更新日2015/2/18

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Cultural Heritage Studies

 

   文化継承学U 2014年度 年間プログラム

2014年度に行われている文化継承学の発表リストです。
随時更新して行きます

 

報告日

報告者

タイトル

 

文化継承学T・U合同授業

 

2014
5
9

石川日出志先生

「杉原荘介と日本考古学界の組織化:1940年代後半〜1960年代前半」
SUGIHARA Sosuke
an Organizer of Japanese Archaeology for two decades after WWU.

 

【報告要約】

 考古学者・杉原荘介(19131983)がこの世を去って30年あまりが経過した。 杉原は、明治大学の考古学部門の創始者のひとりであり、強力な、というよりむしろ強烈な、と形容すべき牽引者であった。しかし、牽引者としての活躍は、明治大学というよりも日本の考古学界においてこそ意識して実行され、特にそれは戦後約20年間に集中している。越前和紙杉原紙問屋の若旦那であったことから「荘介旦那」と揶揄されるほどに強引な場面もしばしばであったが、杉原の牽引によって戦後日本考古学界の組織化が大きく進展したことは確かであろう。  静岡市登呂遺跡の官民共同・学際的調査の実現(194750年)、日本で初めての全国学会組織である日本考古学協会の創設(1948年)、日本における旧石器時代文化の存在を実証した群馬県岩宿遺跡の調査(194950年)、そして日本考古学協会内の特別委員会として行った弥生文化研究(195158年)について、本人と周辺の人々の証言と記録から、その活動の舞台裏を紹介する。  本報告は、考古学近現代史の試みのひとつである。報告者は、杉原の最晩年6年間教えを受けた身であるが、過大評価することなく、冷静に評価しつつ、自らの存立基盤を確かめたい。

 

野田学先生

「演劇性という思考:ウィリアム・ハズリットのキーン評と開かれた自己」

Theatricality as a way of thinking: Open self in William Hazlitts reviews on Edmund Kean

 

【報告要約】

 キーワード 演劇性、パラダイム、ロマン派

概要:本論は、ウィリアム・ハズリット (William Hazlitt, 1778-1830) の キーン(Edmund Kean, 1789-1833) 評における「バイプレイ (bye-play)」という語に注目した。最終的論点は、ハズリットにとってバイプレイは、彼の「開かれた自己」という、すぐれて演劇的な思考と密接に結びついているということである。本論が踏んだ手順は以下の通りである。

 1 ハズリットのキーン:特にバイプレイに関して――ハズリットの用いる「バイプレイ」に注目するこのセクションでは、諸情念の重層的演劇表象を目指す《テクストの余白への演技による注釈》としてのバイプレイが、18世紀の新古典主義的情念表象法の硬直した図式性に対するロマン派的対抗手段としてハズリットにより捉えられていたことを示した。

 2 ハズリットの機械的感覚論/唯物論的観念連合論批判と「バイプレイ」――機械的な18世紀的感覚論ならびに観念連合論への批判として書かれたハズリットの『ハートリーとエルヴェシウスのシステムに関する見解 (Remarks on the Systems of Hartley and Helvetius)(1805) を考察し、諸観念は複数の――究極的にはすべての――他の観念に対して直接アクセスができなければならないとするハズリットの主張が、諸情念の重層的演劇表象としてのバイプレイを賞賛するハズリットの姿勢の背後にあることを示した。

 3 自分の外に出るということ:ハズレットの「自己愛」論批判と「バイプレイ」――18世紀的経験論(特にホッブズ)の機械的自己愛説を批判したハズリットの『人間行動の原則に関する試論 (An Essay on the Principles of Human Action )(1805) を考察し、人間の同一性形成には、未来の自己という《他者》への想像力が不可欠である以上、人間には他者に対する同一化的想像力が本質的に備わっているというハズリットの考えを示した。古人の殻を打ち破るこの想像力に《開かれた自己》の契機をみたハズリットだからこそ、彼は他者の情念を表象する俳優のバイプレイを、自分を空しくして他者の特異的な情念を一つの統一体として表象する想像行為であると考えたのである。

 4 ハズリットのワーズワース批判:演劇性のありか――ハズリットによる1820年の『ロンドン・マガジン』誌上の記事においても「バイプレイ」の語は用いられている。最終セクションでは、ここで彼が展開するワーズワース論に込められた唯我的なロマン派的「病」批判を考察し、劇作家は自己という名の幻想の殻をやぶり別人へと己をむなしくして想像力を馳せるシェイクスピアのような腹話術師になるべきだという彼の主張を紹介した。優れた劇作家は「腹話術師」になるべきだという彼の主張は、ロマン派的<個>を過去と未来に引き裂かれた現在にある存在として捉えることにつながっている。彼にとって個人とは、決して内面への耽溺を自己完結的に許容するような閉じた存在ではなく、むしろ(いわばサルトル的に)未来へ自らを企投する実存なのである。個人の開かれた構造はその中に他者を孕まざるをえないとする彼の主張は、バイプレイを賞賛する彼の思考の根底にある《開かれた自己》という演劇的思考と直結している。

