった後の劇界の変質と、そこで生まれた新たな演技について考察する上で、こうした経験を基礎として演技を確立した春曙の存在は非常に重要であると言えよう。

佐藤清隆先生

(西洋史)

移民たちの語りと≪わたし≫―多民族都市レスターのフィールド・ワークから―」

 

【報告要約】
 報告者の主要な関心は、戦後イギリスの多民族化・多宗教化の進展に伴って起こってきている「多民族・多宗教統合と<共生>の問題」を、パーソナル・ナラティヴなどを利用しながら、その可能性やそれに潜む諸問題を歴史的に考えてみようとするところにある。そのために報告者がリサーチの対象としているのは、イングランド中部にある多民族・多宗教都市レスターである。全人口28万を数えるこの都市は、インド系を中心にエスニック・マイノリティが全体の3分の1以上を占め、実にさまざまな民族や宗教の人びとが居住している。それと同時に、さらに興味深いのは、レスターがこうした多民族・多主教的状況にもかかわらず、「民族・宗教関係がうまくいっている」稀有な都市として、国内外から「好評判」を獲得していることである。

報告者は、2001年以来、年に数回レスターを訪れ、そこに居住するさまざまな人びと(移民だけでなく「受け入れ社会」の人びとも)とインタビューを続けてきているが、彼らの「語り」に耳を傾けていくと、この「好評判」と重なる「語り」と同時に、そこには含まれていない数多くの重要な「語り」があることに気づかされるのである。しかし、それに先立って、報告者が実施してきている「インタビューという行為」とは、一体どのような特徴を持つものなのか、はたまたインタビュイーが語る「個人の語り」の射程やその可能性は一体どのようなものなのか、考えてみる必要があるように思われる。本報告では、この問題を、1935年にカリブ海のネヴィス島に生まれ、1958年に渡英してきたエルヴィという移民女性とのインタビューを題材に、以下の三点について検討を加えた。その一つは、インタビュィーの「語る行為」とその「語り」を、わたしの「質問し、聴く行為」との相互関係のなかで考えること。二つ目は、「個人の語り」と複数の「集合的語り」(「アフリカン・カリビアン」や先に触れたレスターの「好評判」など)との関連を、エルヴィの「個人の語り」から考察すること。そして最後に、エルヴィがさまざまな具体的経験を通してつくり上げてきた「語りのかたち」について検討することである。

 

テーマ:

 

928

早澤正人

(日本文学)

「芥川龍之介「VITA SEXUALIS」序」

 

【報告要約】

芥川龍之介「VITA SEXUALIS」(大正12年頃執筆)は、幼少期から中学二年時に至るまでの「性」の歴史を描いたものである。もっとも、形式的には、断片的なエピソードが並列的に記されているだけであり、また発表もされなかったことから、従来の先行研究では、これを「草稿ノート」の類の資料と位置づけ、作品として論じることは殆んどない。しかし、後年の「大導寺信輔の半生」や「保吉の手帳から」、「侏儒の言葉」などを見てもわかるように、断片的なエピソードを並べて、全体を構築していくという手法は、芥川がよく用いた方法なのであり、断片的に記述されているからといって、これを「草稿ノート」と片付けてしまうのは、早計でもある。本発表はそのような問題も踏まえた上で、主に本作の言語構造の分析を通じて、この作品が「物語」としての体裁を備えていることを確認しつつ、本作の持つ読みの可能性について考察した。

 

田母神顯二郎先生

(仏文学)

「ミュートスと反ミュートス(1)ランボーと「洪水のあとで」」

 

【報告要約】

 3.11の東日本大震災とそれ以降の展開は、われわれ研究者にロゴスの限界を突きつけただけでなく、われわれを含めた現代人がいかに<神話感覚>を喪失してしまったかということを改めて痛感させた。一方、カッシラーが説くように、生成流転するものを捉えるための唯一の形式がミュートス的叙述であるとするならば、あるいはエリアーデの説くように、ミュートスが相矛盾するものや概念化以前の思考を表現するための特権的形式であるとするなら、現代における<神話感覚>の喪失は文学作品の読解における<貧困さ>にも直結しているのではないだろうか? 本発表では、西欧近代における様々な<神話>評価の歴史を概観し、宗教学や象徴人類学の成果も視野に入れながら、ランボーの「洪水の後で」という作品を例に取り、そこに見られる独自の「神話性」とそれに結びついた「生成の思考」や「両義的なものについての思考」についての分析を試みた。

