更新日2013/1/29

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Cultural Heritage Studies

 

   文化継承学U 2013年度 年間プログラム

2013年度に行われている文化継承学の発表リストです。
随時更新して行きます

 

報告日

報告者

タイトル

 

テーマ:

 

2013
4
26

オクタヴィアン・サイウ先生(ルーマニア国立演劇映画大学准教授

21世紀のサミュエル・ベケット:文学、沈黙、文化アイデンティティ」

 

【報告要約】 

 

大石直記先生

「晩期鴎外における伝承性への視角:模倣と創造の交差する場をめぐる考察」

 

【報告要約】

 

テーマ: 記憶と家族史(系譜)の継承

 

510

出縄祐介

シュティフター『ナレンブルクにおける自伝』」

Zur Funktion der Autobiographie in Stifters Narrenburg

 

【報告要約】

本発表は、アーダルベルト・シュティフターの作品『ナレンブルク』及び『曾祖父の遺稿』における自伝の役割を扱った。二つの作品において、シュティフターは自伝の異なる役割を示している。両作品において、自伝の執筆及び講読は重要な役割を演じている。『ナレンブルク』におけるシャルンアスト家は、先祖の自伝を読み、自身の自伝を模倣という手段を用いて執筆している。この自伝は、自己反省を行うために書かれたものではなく、子孫へ残すため、子孫が模倣するために残されたものである。それゆえに、自伝の執筆者が自身の自伝を読み返すという行為は行われない。また自伝は、閉ざされた石室、自伝の保管庫においてのみ執筆及び講読が行われる。この行為により、シャルンアスト家及びフィヒタウの人々との間の関係、コミュニケーションは失われた。これによって、代々愚行を引き起こすことになるコミュニケーション問題が生じる。ヨドーク及びその他の城主は、自身のために行動し、先祖の伝記から学んだことを行動しようとしていた。それゆえに、自身の行為を客観的に見ることができず、異なる視点から見る「verfremden」することができずにいた。それに反して、ハインリッヒはフィヒタウとは別の場所において育ち、異なる視点を有していた。彼は、自身の行為及び先祖の行為を理性的に捉えることが可能であり、それ故に、最終的にシャルンアスト家及びフィヒタウの人々との間に存在するコミュニケーション問題を解決し、愚行を克服することができたといえる。『曽祖父の遺稿』において、自伝の役割は全く異なるものである。アウグスティヌス及び大佐は、自伝を自身のために執筆し、数年後に読み返すという行為を行っていた。この的確な自己反省の手段により、彼らは他とまたは他のために行動することができるようになった。それによって両者は、自身の生涯をまた行為を客観的に認識し、その後の行為を理性的に行うことができたといえる。『曽祖父の遺稿』における自伝は、アウグスティヌスや大佐のように自身の生涯及び行為を客観的に認識することにより、理性を取得するための手段、即ち人物と出来事の相互作用を促す手段であるといえる。

 

田村悠

「初期谷崎を考える―継承という視点」

Think about Tanizaki in the early years: viewpoint of succession

 

【報告要約】

谷崎潤一郎の初期といえば明治43年11月の「刺青」から44年11月の「秘密」や大正3年9月の「饒太郎」など、様々な手法がその作品の中で試行され、また、これまで多く述べられてきたマゾヒズムやスカトロジーといった変態性欲の代名詞とも成り得る作品もこの頃、数多く描かれている、谷崎の最も注目されている時期の中の一つである。

その初期の谷崎から大正期までを総括して考えると、「秘密」「白昼鬼語」「柳湯の事件」という谷崎の作品群のなかで《秘密》という主題が共通して描かれ、なおそれは「のぞきからくり」、とりわけ「縁日」といった江戸からの文化と深い関わりを持っているということがわかる。それは換言すれば谷崎の根底に流れている概念が江戸の文化を深く継承しているということにはならないだろうか。江戸っ子の谷崎にしてみれば当然なのかもしれないが、その新たな一側面が垣間見れるのではないかと思う。

合田正人先生

「サルトル『言葉』をめぐって」

Sur ''Les mots'' de Sartre

 

【報告要約】

 サルトルはその自伝的作品『言葉』を1964年に出版した。そのエクリチュールについてはすでにフィリップ・ル=ジュンヌらによって精緻に分析されている。また、父親的超自我の不在、母親との近親相姦的欲望の吐露、 ドイツ人たちとの関係など、そこで語られた内容についても、すでに多くの論者たちが注目している。しかし、これは果たして、いわゆる自伝なのだろうか。なぜそれは「言葉たち」と名づけられたのだろうか。アウグスティヌス的三位一体論を踏まえたと思われる「聖霊」(Saint-Esprit)といった語の度重なる使用は何を意味しているのだろうか。このような問いは今まで開かれたままにとどまっているように思われる。そこで本発表では、これまで看過されてきた同作品のパッセージに注目しながら、サルトルのこの試みが「私」による「私」のエクリチュールではなく、実体属性様態の三つ組を想定した一個の独特な言語論を展開するものであることを示そうとした。

 

テーマ: 記憶・遺産・まなざし

 