 

第1回

 

516

清水勇樹

Dombey and Son (1846-48) における資本主義的家父長像の変遷」

Melting the image of capitalistic patriarchy in Dombey and Son

 

【報告要約】

キーワード:貨幣、家父長制、流動化

Charles Dickensによる小説Dombey and Sonに描かれた家父長像は、極めて資本主義的である。すなわち、貨幣の増殖性に基づき、家父長制はその権力強化を図るが、貨幣が併せ持つ流動性によって、その権力が不安定になるという、家父長像の変遷を描いているのである。

資本主義と家父長制とが連動する世界とは、すなわち貨幣が擬人化し、人間が貨幣化したかのような世界である。例えば本作では、父と息子がまるで自己増殖する貨幣のように描かれ、一方で有性生殖に必要な女性を疎外するという、資本主義と連動した家父長的権力構造が描かれる。しかしDickensは、物語を家父長の破産と、娘との和解で締めくくっている。貨幣はそもそも多義的で流動的な存在であり、それによって立つ家父長制も不安定であることが描かれているのである。この問題を通してDickensは、家父長的な富の一点集中から、世間に流通すべき貨幣へと生まれ変わった経済観を提示したのではないか。

 

中村俊彦

「欲望のかたち:バートンの『憂鬱の解剖』における対象化と同一化」

The Figure of Desire: Objectification and Indulgence in Burtons The Anatomy of Melancholy

 

【報告要約】

本発表の目的は、『憂鬱の解剖』(1621年初版)の文体的特徴を考察することで、バートンの、変身恐怖と変身願望を明らかにすることである。メランコリーを解剖するにあたって、彼は、本著の巻頭に樹形図構造の梗概を記している。これは、流動的で可変的なメランコリーを詳細な項目に閉じ込めることで、それを観察可能な研究対象にしたいという欲望のあらわれだと考えられる。一方で彼の文体はメランコリーと同一化することも欲望する。文章は川の流れに例えられ、脱線的な記述が何度も繰り返されるのはその証左だ。メランコリーを対象化したいという欲望とそれと同一化したいという欲望の奇妙な共存は、バートンの「変身」に対する複雑な欲望を指し示している。流動的で可変的なメランコリーを対象化することで彼の人間的身体は変身の恐怖から解放される。その一方で彼は、『憂鬱の解剖』というテキスト的身体で、変身の願望を成就しようとしているのだ。

 

合田正人先生

「ジャン・グルニエと島々の哲学」

Jean Grenier and Philosophy of Islands

 

【報告要約】

ジャン・グルニエ(1898-1971)は、アルベール・カミュの師として知られるフランスの哲学者であるが、グルニエ自身の哲学がこれまで十全に論じられてきたかというと必ずしもそうは言えない。そこで本発表では、「多島海システム論」の練成という発表者自身の課題に即して、名著『島々』(1933)に始まるグルニエの哲学を、「島」とは、「島々」とは何か、それとグルニエの言う「非人間的なもの」とはどのように係るのか、更に、古代中国の老荘思想や古代インドの思想へのグルニエの関心はそこにどのように作用しているのか、といった観点から論じた。

 

第2回

 

530

ショーン・ニコルソン

「『[露国奇聞]花心蝶思録』のルビ」

 Interlineal Glosses of Rokokubun Kashinchō (1883)

 

【報告要約】

 多くの明治前期の文献は総ルビないしパラルビという形式になっており、明治前期という時代の表記の一大特徴となっている。明治一六年(一八八三)刊行の翻訳小説『[露国奇聞]花心蝶思録』(以下『思録』と略す)は右ルビ、左ルビ、左右ルビといった多用なルビ形式を駆使した、表記上のバラエティに富む資料である。『思録』の、ルビが付せられた五九九箇所を、言語単位別、よみ・非よみ別、左右別といった様々な観点から分析を行い、大半のルビが右ルビで「語」単位のもののよみとなっていることが確認されたが同時に『日本国語大辞典第二版』水準で「よみ」として認定されないものが一五六例に登るほか、 『日国』に載録されていない一〇六例があった。『思録』本文には、「記名」に「アーヅレス」が振られ、「賭博」に「チヨバク」や「バクチ」が振られている用例は頻繁にみられ、明治前期の表記実態の一端をうかがわせる。