テーマ:

 

1012

熊谷知子

(演劇学)

「小山内薫の商業演劇との接点」

 

【報告要約】

 小山内薫は今日、自由劇場や築地小劇場といったいわゆる「新劇」の活動と関連付けて語られることが多い。しかし、小山内においても商業演劇の本興行における仕事が数多くあり、ある意味では「民衆」を喜ばせていたのである。それらの上演や小山内を取り巻く同時代の人物たちは、新劇と商業演劇という二項対立で捉えきれるものではない。また、日本における商業演劇とは何か、立ち止まって考える必要がある。

今回は、『戦艦三笠』(192712月、歌舞伎座)と『ムツソリニ』(19285月、明治座)という二つの上演に関して、昭和初期の英雄・偉人劇の流行や松竹の大谷竹次郎との関係を観点として、当時の観客の声を紹介しながら考察した。また、これらの作品は近松門左衛門の原作を改作した『国性爺合戦』や『博多小女郎浪枕』といった晩年の代表作と同時期のものであるものの、全集の類には収録されず、閑却されてきた。このことにも日本演劇の根深い問題があろう。

 

神山彰先生
(
演劇学)

「企業と演劇:日生劇場を中心に」

 

【報告要約】

 今回は、主に日生劇場を中心に、戦後日本の企業と演劇文化の関わりについて考察した。

近代日本の演劇・劇場には、近世以来の興行師の系譜に加えて、鉄道会社、呉服店系の百貨店のほか、更に生命保険会社が関係している。鉄道、百貨店と違い、生命保険は演劇から直接的利益は被らない。しかし、戦中、戦後の劇場、ホール難の時代にあっては、仁寿、第一という生命保険会社の運用するそれは貴重な空間を提供した。わけても、日本生命東京支社の「日生劇場」は、村野藤吾設計の見事な傑作建築だけでなく、戦後の「新劇」のイメージの転換を促し、再編するような企画を通して、大きな役割を果たした。まだ、国立劇場も、地方公共団体が所有する劇場もない時代、東京五輪以前の「戦後」の時代に、日生劇場の提示した意味を探ることで、独立した「劇場」が続々と消失していく現代の演劇文化を考える一端とした。

 

テーマ:

 

1026

中村俊彦

(英文学)

「空白と中断:『テンペスト』の仮面劇に込められた皮肉」

 

【報告要約】

本発表では、『テンペスト』の仮面劇が当時の宮廷仮面劇コードからどのように逸脱しているか、またその逸脱が作品全体でどのような意味を持ち得るかを確認した後、この仮面劇に込められた皮肉について考察した。『テンペスト』の仮面劇は、権力の空白状態を浮き彫りにし、かつ上演が中断されてしまうことから、極めて不恰好な仮面劇と言えるが、そのような特徴は『テンペスト』という作品全体にも確認することができる。宮廷仮面劇は、その本来的な機能において、王権秩序が現世で表象可能であるかを確認する儀式であると同時に、王権の正統性を構築/再確認する神話的過去の物語であるはずだが、『テンペスト』の仮面劇は、その機能を全く果たしていない。権力の空白を補填するように要請する『テンペスト』の物語と同様に、仮面劇もまた神話的起源のなぞりによって補填要請を行っているからだ。そこにシェイクスピアが仮面劇に込めた皮肉が読み取れる。

 

野田学先生
(
英文学)

「伝統の素材:集団の記憶と文化所有の問題」

 