531

稲山玲

ピーター・ブルック演出『マラー/サド』の音楽について

The music of Marat/Sade directed by Peter Brook

 

【報告要約】

本発表は英国の演出家ピーター・ブルックが1964年に演出した、ペーター・ヴァイス作『マラー/サド』に使われた音楽性の特徴を考察するものである。この作品は全体として劇中劇の構造を有している。1808年ナポレオン体制下の精神病院において、入居者の一人であるサド侯爵がある舞台を演出する。役者は同施設の狂人たち、題材はフランス革命の指導者マラーが修道女コルデーに暗殺される史実だ。

上演空間は不思議な音に満ちている。その音は楽隊とコーラス隊による調子はずれのメロディや、患者たちの口から発せられる言語になりきらない声から成るものだ。音楽の使用は原作でも指定されていたことだが、ブルック版ではリチャード・ピーズリーによるオリジナル楽曲が用いられた。なぜブルックはあえて雑音交じりの不快感を誘うような音楽を選択したのか、構造の絶対性を揺るがす社会的ノイズであるところの狂気と結びつけて本作の音楽性を検証した。

 

藤田怜史

博物館で展示するということ―エノラ・ゲイ展を例にして

A Consideration of a Museum Exhibition: The Case of Enola Gay at the National Air and Space Museum in the United States

 

【報告要約】

近代社会における文化の継承という点に関して、博物館の展示が担う役割は小さなものではない。本報告は、1990年代前半にアメリカ合衆国で企画されたB-29型爆撃機エノラ・ゲイ号の特別展を例にして、博物館展示においてさまざまな立場の人々による「意図」がいかに重要であるかを考察するものである。

いわゆるエノラ・ゲイ論争に関しては、きわめて「保守的」で「愛国的」な展示批判派に対し、展示企画者側の歴史に対する「誠実さ」や「批判的態度」が称賛されることが多いが、企画者側のそうした態度の向こう側に、彼らが想定する「アメリカ国民としてあるべき姿」が見え隠れすることを、論争の分析者たちは忘れてはならない。そうした意図や前提に基づいて、エノラ・ゲイ展は構想されていたのである。このように考えるとき、社会学者の米山リサの指摘は非常に重要であろう。「論争のどちらの側に立つ者も……合州国にとってより正統で普遍的な国家の歴史がいかなるものであるかをめぐり争っていた点ではどちらも同じ立場にあった」。こうした観点からエノラ・ゲイ論争を見たとき、アメリカ国民が考えるアメリカ的なるものが、より明白に浮かび上がってくるであろう。

矢島國雄先生

人類学と博物館−20世紀アメリカにおける事例を中心に

Anthropology and Museums - Anthropological exhibitions of the american natsuralhistory museums in 19-20 century

 

【報告要約】

人類学は形質人類学と文化人類学・社会人類学に大きく区分される。この両者の領域ともにその学問的基礎が据えられた19世紀を通じて、人類という生物そのものとその文化について熱い関心を注いできたが、一方でその研究は深刻な差別を生み出し、また強化する方向へも働いてきたという歴史を持つ。

 例えば、19世紀末〜20世紀前半期の万国博覧会全盛期には、植民地などから呼び寄せた「未開」人の展示が呼び物の一つであった。日本も芸者・アイヌの展示を、求められてというより、むしろエキゾチズムを強調するために積極的におこなっている。

アメリカの博物館におけるNative Americanの展示は、Natural History Museum (Smithsonian)American Museum of Natural HistoryField Museumなど、19世紀以来、アメリカの人類学研究の中心であったこれらの自然史系博物館に見ることができる。アメリカの歴史はコロンブス以後で、それ以前は人類学や民族学の領域に属し、歴史系の博物館が扱う領域ではなかった。

1970年代以降の、Native Americanの権利回復運動(ヴェトナム反戦運動、公民権運動などと同時代の運動)の結果、各種の権利回復や博物館に対する遺骸と副葬品の変換命令が出されることになる。こうした動向は、博物館の展示ナラティヴを変化させ、地域博物館では歴史展示の中でNativeを扱うようになってくる。Native自身による、Nativeの参加した展示はNative Heritage CenterNative Culture Centerなどが設立されるに及んで実現していくが、自らの宗教・歴史・文化を語るにしても、中には観光収入源としての「期待」に応えるパフォーマンスに終始しているのではないかとか、「高貴な未開人」を自ら演出しているのではないかといった批判がある。

21世紀初頭に創設されたNational American Indian Museum(Smithsonian)は、歴史的なアメリカ政府のインディアン政策への批判を含む展示を、Nativeの参加のもとで提示し、展示制作参加者の明示やNative自身による解説は、対話を歓迎する姿勢を見せている。

今しばらく、これらの博物館の動向を注視していたい。

 

 

 

文化継承学T・U合同授業 

 

614

池田喬先生

誰が何をいかに継承するのか?―M・ハイデガーにおける文化と継承

Who Inherits What and How?: Heidegger on Culture and Heritage

 