 

小山亮

「大正前期の皇室と写真報道

―代替わり・「大正大礼」・皇太子行啓と撮影規定―」

 

【報告要約】

本報告では写真撮影に対する当局による取材統制のあり方とその変容に留意しながら大正前期の新聞における天皇・皇族等の写真記事を対象として下記の通り検討した。

明治から大正への代替わり後、191211月の陸軍特別大演習で初の〈天皇の写真記事〉として乗馬の写真記事が新聞に掲載されたが問題とはならなかった。翌1310月の桃山陵参拝時に〈盗撮〉された写真が紙面に掲載され問題化し撮影規定が設定された。

1915年の「大正大礼」は1913年以来天皇の撮影取材が許可されていく流れにおいて、メディアが商機として認識し、取材攻勢が拡大の契機ともなった。当局は1913年の撮影規定による取締を想定していたが、メディアからの取材要請を機に大礼限定の規定を設定した。

1916年には皇太子の撮影にあたって規定を逸脱した例があるが、警察において問題視されるも、何らかの処分が行われた形跡は確認できていない。

この後、1921年の外遊を契機として視覚がその重要な要素を占めつつ、皇室改革のなかでメディアへの対応が転回するが、そのために必要な条件は前述のように1910年代を通して整えられていったと考えられる。

佐藤清隆先生

「多民族都市レスターの多宗教統合と祝祭

− 在英シクのバイサキの事例を中心に −」

Multifaith Integration and festivals in the Multi-Ethnic City of Leicester:A Case Study of the Sikh festival of Vaisakhi in the UK

 

【報告要約】

近年、イギリスでは、ムスリム、ヒンドゥー、シク、仏教徒など、「宗教的エスニシティ」とでも呼べる移民たちが、数多くの宗教施設を建設する一方、他方では彼らの祭りを「外」に向かってパレードを伴いながら開催し、これまでになくイギリス社会の表舞台に登場してきている。そのことは、イギリス社会が「マルチ・エスニック・ブリテン」とか「マルチ・カルチュラル・ブリテン」とともに、「マルチ・フェイス・ブリテン」としての特徴を強くもつようになってきていることを意味する。本報告は、こうした問題の一端を、在英シクたちが祝う「バイサキ」という祭りの歴史を通して考えてみようとするものである。具体的には、多民族都市レスターのシクの事例を中心に、(1)バイサキとカールサ誕生の物語、(2)レスターにおけるバイサキの始まりとその後の発展、(3)バイサキの役割とその変容、(4)バイサキ開始の歴史的背景、(5)シクの多様性とバイサキなどについて検討し、レスターの多宗教統合と在英シク・アイデンティティの問題を考えてみたい。

 

第3回

 

613

翟 一溪

「志賀直哉の「大津順吉」の所謂断層問題について」

A study on ShigaNaoyas Otsujunkichi

 

【報告要約】

周知のように、志賀直哉は明治三十四年に内村鑑三を訪ねて以来、約七年間にわたってキリスト教の教えに接した。志賀がその時期に女中のCの間に起きた出来事の体験をもとに書いた小説は「大津順吉」(『中央公論』大正元年九月)である。志賀のキリスト教から離脱という体験で作られたこの作品を中心にして、主人公の宗教観という側面に焦点を当て、考察していくことにする。「大津順吉」執筆のモチーフについては、「当時の私にとつて直接の問題だつた」と志賀直哉自身が述べている。須藤松雄は、この作品を「父との抗争において自我を貫徹させる方式が高潮に達し、そういう自己を全面的に肯定しつつ書いた」と評し、また「『第一』・『第二』の間に断層がある」と指摘している。今回の発表では、「大津順吉」における所謂「断層」の問題が、時間面や内容面とも存在しないことと、キリスト教の影響の下で主人公順吉の変化・成長こそは小説の主題であることを論じた。

落合倫巳

「アルチュール・ランボー、BOTTOMにおける自己(le moi) の在り方」

The self in Arthur Rimbauds Bottom

 

【報告要約】

本論は、アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud, 1854-1891の散文詩群『イリュミナシオンIlluminations』中の一篇Bottomを分析対象としている。

この詩はもともとのタイトルであったMétamorphose(変容)を詩のテーマに据えながら、同時にBottom(存在の「本質」)を描き出していると思われる。主人公「僕」の鳥、熊、ロバへの変容はどのようか、またそれらはどんな様相で描かれているか。また「僕je」という存在はどのようなものとして浮かび上がるか。分析の結果、「僕je」という存在の受動的性格や、存在の孕む他者性が