【報告要約】

 伝統演劇とはそもそもどのような素材でできあがっているのか。そして伝統演劇はどのようなアプローチを現代において可能にするのか。本論はこの問題を、以下の四点にわたって考察する。1)記憶の喚起と召還:『井筒』型複式夢幻能における記憶をふり返るまなざしは、表象と喚起という二重の隔たりを孕んでおり、またその呼び出された記憶は最終的に過去に召還される。2)遡及的構築物としての文化同一性:伝統演劇における伝承の対象は、最終的に舞台と観客との間に成立した記憶のパリンプセスト的アーカイブである。つまり複式夢幻能構造は、理論的モデルとして文化伝承およびそれがもたらす文化同一性の意識にも適用可能である。過程を通して生じた《ふり返るまなざし》が、逆に起源としての文化同一性を遡及的に構築する。3)間文化的交渉と文化所有権:《文化性−間文化性−超文化性》という枠組みにおいて、文化は異文化接触の産物としてあくまで遡及的に構築された間文化的産物である。しかしながら文化が商品化し、その流通性が高まるにつれ、同一性は超文化的圧力の下に浸食されざるをえない。4)自己内《他者》としての伝統演劇:超文化的圧力のもと、伝統を文化的所有物として扱う誘惑に我々は抗するべきである。むしろ過去の集団的記憶に根ざしているとされる「自文化」とは、隔絶されながらも現代において比較可能な過去の《他者》の記憶であることを認めるところから始めなければならない。

 

 

テーマ:

 

119

徳重豊

(西洋史学)

19世紀中葉ロシア・ジャーナリズムにおける世論:ブルガリア問題を事例として」

 

【報告要約】

 19世紀中葉ロシアにおいて新聞・雑誌を忠心としたメディアは当局の厳しい検閲下に置かれていた。しかし1840年代以後になると官製新聞のサンクト・ペテルブルク報知やモスクワ報知といった体制派のメディアでも編集部の裁量の大きな「非公式欄」の頁に政治や社会問題を議論する傾向が出現する。その際に各種メディアは学術論文や書評を介して婉曲的に時事問題や政治を論じることで、政府の検閲に対応していった。

 ブルガリア人民族再生運動家アプリーロフの著作『新ブルガリア人教育の朝焼け』を巡る各誌の反応は、書評を介して対外政策が議論された典型的事例である。スラヴ民族の同胞としてのロシアへ支援を求める内容の同書に対し、体制派新聞が皇帝による慈善の重要性を喧伝する一方、ロマン主義的民族派の雑誌『モスクワ人』はスラヴ民族の存在意義と相互協力を訴えた。西欧市民社会を理想とする西欧派の雑誌『祖国雑記』、『現代人』は、啓蒙と社会的平等の必要性をスラヴ民族のビジョンとして提唱したのであった。

 

太田亮吾

(日本史学)

「「沖縄方言論争」と知識人――杉山平助を事例に」

 

【報告要約】

本報告では、日中戦争下における国家総動員体制構築の一環であった沖縄の標準語励行運動のあり方をめぐり、主に日本民芸協会の柳宗悦らと沖縄県当局などとのあいだで、1940年のほぼ1年にわたって続けられた「沖縄方言論争」において、多くの発言があるにもかかわらず、これまで十分に検討が及んでいなかった人物である杉山平助をとりあげ、論争のなかにおける位置や発言の持つ意味を考察した。「沖縄方言論争」は、日本民芸協会の柳宗悦らが沖縄の標準語励行運動を行き過ぎと批判したことを発端としており、これに反発する沖縄県学務部などとのあいだで議論が交わされた。そこでは、県当局による標準語の強要を推進・是認する立場と、その行き過ぎを批判して「沖縄語」の重要性を強調する柳ら知識人たちとが向き合う構図となっていたが、こうしたなか、当時の論壇における代表的な評論家でありその意味で知識人のひとりともいえる杉山平助は、県の立場を認め、柳らの現状認識を非難する議論を展開した。このとき杉山は、日中戦争を全面的に支持し、他の知識人たちの時局に対する消極的な態度を批判する発言を繰り返していた。以上から本報告では、「沖縄方言論争」における杉山平助の発言が日中戦争期全般にわたって主張されていた知識人批判と対応する内容であったこと、現状に対する柳ら知識人たちの態度や認識を論難した杉山の存在により「沖縄方言論争」では知識人のあり方をめぐって知識人同士が対立する構図もみられたことを指摘した。

田母神顯二郎先生

(仏文学)