【報告要約】 

「文化継承学」という学際知への試みに対して「哲学」は何を言えるのか、「文化継承学としての哲学」はいかにありうるのか。本講義では、この問いについて20世紀ドイツを代表する哲学者ハイデガーの思想を手がかりに考察する。(1)当時ドイツの思想界を牽引していた西南ドイツ学派の「文化哲学」は大正期の日本にも多大な影響を与えた。ところが、ハイデガーはこの「文化」概念を猛然と批判していた。(2)他方、ハイデガーは、「継承(Überlieferung)」の概念をその歴史哲学、あるいは哲学の歴史性のキーワードとして用いている。(3)通例の「文化」概念を廃棄しつつ「継承」の本来の意味を考えるハイデガーの営みからは、ありうべき「〈文化〉継承学としての哲学」を読み取りうる。この哲学の核となるのは、〈誰が何をいかに継承するのか〉についての構造的分析であり、この分析の基盤は〈人々は死んでゆくが世界は残る〉という単純な事実への洞察である。

 

氣賀澤保規先生

中国唐代における「巡礼」の起源とその背景

The Origin and Historical Background of "Buddhist Pilgrimage" in Tang China

 

【報告要約】

平安時代の僧円仁(794864)は、最後の遣唐使となる一行に加わって中国唐を訪れ、そのまま密入国者として現地に残り、838年―847年(45歳−54歳)の約10年間彼の地を旅し、帰国後『入唐求法巡礼行記』4巻を残した。ライシャワーは本書をマルコポーロの『東方見聞録』や玄奘の『大唐西域記』に匹敵する世界史的旅行記と高く評価した。

彼はみずからの旅を「求法“巡礼”」と表現したが、その「巡礼」という宗教的(仏教的)な行動と概念は、中国史においていつごろ現れ、定着化するのであろうか。「巡礼」は「巡歴」とも表されるが、それは一時的にせよ、人々を現実の統治の枠組みから離し、非日常の環境(空間)に置くことを意味する。だがそのような移動をともなう「巡礼」行動は、農民を土地に緊縛する前提に立つ歴代王朝下では、到底受け入れがたいものである。

 そうした立場から見直すと、「巡礼」の登場は、じつは円仁の生きた時代よりそれほど遡らない唐の時代、それも8世紀半ばの安禄山の乱(755763年)以後であったことになる。円仁はその様子を五台山という霊場への道すがらのこととして集中的に記録しているが、じつはこの五台山に近接した同時代の房山雲居寺という名刹においても、多くの「巡礼」者の姿が寺に残る碑文からうかがえる。「巡礼」を生み出した唐代後半期は、中国史の大きな転換期であったことを物語っている。 

本報告では中国史における「巡礼」を取り上げるなかで、世界各地の「巡礼」の成り立ちや特色および思想性などに話題が広がることを願っている。

 

テーマ: 視覚表象と宗教・政治

 

628

中村俊彦

Imagination の複雑性: Shakespeare A Midsummer Nights Dream Oxford 大学における異性装論争

Intricacy of Imagination: Shakespeare’s A Midsummer Night’s Dream and A Controversy about Cross-dressing at Oxford University

 

【報告要約】

本発表の目的は、Shakespeare A Midsummer Night’s Dream を演劇擁護論として解釈できるか否かを検証することである。1590年代に Oxford 大学で展開された演劇論争 (反演劇論者 John Rainolds、演劇擁護論者 William Gager Alberico Gentili) は、変身 (女性化を含む) の元凶として、ロンドンの商業演劇を痛烈に批判した。それに対してShakespeare は、本作品の劇中劇 Pyramus and Thisbe とその観客たちの描写を通じて、変身を生み出すのは、演劇行為ではなく、むしろ「外的世界を認識するために不可欠な映像化作業」を司る Imagination の作用であるとしている。問題は、Imagination の虚像性を強調することは演劇擁護論と考えることができる一方で、図らずも反詩論につながる危険性があるという点だ。なぜならImagination は、認識システムにおける映像化と同時に、「詩人が詩を生み出す力」をも意味し、その虚偽性を強調することは、真実を描き出すという詩人の使命が実現不可能であることを意味してしまうからだ。従ってA Midsummer Night’s Dream は、演劇擁護論であると同時に、反詩論でもあると言える。

 

岡本光代

大正時代宗教劇の流行−日蓮に関する戯曲上演を中心に

The Fashion of “Religious” Drama in Taisho era: around the performing plays the reading role in Nichiren

 

【報告要約】

 大正時代をいろどる流行のひとつとして、宗教の流行というものが考えられる。大正時代に青年時代を過ごすいわゆるインテリ層や、大衆全体を巻き込んでさまざまな宗教が発展したそうした新宗教が隆盛を極める一方で、仏教や神道といった日本在来の宗教も、明治に禁止令の解かれたキリスト教との関係もあり、それまでの在り方を脱しようと試み様々な動きが起きていた。