導きだされ、そこからランボーが自己・自我(le moi)というものの在り方に関して抱いていた独自の考えが浮かび上がってくる。

矢島國雄先生

「博物館展示の変遷から見えるもの」

 

【報告要約】

 18世紀の成立した今日的な形の博物館は、私人のコレクションであったキャビネットやクンストカマーの世界と異なり、「知の社会化」を進める社会的文化的な装置として万人に公開されるものであった。いわゆる啓蒙主義の世界観から発したものといえる。しかしながら、前代のキャビネットなどと異なるところは、その展示される資料の価値観にあり、公に認められた学術的文化的な意味と価値が明らかにされたものを見せるという点で、コレクター自身の趣味や嗜好の世界とは一線を画されることとなった。

 18世紀から19世紀を通じて、展示の基本原理は分類学であった。これは当時の「科学」の基本原理であったと言える。すなわち、実物を羅列した百科全書といった趣のものであったといえる。それが変化するのは19世紀中葉以降で、先史時代理解の三時代法や進化論の登場によって分類による静的な世界認識から時間経過による変化・深化・生成といった動的な世界認識への「科学」の変化を背景とする。また、相互の関係への理解が進み、生態的な観点が展示に導入されるようになった。これによって、分類に基づく資料の羅列的陳列から、学術的な説明の付された見せる組み立てが生み出されたと言える。

 こうした展示の変化も1970年代頃からは、あくまで資料が中心であった展示が、メッセージ主導型へと変化し、その展示を通して何を伝えようとするのかが問われるようになってきた。映像の利用や来館者自身が参加体験するような展示が増え、厳正な学術的世界を楽しみながら受け止められるような工夫が広がり、メディアミックスが進んでいる。これらの変化は「科学」の世界の変化であると同時に、社会の持つ世界観そのものの変化を背景としていると言える。

 

第4回

 

627

熊谷知子

「小山内薫の宗教信仰とその時代」

Kaoru OSANAIs Religious faith and the Taisho era

 

【報告要約】

キーワード:新興宗教、心霊主義、聖と俗、矛盾、一次資料(雑誌、新聞)/二次資料(全集の類)

小山内薫(1881-1928)の著作に関しては、これまで二つの全集が出版されているが、彼の「巣鴨の至誠殿」や「大本教」といった、いわゆる「邪教」信仰に関する著作は、「小山内先生」たるイメージにそぐわないためか収録されていない。その証拠に、小山内に関する伝記や回想には、彼の宗教信仰は「弱さ」や「矛盾」を体現するものとして紹介されることが多い。しかし、エッセイ「「大川端」時代」(『女性』19244月号)における小山内自身による告白をみれば、彼にとって宗教信仰は、「矛盾した生活」における「ネセシチイ」なものであることは明らかであり、見過ごすことはできない。そこで、本報告では、大正時代に流行した「心霊主義」をキーワードに、小山内における宗教信仰と彼の「心霊主義的傾向」を、大正という時代背景とともに考察した上で、彼の創作活動に関連付けて整理した。

 

岡本光代

「六代目尾上菊五郎の歌舞伎上演について」

Kabuki-works played byKIKUGORO Onoe Y

 

【報告要約】

 六代目尾上菊五郎は明治・大正・昭和と長きにわたって活躍した歌舞伎俳優である。明治時代の演劇を牽引してきた「団菊」、九代目市川団十郎を師に五代目尾上菊五郎を父に持つ六代目菊五郎は両名からの薫陶を受け、一つの時代を築き上げたと考えられる。しかし演劇は時代の空気を反映しているのは言うまでもない。師や父から受け継ぎ、また変化させていったものは何か、それを考察することで日本演劇(特に歌舞伎)の近代化について考察していけるのではないだろうか。そこで本発表では、とりわけ父である五代目菊五郎と六代目菊五郎の間で、特に六代目菊五郎がその名声をゆるぎないものにした大正時代という時代を踏まえて、受け継いだもの変化させたものを探るために、両名が上演した『塩原多助一代記』を中心に考察した。

李相雨先生

「植民地時代の金玉均という表象と記憶の政治

 

【報告要約】

 : 金玉均、記憶の政治、再現、専有、アジア主義、民族主義、軍主義、大衆メディア

テキストに現れる、史人物についた再現は記憶欲望での闘争といえる。テキストには史人物の描主体の異なる複の記憶欲望が存在し、そのテキストをめぐっているメディア、政治、資本の記憶欲望そしてテキストをする/の記憶欲望などが互いに競合(contest)しながら一つの特定の記憶が構成される。この文は植民地朝鮮のテキストで現れた革命家金玉均にする多な記憶欲望と再現方法をアジア主義の、民族主義や大衆メディアの、軍主義の專有という3つの樣相に分けて分析して、その文化政治な含意を究明したものだ。