「ミュートスと反ミュートス(2)ランボーにおける<起源の切断>」

 

【報告要約】

 キリスト教的イデオロギーと対立し、これによって抑圧されてきた異教的伝統への傾きという点で、初期のランボーをドイツ・ロマン派以来の系譜に位置づけてみることはあながち無駄なことではない。しかし、その後のランボーの独自の展開を特徴づけるのは、絶対的<起源>の徹底した拒絶であり、また起源における<切断>への透徹した眼差しである。つまりランボーの反ミュートス的態度は、<起源>を語り絶対化するものとしての<神話>やそれと結びついた既成のランガージュをけっして許容することがないのである。ここに、いち早くシニフィアンとシニフィエの切断を敢行し、驚異的な想像力によって構築した神話世界さえ絶えず否定し去る現代的詩精神の運動がある。本発表では、前回にひきつづき『イリュミナシヨン』中の「洪水の後で」や「都市」詩篇群を取り上げ、シニフィアンの解放と結びついたランボーの反・起源的エクリチュールを分析した。

 

 

 

 

テーマ:

 

1130

酒井晃
(
日本史学)

「戦後社会と男性〈同性愛〉―男娼・「ゲイバー」・アメリカ「文化」」

 

【報告要約】

 本発表では男性同性愛という観点から戦後社会におけるセクシュアリティを考察する。男性と男性いう関係性に着目することで、セクシュアリティの複雑の様相や男性性の問題が戦後社会におけるジェンダー秩序とどのように関連付けられるかを明らかにするものである。具体的に取り上げる事例は、@敗戦時男娼と呼ばれた性を売る男性、A1950年代に広まった男性同士の交歓を目的としたバーに出入りしている男性同性愛者(ゲイボーイ)、Bアメリカ兵士と日本の男性同性愛の語られ方を検討する。@では生活難のため復員兵などが性を売っていたが、そこでは兵士としての男性性を剥奪され、貶められる一方で、A1950年代には敗戦とは切りは離された形で身なりや態度が「先進的」なものとしてゲイボーイが登場する。Bではアメリカ兵士とゲイボーイの情交が小説などで語られ、占領期の日本の男性性剥奪という事態を隠蔽する効果を持っていた。

 

井戸田総一郎先生

(独文学)

1881年ウィーン・リング劇場の大火災」

 

【報告要約】

 

 

文化継承学T・U合同授業 

 

127

ボチャラリ ジョン J.

(東京大学大学院

総合文化研究科 教授)

 

「地域と信仰―紀伊半島の場合」

 

【報告要約】

 

矢島國雄先生

(心理社会)

Dime Museum:博物館という名の見せ物」

 

【報告要約】

 Dime Museumというのは、19世紀アメリカ合衆国に特徴的に発達した博物館のようなものである。しかしながら、このDime Museumという物は博物館史の本流には出てこない。名称から見ると博物館であり、その起源から見ると博物館としての要素は持っているが、その実態はボードビルや各種のショーを含んだ見世物と言った方がよいからであろう。

アメリカにおける初源期の博物館では、1786年のCharles Willson Pealeの博物館が、その科学性とともに娯楽性が注意される。Pealeの博物館を買収して、キュリオシティーの展示を含む見世物化をしたのは、P. T. Barnumで、1842年のことである。Barnumは、キュリオシティーの展示に、生きた動物、楽隊、軽演劇、アクロバット、フリークスなどのショーを加えて大衆的な見世物とした。これがDime Museumの起源である。Barnumの追随者が多かったためと、次第に飽きられはじめたことから極めて低廉な価格設定が行われ、10¢で見られるmuseumという、Dime Museumとなる。1890年代に入ると、映画の登場とともに、この大衆娯楽としてのDime Museumは消滅する。

1857年にSmithsonian Instituteが国立博物館を創設し、186090年代には、ニューヨーク、ボストン、シカゴに相次いで本格的な博物館が創設される一方、都市の大衆娯楽として見世物としての博物館−Dime Museumが隆盛を誇ったことは、近代アメリカにおける文化の二層性を示す一つの例である。

 

テーマ:

 