 このような流行は、文芸界にももちろん波及し、宗教の信仰の有無に関わらず、多くの「宗教的な」小説や戯曲が執筆され、様々な戯曲が上演されている。そして、特に流行した一分野として、日蓮を主題とした作品の上演がある。流行の背景としては、田中智学の活動がある。大正時代当時の社会風潮や民衆の心性を再確認し、田中智学の周囲やその活動を踏まえたうえで、大正時代の日蓮を主題とした劇、ひいては同時期に流行した「宗教劇」について、大正93月に上演された坪内逍遙作『法難』を中心に考察した。その特徴とは、決して日蓮主義そのものに対する関心をいうよりむしろ「あれも、これも」という心性からくる共感を生み出すこと、また日蓮を取り巻く群衆の動きが与える熱であったといえるだろう。

佐藤清隆先生

1984年の「ゴールデン・テンプル」襲撃と在英シク・コミュニティ多民族都市レスターの事例から

The 1984 Attack on the Golden Temple and Sikh Community in Britain: A Case Study focusing on the Multi-Ethnic City of Leicester

 

【報告要約】

19846月、インド政府軍がパンジャーブ地方のアムリトサルにあるシク寺院「ゴールデン・テンプル」を襲撃し、数多くの死傷者を出した。その後、シクによるヒンドゥーへの報復活動や暴動がインド各地で発生した。さらに、同年10月には、当時のインド首相インディラ・ガンディーがシクによって暗殺され、その報復活動のなかで数多くのシクが暗殺された。そして、これら一連の政治的大参事による影響は、インド国内だけでなく、イギリス、カナダ、アメリカ合衆国などのインド系移民コミュニティの世界にまで及んでいたのである。

本報告は、この移民コミュニティへの影響を問題とする。具体的には、多民族都市の発展や多文化主義政策の展開とも関連させながら、複数のシク・コミュニティ(カースト、宗派、政治的立場の違いなどが存在する)がこれらの政治的大参事やカーリスターン運動(インドからのパンジャーブ地方の分離独立を主張する運動)をどのように受け止め、どのように行動していったのか、その結果、これらのシク・コミュニティがどのような「暴力」を孕みながら「変容」していったのかを、グルドワーラーと呼ばれるシク寺院を中心にイギリスの多民族都市レスターの事例を通して明らかにする。

 

テーマ:

 

712

八木下孝雄

Self-Helpの明治期翻訳二種の訳出の様相―関係代名詞節を中心に―

Aspects of Two Translations of Self-Help: Focus on Relative Pronoun

 

【報告要約】

欧文を直訳的に訓読した表現や翻訳における直訳の問題について、先行研究では、その表現とその用例の列記にとどまり、特定の表現や資料を分析・考察した研究は少ない。本発表では、Samuel SmilesSelf-Helpの翻訳の、中村正直訳『西国立志編』(明治4年)と畔上賢造訳『自助論』(明治39年)を資料に、関係代名詞節の訳出法を分析・考察した。

分析の結果、訳出法が、先行詞を基準に、関係代名詞節の訳の後置のものから、前置のものへと推移していた。欧文訓読的な訳出法は明治20年以降の確立とされ、二つの資料の訳出パターンの違いは、この確立以前か以後かの違いだと考えられる。この訳出法は、英文で先行詞に後置の関係代名詞節を、日本語文で前置の連体修飾構造へ明確化し、同時に、英文を一語も残さず全て訳す、英語学習での欧文訓読の直訳で必要だったのだとした。 

 

千田実

夏目漱石の文学論における科学の受容

The reception of “Science” in Natsume Sôseki’s theory of literature

 

【報告要約】

夏目漱石の文学論では、歴史科学にもとづいて文学の分類と系統が説明されている。この文学論は、「発生学」としての進化論によって文学の分類と系統を説明するものだということができる。文学の批評と歴史が科学的に説明できるとする漱石は、その文学論に歴史科学を導入することで、文学の分類(批評)と系統(歴史)を科学的に説明できるようになったのだといえるが、この文学の分類と系統を説明する歴史科学は、「科学」ではない。「科学」という制度では、実験をその方法とする国家にとって有用な学問は科学とされるが、比較をその方法とする有用でない歴史科学は科学とされない。漱石の文学論における科学は、「最新」「最先端」の「科学」とされてきたが、漱石の文学論に導入されたのは「科学」ではない。非「科学」的な科学を導入した漱石の文学論は、非「科学」的で科学的な文学論なのだということになる。

井戸田総一郎先生

「ニーチェのパロディアと文体」

Parodia und Still bei Nietzsche

 

【報告要約】

ニーチェの文体を考察する上でパロディアの重要性を指摘した。parōdíaodeparaの二つのエレメントが合成されており、odeは歌(詩と曲)を表し、paraには二つの方向性が認められる。一つは接近・共鳴・類似を表し、他方で越境・反対・差異をも含意している。この二つの方向性を示す意味が合成・統合された地平にparōdíaは成立している。つまり、パロディアとは、オリジナルのテキストに共鳴・接近し、それを範として模倣しながら、差異を生み出しつつ歌(オーデ)を作るプロセスということになる。ニーチェはこのような語源の持つテキスト生成を重視している。具体的な事例として、『プリンツ・フォーゲルフライ』の冒頭詩『ゲーテに寄す』を紹介し、『ファウスト』第二部のChorus mysticusの形式や響きに接近しながら、その内部から救済のモティーフを無化するプロセスを説明した。