 

第5回

 

711

山本耕

UGIF指導者レモン・ラウル・ランベールの戦間期における思想と行動

‐ユダヤ人新聞lUnivers israélite分析を中心に‐」

Thought and action during the interwar period of Raymond-Raoul Lambert, the leader of UGIF

- Analysis of Jewish newspaper l'Univers israélite -

 

【報告要約】
対独敗北の結果、北部をドイツ軍政当局が、南部をヴィシー政権が統治していたヴィシー政権期フランス(1940-1944)において、反ユダヤ政策の一環として在フランス・ユダヤ人総連合が創設された。その指導者のひとりでユダヤ系フランス人のレモン・ラウル・ランベールは、占領中及び解放後もヴィシー政権への、ひいてはドイツへの「協力」を非難されることになった。本報告は、ヴィシー政権期に力点が置かれる傾向にあるランベール研究の時間的枠組みを戦間期にまで拡大し、ユダヤ人新聞lUnivers israéliteに掲載された彼に関する記事を分析することで、ヴィシー政権期における選択の背景にあった、彼の思想と行動を明らかにした。彼の行動の根幹にあったのは、フランスへの帰属意識とユダヤ人難民への好意であった。後者はユダヤ人の多様性の許容に基づくものであったが、ユダヤ人を受け入れた各国家への同化を前提としており、ランベールの考えるフランスの利益とは矛盾しないものでもあった。今後は彼の思想を戦間期の文脈の中で意味づけていきたい。

 

雨宮史樹

1920年代のマス・メディアにおける青年知識人の役割

―白蓮事件と東京帝国大学新人会を中心に―」

 

【報告要約】

 本報告の目的は、1920年代の日本の社会構造の一断面を、青年知識人のマス・メディアに対する働きかけに焦点をあて、彼らの担っていた役割を提示することにより描き出していくことにある。分析対象として、192110月におこり、当時の日本では稀有な例であった非専業ジャーナリストの青年知識人たちが中心となり展開されたマス・メディアキャンペーンである白蓮事件と、同事件を主導した新人会員の思考と行動を検討する。

 新人会出身者が女性解放運動を主旨としマス・メディアキャンペーンという特別な方法を駆使して展開した白蓮事件は、その目的通り社会に対して大きな波紋を投げかけた。

 弁護士、労働組合運動家、記者によって展開された白蓮事件は何を物語っていたのか。それは、大学卒業後の職業的拡散を前提とし、各職種間を貫通する様々なネットワークをもちい広範な人々に働きかけていく青年知識人の姿である。白蓮事件から明らかになるのは、青年知識階層の社会的成立である。

井戸田総一郎先生

 

 

【報告要約】

 

 

 

第6回

 

926

花岡敬太郎

「帝国主義の記憶と1968年 ―「ウルトラマン」とTBS闘争から」

 

【報告要約】

キーワード:ウルトラマン、ウルトラセブン、TBS闘争、金城哲夫、実相寺昭雄

本報告では、「ウルトラマン」の主脚本家である金城哲夫と、同シリーズに監督として参加した実相寺昭雄の試みを整理・連関させて考察した。特に、金城脚本・実相寺監督の唯一の組み合わせとなった、「ウルトラセブン」第8話「狙われた街」を中心に、ニューメディア・テレビの在り方について挑戦を続けていた実相寺をはじめとするTBS闘争経験者の思想と、彼らの思想に共鳴した金城哲夫の問題意識の現れ方を整理し、1960年代後半におけるニューメディア・テレビと、そこを場として表現される「帝国主義」の記憶の描かれ方・消費のされ方について議論した。また、これら一連の取り組みを「1968年」という一つのファクターの中で考察することで、同時代の時代のうねりと奇しくも相似形をなした「ウルトラマン」の社会性について議論した。

 

神山彰先生

「近代日本演劇「感動」の起源」

Origins of Kandohbe movedin modern Japanese theatre arts

 

【報告要約】
 演劇に限らず、多くの芸術分野で現在では「感動」はよく使う用語である。だが、少なくとも、演劇に即しては、明治末年、二十世紀になるまでは、「感動」は用いられない。「評判記」の世界の褒め言葉は、上々吉、感心、大出来等の遊戯感覚でされる。「感動」自体の用例は中世以来あるが、芝居に対して用いることはない。舞台に接して、情動を刺激された観客が「感動」するのは、洋の東西を問わず、十九世紀までは「泣く」「涙を流す」という愁嘆表現が一般的である。それは、観客同士が情動を共有する喜びを促すのに対して、明治末からの「感動」は他の観客などには解らない、特権的な情動性の表現として用いられるようになる。そこには涙からの脱却がある。また、明治末の自由劇場の上演に際して和辻哲郎が書くように、開幕前から、西欧の立派な戯曲をこれから見るということ自体に感動するという表現もみられる。「感動」自体が、一種の異文化受容なのか。その一端を探ってみた。