1221

早澤正人

(日本文学)

「日本近代文学における〈三人称〉をめぐる問題」

 

【報告要約】

本発表は、日本近代文学における「人称」をめぐる問題について考察したものである。すでに野口武彦『三人称の発見まで』(筑摩書房 平成66月)によって指摘されているように、近代以前の日本文学には、近代的な意味での「三人称小説」というものがなかった。近代の「三人称小説」というのは、語り手が「全知」(神)のような抽象化された立場から、作品世界を客観的に描出するような様式の事をいうが、近代以前の日本文学は、語り手が抽象化されることなく、「話者」として登場してきたり、作品内外を自在に往還したりするのである。では、日本文学は、近代以降、どのようにして「三人称」という「異物」を取り入れていったのか? またそれによって、文学テクストの言説構造はどのように変容したのか? 本発表では、物語論(ナラトロジー)の理論を援用しながら、このような問題について考察する。

 

吉田遼人

(日本文学)

「森鴎外訳「即興詩人」と泉鏡花「照葉狂言」」

 

【報告要約】

 よく知られているとおり、泉鏡花には森鷗外との浅からぬ文学的接点を伝える一作として、「照葉狂言」(明治2911月〜12月)がある。この小説は、鷗外が翻訳を手がけた「即興詩人」(明治2511月〜278月および明治302月〜342月)の色濃い影響のもとに成立した一篇と眺められている作で、影響の跡はさまざまな点にわたって指摘され、それに伴い対比も重ねられてきた。本発表においては、まずは鷗外と鏡花がそれぞれ互いにどのように言及していたかを確認した上で、〈雅文〉と称される典麗な文体表現に焦点を絞って、「即興詩人」の翻訳世界と「照葉狂言」の小説世界がそれぞれどのように組み立てられていたのか、その表現機構を解きほぐそうと試みた。

 

 

テーマ:

2013

1月11

小山亮

(日本史学)

191020年代のメディアにおける皇室関係写真記事と国家統治

―写真記事の取扱い取締を求める請願、不敬事件を手がかりに―」

 

【報告要約】

 本報告では、191020年代日本のメディアにおける皇室関係写真記事について、いくつかの側面からその意味を検討した。

 はじめに天皇らに対する写真撮影規定の1910年代から1920年代初頭にかけての緩和の変遷をたどり、次いでそのような規定が新聞記事にどのように反映されているかを確認した。これらを前提として、天皇らの写真の取扱い取締を求める請願や投書の内容を確認し、その上で天皇・皇族の写真に対する行為がもとで検挙された事件を集計しそれぞれの事件の特徴と全体の傾向を明らかにした。

 これらの作業から、1920年代の前半までの時期においては為政者が天皇らの写真への購買意欲に対応して皇室を維持する形で規制を緩和していったこと、その一方でそれに対して疑義を呈する人々が存在していたこと、また写真関係の不敬事件はこの時期に増加したということを確認し、今後の研究を展望した。

 

岡本光代

(演劇学)

「二代目市川猿之助の『すみだ川』―大正期新舞踊運動における一考察―」

 

【報告要約】

二代目市川猿之助による新舞踊運動のきっかけになった大正八年十月歌舞伎座での『すみだ川』の上演について中心に報告した。猿之助はアメリカからヨーロッパにわたる洋行でさまざまな海外の演劇に触れたが、その中でも特に大きな刺激を受けたのはロンドンで見たバレエ・リュスであり、そこで猿之助は日本の文化の素晴らしさ、その一方で日本の舞踊に欠けているものに気づく。その帰結が謡曲に題材を得た一連の「隅田川もの」の中に位置づけられる『すみだ川』の選択であるが、しかし従来の「隅田川もの」に見られる狂女ではない、子供を失った一人の母親の悲しみを見せたいと取り組んだ。そして振付の面でも、従来の日本舞踊にはなかった縦横十文字といったような立体的構成を取り入れた。猿之助の『すみだ川』は「無駄に洋行しなかったと思わせた」などの評を得たが、この上演をきっかけに「隅田川もの」の様相は変化していき、哀れな母性愛の悲劇が強調されるようになったといえる。

 


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