 

テーマ:

 

927

「」

 

【報告要約】

 

「」

 

【報告要約】 

テーマ:

 

1011

蔡欣吟

「明治30年代における連体形準体法と準体助詞ノ」

The Quasi-nominal Form and NO-Pronominalization in the 30's of the Meiji Era

 

【報告要約】

 連体形準体法から準体助詞ノへの移行がほぼ完了した明治30年代における連体形準体法と準体助詞ノの棲み分けに注目し、残存する連体形準体法の使用実態を観察した。明治30年代の小説『金色夜叉』『社会百面相』と第一期国定教科書『尋常小学読本』を資料として、調査分析を行った。その結果、次のようなことが明らかになった。一、明治30年代において、連体形準体法と準体助詞ノの使用は文体に関わっている。文語調の文中では連体形準体法のみ用いられる。その一方、「である調」の地の文では準体助詞ノの浸透が著しい。二、漢語サ変動詞は連体形準体法で用いられやすい。三、言語規範でもある『尋常小学読本』をもって、連体形準体法から準体助詞ノへの移行が完了した。

 

伊與田麻里江

「山東京伝『通俗大聖伝』における漢籍翻案の様相」

Aspects of Adaptation of Chinese classics on SantōKyoden’sTsūzoku daiseiden.

 

【報告要約】

山東京伝『画図通俗大聖伝』(以下『大聖伝』と略記)は、『史記評林』「孔子世家」を種本とした翻案作品である。本発表では、典拠への《増補》という視点から、「徳」「聖」の語の挿入を手がかりに、本作品の翻案法を検証し、再評価を目指した。

 本作における「徳」「聖」の記述を見ると、典拠を改変しながら積極的に当該二語を文章に付加していることが解る。そしてその付加の仕方は、〈巻之一〉では同時代の黄表紙作品と相似した付け足し程度のものであるが、〈巻之二〉以降になると、孔子の有徳ぶりや聖人の道の内容にまで言及されるようになる。つまり、寛政の改革を契機に執筆された本作は、書き進めるうちに単に漢籍の翻訳ではなく、思想性までも加えられた作品となっており、京伝の「徳」「聖」への意識も深化したのであろう。そのような視点から、本作は未熟では有りながらも思想性がその一要素とされる後期読本として評価できうるのである。

野田学先生

「サイモン・マクバーニー演出『春琴』と間文化交渉」

 

【報告要約】 

 

テーマ:

 

1025

落合修平

「芥川龍之介「眼に見るやうな文章」について」
On Akutagawa Ryunosuke’s “Me ni miru youna bunshu (Visual descriptions)”

 

【報告要約】

 芥川龍之介「眼に見るやうな文章」は「景色がvisualize(眼に見るやうに)されて来る文章が好きだ」と夏目漱石「永日小品」の文章を三点例示して述べている。が、それが一体具体的にどのような文章の性質による効果であるのかを芥川は示していない。本発表では、それぞれの文章を検討し、また同時代の絵画批評(ゴッホ、及びセザンヌについて)を踏まえることでその内実に近づくことを試みた。そして、運動の痕跡や色彩の変転によって運動や力を適確に捉えている文章が優れて「眼に見るやうな文章」であると感受されていたのではないのか、と論じた。加えて「文芸的な、余りに文芸的な」「五 志賀直哉」で「目に訴える――言はば一枚の人物画に近い造形美術的効果により、結末を生かしている」と評価された文章を検討し、単に(視線の)運動や力を捉えていることだけではなく、その解放・拡散のイメージまでもが適確に捉えられていることを、芥川は評価していたのではないかと論じた。

 

小林馨

「近代オスマン帝国の教育改革―ガラタサライ帝室学校を中心に」

Education Reform in the Modern Ottoman Empire

 

【報告要約】 

 19世紀以降に本格化する近代オスマン帝国の教育改革の一環として1868年に設立されたガラタサライ帝室学校は、フランス語授業を中心に教育を行うエリート学校であった。

アブデュルハミト2世期 (1878-1908)において、同校では教育科目の中にフランス語授業にくわえ、イスラーム諸学を教えるトルコ語授業が大幅に増加された。それにもかかわらず、同校はいずれかの言語の授業のみを終えれば卒業できる修了証制度により、依然として多数の非ムスリム学生が学ぶ場としても機能していた。

また、進路先において上級官僚職に就く学生はムスリムが圧倒的多数を占めたが、非ムスリム学生も債務管理局やオスマン帝国銀行といった、帝国財政を握る西欧諸国主導の公的機関に進むなど、宗教の別のない多様な卒業生が輩出されていた。

このようにムスリムと非ムスリムの共学とエリート教育を可能にしたガラタサライ帝室学校は、教育改革においてオスマン帝国が近代的な学問と伝統的なイスラーム諸学の両立を図った結果生まれた極めて稀なケースであり、オスマン帝国教育史のみならず文化継承学の見地からも極めて興味深い研究対象であるといえるだろう。