 

 

 

第7回

 

1010

熊谷知子

「小山内薫の伝記劇 『森有礼』(1926)について」

About a biographical play, MORI Yurei(1926) by OSANAI Kaoru

 

【報告要約】

キーワード:伝記劇、英雄・偉人劇、「明治」という時代を描く、西洋受容の反動

小山内薫(1881-1928)の戯曲『森有礼』(1926)は、二世市川左団次(1880-1940)の主演によって、二度歌舞伎座の本興行として演じられた。奇しくも大正から昭和への移行期に上演されたこの作は、明治期の偉人、森有礼(1847-1889)を題材に、森が廃刀を唱えた青年期から、文部大臣になり暗殺されるまでを描いたものであり、小山内の膨大な作品群においても、後年の評価が高い作品と言える。

「映画的・表現派的手法」を用いた『森有礼』は、その演説の場面や群衆の演出を中心に好評であった一方、「性格悲劇」として描けていないという理由から批判もあったが、小山内は「明治」という時代を描くためにあえて心理や情緒を排したとしている。また、渥美清太郎が指摘したように西洋受容への反動が創作の動機にあったのだろう。「自分が育って来た時代をだんだん書いて行きたい」という計画も虚しく、小山内は1928年末に死去してしまうが、彼の死後ますます多くの伝記劇や英雄・偉人劇が上演されることになる。

 

宮越勉先生

「志賀直哉が読んだ泰西文学――その受容と影響をめぐる考察――」

Reception and Influence of Occidental Literature Read by Shiga Naoya

 

【報告要約】

 従来、志賀直哉はあまり読書家ではないというイメージがあった。が、他の白樺派同人同様、外国語、とりわけ英語がよく出来、泰西文学は、翻訳で読む場合もあるが、主に英語に重訳されたものを多読していたのである。イプセン、ゴーリキー、モーパッサン、トルストイ、チェーホフなどを貪るように読み、その習作に応用したり、短篇形式の勉強などに励んでいたのである。が、志賀文学を羨望し、古今東西の文学を最も多読していた芥川龍之介は、志賀は、他作家の作品を模倣しない作家だと、その晩年期の評論で明言していたのであった。私の考察によれば、志賀は、主にトルストイおよびチェーホフから、小説の描写面で自己流にするものを会得したとみられ、また、人生観上では、アナトール・フランスの「エピキュロスの園」の一節からの、科学の進歩の肯定から文学は人類の進歩のためという高揚したものに憑りつかれたこと(のち真逆のものとなり、自然との調和となる)、メーテルリンクの「智慧と運命」からの愚かさから来る悲劇を避ける「智慧」ある生き方を得たことが重要だと思われる。

 

 

第8回

 

1024

翟 一溪

「志賀直哉の「大津順吉」について

キリスト教との関わりを中心に―」

A study on ShigaNaoyas Otsujunkichi

 

【報告要約】

キーワード:志賀直哉とキリスト教

周知のように、志賀直哉は明治三十四年に内村鑑三を訪ねて以来、約七年間にわたってキリスト教の教えに接した。志賀がその時期に女中のCとの間に起きた出来事の体験をもとに書いた小説は「大津順吉」(『中央公論』大正元年九月)である。志賀自身が「大津順吉」について、「『大津順吉』、『或る男、其姉の死』、『和解』、これは材料の点から云つて一つの木から生えた三つの枝のようなものである。『大津順吉』と『和解』は事実、『或る男、其姉の死』は事実と作り事との混合である」⑴とし、「大津順吉」執筆のモチーフについては、「当時の私にとつて直接の問題だつた」⑵と述べている。「大津順吉」は自伝的小説であることが明らかに表明されている。 

 また、志賀は昭和十六年に、「内村鑑三先生の憶ひ出」という文章を書いている。明治三十四年からキリスト教に惹かれ、内村鑑三の門に入って七年間ほどの経験を回顧している。

 今回の発表は、先行研究を検討した上で、「大津順吉」及び「大津順吉」の草稿である「第三篇」を読み、志賀とキリスト教との関わり、志賀が内村鑑三の門下から離脱する体験について、考察していくことにしたい。

 

野田学先生

「現代日本におけるシェイクスピア上演:蜷川幸雄、あるいは日本人がシェイクスピアを上演するということ」

Yukio Ninagawas Shakespeare: Cultural Background and Implications of Performing Shakespeare in Modern Japan

 

【報告要約】

60年代から70年代の小劇場演劇の旗手の一人だった蜷川幸雄(1935年生まれ)。1974年、東宝で『ロミオとジュリエット』を演出して以来、彼の演出は日本のシェイクスピア上演として、国際的注目を集め、1988年に開始した「彩の国シェイクスピア・シリーズ」における彼のシェイクスピア演出作品だけでも、すでに30本近くにのぼる。蜷川によれば、彼の演出が見せる劇中劇構造は、そもそも教養主義的でスノッビッシュなシェイクスピア観を破壊する試みであった。本発表は、蜷川幸雄のシェイクスピア上演に対する態度を上演や彼の発言などを通して見ていきながら、彼のシェイクスピア上演が指し示してきた日本人と西洋文化との様々な関係のあり方、ひいては日本人がシェイクスピアという西洋の「古典」を上演する際に生じる間文化意識について考える。それは、翻訳劇という意味でのシェイクスピアを日本人が上演する際の一種の「気恥ずかしさ」をめぐるものであったというのが、その出発点である。なお、本発表は20141025日に行われた明治大学人文科学研究所公開講座「シェイクスピアと日本」と、ほぼその内容が同じものである。

 

 

 

 

第9回

 

117

山本耕

1930年代フランスにおける難民問題とユダヤ系フランス人

-レモン・ラウル・ランベールのフランス国民像-

Refugee problem and French Jews in France of the 1930s

French national image of Raymond-Raoul Lambert

 

【報告要約】

 世界恐慌の波及といった諸要因によって動揺していた1930年代フランス。混乱していたこの時代に、中東欧から難民がフランスへと流入した。難民の大半をユダヤ人が占めていたために、国内のユダヤ人コミュニティもこの事態に対応せざるを得なかった。だが難民をフランスに受け入れ、彼らに支援を行うのか否かという点が議論の対象となり、対立が起こっていた。特にフランスへと「同化」したと自己了解していたユダヤ系フランス人にとって難民支援活動に積極的に関与するということは、フランスへの忠誠よりもユダヤの連帯を重視しているとみられかねない危険性をはらんでおり、彼らは難しい判断を迫られていたのである

 先行研究はユダヤ系フランス人指導者間の対立の変遷を明らかにしてきているが、彼らがその活動の中でいかに自己の方針の正当性を主張したのか、そしてその根底にあった彼らのアイデンティティがどのようなものであったのかという点に関しては本格的な研究対象になってこなかった。本報告の目的は親難民派指導者であったレモン・ラウル・ランベールをその対立の中に位置づけ、さらに彼の主張に対する分析についての今後の方針を述べることにある。彼は官僚および難民支援団体幹部として活動する傍ら、ユダヤ人新聞『ルニヴェール・イスラエリット』編集長として意見を発信しており、今後は同紙を主な史料として分析を進めたい。

 

雨宮史樹

 

 

【報告要約】

 

合田正人先生

「伊波普猷と井上哲次郎」

 

【報告要約】

沖縄学の祖、伊波普猷は「中学の思い出」のなかで、帝大初の日本人哲学教授、井上哲次郎の「教育と宗教の衝突」に言及している。逆に、井上の著述のなかにはまったく伊波の名前は記されていないし、琉球への言及もほとんどない。井上自身「日本人」の起源をめぐる当時の論争に加わり、また、伊波に誘われて琉球に赴き実地調査を行った人類学者の鳥居隆蔵の仕事に多大な関心を寄せていたにもかかわらず、ほとんど琉球には言及していない。しかし、伊波の『古琉球』は井上の『国民道徳論』と同年(1911年)に出版された。これは単なる偶然の一致にすぎないのだろうか。「日本人」の起源について正反対の仮説を抱いていたにもかかわらず、伊波が井上の「国民道徳」論を強く意識していたこと、また、例えばユダヤ民族への両者の関心のうちに反対の一致とも言える関係が垣間見られることを指摘し、沖縄独立論者や反復帰論者にしばしば非難される伊波の「同化主義」のある種のラディカリズムを剔抉しようと試みた。

 

 

 

 

第10回

 

1121

 

 

岡本光代

「十三代目守田勘弥による新歌舞伎上演の考察」

An examination of playing works called Shin-Kabuki by KAN`YA Morita]

 