矢島國雄先生

Curiosityをめぐって

On the curiosities in the early modern Europe

 

【報告要約】 

初期近代における「科学」の状況を振り返ると、13世紀、トマス・アクィナスによるアリストテレス哲学とキリスト教神学の統合以来、狭義のスコラ学が教会や大学の学問そのものとなり、大学は古代のテクストの釈義と論争能力に集中した。16世紀中期まで大学は技術の進歩や人文主義にほとんど影響を受けていないと言われる。

15世紀以来の前期ルネサンス、人文主義者は理想を古代ギリシャに見出す。スコラ学から古代崇拝へと大きな変化が引き起こされたが、極言すれば、これは一部の知識人世界の話に過ぎず、社会全体の「科学」の状況に大きな変化は生まれていない。

ところが、16世紀、大航海時代、それまで権威ある書であったアリストテレス『動物誌』、テオプラトス『植物誌』、ディオスコリデス『薬物誌』、プリニウス『博物誌』にも多くの誤りや無知があることが明らかにされ、後期ルネサンスでは、文書偏重からベーコン流の経験の重視への流れが、職人や技術者に俗語による著述を促した。戦争と産業商業の世界で数量化、具体的描写、図像表現が求められたことによるもので、これには職人や技術者が重要な働きをした。

新世界の発見と、こうした「科学」の状況は、博物学の世界におけるコレクション形成を強く促した。Curiositiesの成立の事情はこのようなものである。16世紀前半においては、Curiositiesは、なおプリニウス的、アリストテレス的世界にとどまっていたが、上述したような「科学」の発展は次第にその枠組みを破綻へと向かわせた。

 珍奇なものへのまなざしはいつの時代にもあるが、16世紀における博物学世界、新技術の世界は、Curiositiesというモノとその表象の世界を作り上げた。実際、当時の最先端の知識と技術を表象する物証の集積体としてのCuriositiesは権威を象徴するものとしても機能していくことになる。

 

テーマ:

 

118

早澤正人    

「芥川龍之介の小説スタイルをめぐる考察――初期テクストの構造」
Analyzing the style of novel by Akutagawa

RyunosukeStructure of his early works

 

【報告要約】

芥川の初期テクストは、位相の異なる複数の語りが、無数に重層化されていくメタ構造を備えているケースが多い。例えば、「ひょっとこ」(大44)において、「「嘘つきの話」を引用する嘘つきの話」を引用する嘘つきの話」…」といった具合に、複数の話者の嘘が重層的に引用されているのが、その一例である。また、他にも「「津藤の話」を聞いた母の話」を聞いた私の話」(「孤独地獄」大54)とか、「「劉の話」に対する様々な人の解釈」に対する語り手の解釈」(「酒蟲」大56)のように、複数の話者の認識を「入れ子型」に重層化させていく手法が、芥川の初期テクストでは、非常に多く用いられている。では、こうしたメタ構造の背景には何があるのか。本発表では、懐疑主義をキーワードにして、かかる問題に一考を加える。

 

熊谷知子

「小山内薫の『緑の朝』(1918)―六代目菊五郎と松井須磨子によるダヌンツィオ上演とその時代」

Midori no asa (1918) by OSANAI Kaoru; a consideration of two performances by ONOE Kikugoro Y and MATSUI Sumako

 

【報告要約】

ガブリエ−レ・ダヌンツィオ(1863-1938)の戯曲『春曙夢』は、明治期にすでに日本に紹介されていたが、大正7年(1918)、小山内薫(1881-1928)の手によって『緑の朝』と改題され、8月には帝国劇場で市村座の六代目尾上菊五郎(1885-1949)を主人公に、そして11月には明治座で芸術座の松井須磨子(1886-1919)を主人公に上演された。抱月の死に際したことで『緑の朝』の名はよく知られているが、これらの上演に対する評判が必ずしも良くなかったということもあり、これまで十分に顧みられてこなかった。

本発表では、はじめに小山内が19世紀末のダヌンツィオの戯曲を、大正中期に翻案し、かつ翻訳したことの背景を、「パンの会」や「古劇研究会」における人脈に関連付けて示した。そして、この二つの『緑の朝』上演の詳細について、劇評や演劇雑誌の読者投稿を用いて検証した。その際、菊五郎と須磨子の演じた主人公の「狂人」に焦点を当て、「巣鴨の至誠殿」や「大本教」といった新興宗教に凝ったという一面をもつ小山内の、当時の精神状況を交えて考察した。

井戸田総一郎先生

「鴎外の演劇言語にみる近代」

 

【報告要約】

 

 

 

 

 

  

テーマ:

 

1122

穴井佑

1630年代イングランドにおける検閲/ 印刷・出版統制と異端

Censorship and Heresy in England during the 1630s’

 

報告要約】

文化継承という視点から、1630年代イングランドにおける検閲や印刷・出版統制の意義を考察した。当該時期のイングランドでは、安息日(主日、日曜日)の在り方をめぐって、安息日厳守主義者とそれを否定する教会当局との間で激しい論争が行われていた。いずれの見解が国教会の正統な教義であるかが問題となったこの論争で、教会当局は、1586年の印刷・出版統制に関する星室庁裁判所の布令を通して、安息日に関する異端的な人物を象徴的に処罰することで、安息日厳守主義に対する批判を展開した。これに対して、安息日厳守主義者らは、そうした異端的な人物の誤謬性を、逆に教会当局の見解と重ね合わせることで、当局の方が誤った異端的な見解を有しているという反論を行っている。本報告では、こうした事例から、この時期の印刷・出版統制が単に言論を封じ込めるだけでなく、避けなくてはならない異端的な見解という誤謬の尺度を提供したことで、安息日に関する正統な見解の形成に寄与したのではないかという報告者の見解を提示した。

 

出縄祐介

「オーストリアとプロイセンにおける検閲―1700年から1848年を中心に―」

Zensur in Österreich und Preußen und ihre Funktion (1700-1848)

 

【報告要約】 

本発表では、1700年から1848年のオーストリア及びプロイセンにおける検閲の系譜を辿った。両国とも、1700年代から始まった啓蒙主義により、それ以前の宗教的検閲が廃止され、検閲の緩和が行われた。しかしながら、検閲の自由は事前検閲の廃止に限られており、事後検閲は依然存在していた。プロイセンではフリードリヒ2世が事前検閲の自由を直後に撤回したのと同様に、オーストリアにおいてもヨーゼフ2世は事前検閲の自由を撤回している。これは啓蒙主義の普及に伴う自由主義や国民主義の高揚により、検閲が再び王政維持、国民の思想形成や人間形成の制御のために用いられたことを明らかにしている。また多くの作家及び印刷業者は、検閲に対して異議を政府に申し立てているが、多くの場合に政府はこの異議を退けている。体制維持及び国民の思想をコントロールする際の手段として検閲が優れていたために、大規模な検閲緩和や検閲の廃止は実施されなかったと考えられる。啓蒙主義後は、反動政治により再び検閲の強化が実施されている。この反動政治及びそれによる自由主義や国民主義の高まりが相互作用し、前三月期である1819年以降厳しい検閲が実施される。これよって青年ドイツ派の作家は拘留され、多くの作家が亡命をした。オーストリアにおける1848年の革命期前の検閲は、1801年及び1810年以来、検閲当局と警察組織の一体化が始まり、その厳しさは他の諸国を上回るものであったことが推測される。この検閲と警察の一体化は、オーストリアにおける検閲の特徴である。1848年の3月革命は、数か月で反革命派により鎮圧された。18483月に実施された検閲の自由化は再び廃止され、帝国の滅亡まで検閲が存続する結果となる。多くの他民族を抱えるハプスブルク帝国において、政府が国民の思想及び人間形成を担っており、政治的検閲及び宗教的検閲は体制を安定させるための手段として効果的に用いられたと考えられる。

合田正人先生

ポール・リクールの哲学

Philosophie de Paul Ricoeur

 

【報告要約】 

 ポール・リクール(1913−2005)は20世紀フランスを代表する哲学者で今年生誕100年を迎える。その活動は数十冊の著作にまとめられておるが、意志の哲学、罪障性の哲学から哲学的・宗教的解釈学の様々な試みを経て物語論、隠喩論、自他関係論、歴史・証言論、脳科学と多岐にわたる。レヴィ=ストロースなどとの論争、様々な社会問題へのコミットという点でもその活動は瞠目すべきものである。発表では、このような多彩な活動の根底にあるものとして「ひび割れたコギト」というリクールの考えを取り上げ、そこに、象徴(シンボル)の解釈学、「他者としての自己自身」という発想、ミメーシス論等々の共通の源泉があることを示そうとした。

 

 

文化継承学T・U合同授業 

 

126

李相雨先生

「東洋を目指していく劇作家たち:韓国演劇と東洋主義〜1940年代と1970年代の韓国演劇に現れた「東洋熱風」と「東洋主義」〜」

Korean Playwrights Heading for Asia: Asian Enthusiasm and Asianism in Korean Theatre in the 1940s and ’70s

 

【報告要約】

1940年代と1970年代の韓國演劇に現れた東洋熱風と東洋主義の現象と意義を分析する。

 

日向一雅先生

源氏物語注釈史における『尚書』と周公旦注

 

【報告要約】

源氏物語古注釈史は藤原伊行『源氏釈』(1170頃)から藤原定家『奥入』(1233)、『光源氏物語抄』(1267)、素寂『紫明抄』(1294)、源親行・行阿『原中最秘抄』(1364)を経て、四辻善成『河海抄』(1362)で集大成される。それが三条西実隆・公条・実枝を経て、中院通勝『岷江入楚』(1598)まで継承された。そこで指摘された漢籍の出典・典拠のうち、主として『尚書』と周公旦を指摘する注釈を中心に、その注釈がどのように発展していったのか、それはどのような源氏物語の読みを導くものであったのか、源氏物語の表現の構造にどのくらい深く切り込んでいたと考えられるか等々の問題を検討してみたい。特に『河海抄』はそれまで注の整理統合にとどまらず、注の引用を増やし出典を正確に記して、源氏物語の表現世界の広がりと奥行きを立体的総合的に捉える注釈を達成した。『河海抄』の序文と「料簡」はそのことを端的に示す。序文では注釈史を概観し、「料簡」では源氏物語の成立、作者、主題、方法、後世への影響等について略述するが、主題把握は明確な儒教的言説を提示する。本報告ではそのような『河海抄』の儒教的主題把握の成立に果たした『尚書』と周公旦注に注目し、その展開をたどるとともにその意義を考える。

 

テーマ:

 

1220

岡本光代

「井上正夫という俳優―新時代劇協会を中心に」

 

【報告要約】

 

伊與田麻里江

山東京伝『忠臣水滸伝』の一側面―兼好法師の造形とその役割

One Facet of Santō Kyōden’s Chūshin Suikoden           The Rule and Charcterization of Kenkō

 

【報告要約】 

山東京伝の初期読本『忠臣水滸伝』(寛政九年刊)は、浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』と中国白話小説の『水滸伝』を取り合わせた作品である。しかし、本作の結尾を飾るのは、『忠臣蔵』に登場するわけでもなく、『水滸伝』的な人物でもない、兼好法師(卜部兼好)が、大星由良之助ら義士の、当事者も不可知な因果因縁を、天女から知らされるという場面であった。京伝はなぜ、兼好にこのような役割にあてたのだろうか。

 本作品における兼好の造形を確認すると、隠遁者、潔癖、風流人、文武両道といった要素が見いだせる。これは、近世期の諸書に描かれた、「恋の訳知り法師」「真しき隠者」の二つのパターンの兼好像のうち、「真しき隠者」という造形に近いことが解る。また、「真しき隠者」としての兼好は主に兼好の伝記的作品に見いだせるものであるが、これらの伝記を参照していると認められる描写も確認できる。

 こうした伝記では、兼好は廻国の歌僧として描かれていた。『忠臣水滸伝』も同様である。こうした廻国の修行僧が直接関わりのない出来事の因果因縁を知るという話形は、権化本によく見られるものであった。権化本の因果因縁が、読本の長編化に貢献したことは既に指摘されていることである。京伝が権化本を意識して読本を書いたと指摘されるのは『曙草紙』(文化二年刊)からであったが、本作執筆時点で既にその意識があったことが、本考察から解るのである。

神山彰先生

「新国劇の特質」

Characteristics of Shinkokugeki

 

【報告要約】 

 大正中期から昭和40年代まで、大きな存在だった「新国劇」の演目の大きなモチーフが、ノスタルジーだった。新国劇の人気演目である任侠物では、家族との別れや、同志の裏切りにより敗走していく姿が強調され、多様な観客層の情動性を刺激した。その代表的演目『国定忠治』の著名な台詞にあるように「故郷を捨て、国を捨て」て、逃げていく任侠の世界を借りて表現される痛恨の思いが、庶民の心性に強く訴えたのである。

また、この時代に重視された家族、家庭の問題も、任侠物に投影されている。

もう一つの、新国劇の魅力が、スピード感ある、立ち回りだった。スピードは、歌舞伎や新派と異なる、大正という新しい時代の求める価値観であり、新劇やレヴューに共通するものだった。

故郷とスピード。この二つを、いかにも日本的な義理や人情のイメージを通して結びつけた新国劇には、大正期の多くの演劇ジャンルに通じる心性が反影されているのである。

 

 

テーマ:

2014

1月10

中村俊彦

No theater, no world: Thomas Heywood  An Apology for Actors における反演劇論性

No theater, no world: Antitheatricality in Thomas Heywood’s An Apology for Actors

 

【報告要約】

本発表では、Thomas Heywood  An Apology for Actors (1612) に焦点を当てて、彼の演劇擁護論がいかに反演劇論性を帯びているかを考察した。Heywood の演劇擁護論の特徴は、詩学や修辞学の伝統を領有しながら、現実世界に大きな力を及ぼすメディアとして演劇を位置づけている点だ。Hercules になりきる Julius Caesar (E3v)  Achilles を見習った Alexander (B3r) に関する記述は、その好例であり、そこでは虚構と現実の境界が曖昧になり、虚構であるはずの演劇が現実世界を浸食する現象が描かれている。Heywood  Thomas Kyd  The Spanish Tragedy (1592) の台詞を引用しているのも、その意味で、偶然ではないだろう。殺害された息子の復讐を遂げるため、虚構としての劇中劇で実際に殺人事件が発生するというプロットは、Heywood が主張する、虚構が現実世界に浸食するという現象とうまくリンクするからだ。だが彼の擁護論は、John Green  A Refutation of the Apology for Actors (1615) で言及するように、新たな偶像を作り出しているだけであり、演劇と偶像崇拝の関係性をより強固なものにしているに過ぎない。

 

稲山玲

ピーターブルック演出『リア王』 過去との断絶の仕方

 

【報告要約】 

大石直記先生

鴎外における美学的転回、或いは、その〈徴候論〉的論究    ――《審美学》/《情学》/《モデルネ》の美学

 

【報告要約】 

 

 

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