【報告要約】

「新歌舞伎」という言葉は、楠山正雄が大正73月に「新歌舞伎劇のために」という論考で使ったのが初めてだとされている。現在新歌舞伎の作品として、多く上演されているのは、二代目市川左団次が手がけた岡本綺堂、真山青果作品ではないかと思われる。しかし、楠山が新歌舞伎という言葉を使用した当時、大正時代は、二代目左団次に限らず、多くの歌舞伎俳優が新歌舞伎を上演している。 左団次と並ぶ、六代目尾上菊五郎や、また十三代目守田勘弥も多くの作品を手がけた。しかし、左団次が演じた岡本綺堂・真山青果の作品を菊五郎や勘弥はほとんど演じていない。左団次と、菊五郎・勘弥との分水嶺は何か。それを考えることで、左団次の作品上演が繰り返される理由、同時代の俳優の作品が失われてしまった理由も見えて来るのではないだろうか。本発表においては、十三代目守田勘弥の新歌舞伎上演、大正という時代、また短い人生のうちの最晩年にあたる昭和初期という時代を踏まえて歌舞伎上演の一つの像を考えた。

野田学先生

「『リア王』受容史における取り乱す人たち」

Turmoils, Upsets, and Confusions in the Appropriations and Critical Appreciations of King Lear

 

【報告要約】

本発表は、シェイクスピアの『リア王』の受容史を、主に17世紀から20世紀の戦後期までの英国において考察することで、作品が提供する救済を欠いたヴィジョンに評者たちが戸惑うさまの中に神話に堕さない虚構の可能性を見て取り、それをホロコースト以降のヨーロッパ的文脈に位置づけようとする。なお本発表は、シアター・オリンピックス手帖(別冊劇場文化、財団法人静岡県舞台芸術センター、1999年、pp. 204-15)に若干の加筆をほどこしたものである。

 

文化継承学T・U合同授業

 

125

 

石川日出志先生

「建築学の日本考古学研究法確立への貢献

19世紀末〜20世紀前半―」

 

【報告要約】

考古学は「貪欲な科学」である。過去を知る手がかりが得られるなら、手段を選ばないからである。現在も、考古資料の材質や製作技術、年代や産地推定、さらには保存科学まで、あらゆる理化学的手法が盛んに応用されており、毎年新たな分析手法が現れると言っても過言ではない。そもそも考古学は、その独自の手法だけでは研究が進めにくい傾向が顕著だというべきであろう。ここでは、日本考古学創始〜形成期における建築学の貢献を紹介する。資料を自ら計測・図化する方法を標準化した伊東忠太(18671954)、法隆寺建築物群の歴史を探る中で掘立柱建物の検出に成功した浅野清(19051991)、建築学の知識を考古学に積極的に応用した小林行雄(19111997)の仕事を取り上げる。

佐藤清隆先生

「戦後イギリスにおけるシク・コミュニティとカースト制の役割

― 多民族都市レスターのシク教徒の「語り」から ―」

The Role of Caste in Creating among Sikh Communities in Britain after the Second World War: An Oral Narrative Study of Sikh Residents in Multi-ethnic Leicester

 

【報告要約】

現代イギリスの多民族・多宗教都市レスターには、じつにさまざまな民族や宗教を信じる人びとが共住している。そしてこの都市は、「民族・宗教関係がうまくいっている」稀有な都市として国内外から「好評判」を獲得している。しかし、報告者は、そのイメージを批判的に再考する必要性を痛感し、「多様性」(Diversity)をキーワードに、民族・宗教の「多様性」だけでなく、各民族・各宗教内の「多様性」をも考察の対象として研究・調査を進めてきている。

そこで本報告では、「各宗教内の『多様性』」の一事例研究として、レスターのインド系コミュニティ(全人口の約30%:2001年国勢調査)、そのなかでもとりわけシク・コミュニティの「多様性」に注目していきたい。その際、考察の対象とするのは、宗教・社会・文化・政治など、シク・コミュニティの「核」になっている「グルドワーラー」と呼ばれるシク寺院である。レスターでは、現在、9つのシク寺院(その一つは自らをグルドワーラーとは呼ばない)が存在するが、それらは、単にシク人口が増えてきたからというだけでなく、シク内部のカースト、宗派、政治などが複雑に絡み、分裂したり、あるいは他のシクとは交わらずに独自に創設されてきたものである。本報告では、これらのうち4つのグルドワーラーを対象とし、いまでもインド本国だけでなく、世界中のインド系ディアスポラ世界に根強く残るカースト制がその分裂に与えた影響を考察し、そのことを通して各シク・コミュニティのアイデンティティ再構築過程の一端を明らかにしようとするのである。その際、最重要史料として、報告者自身による約150名(約210回)のシク教徒とのインタビューの「語り」を用い、その再構築過程を明らかにしていきたい。

 

第11回:Cultural Translation and Transposition Symposium with Christine Ivanovic

Moderator: Manabu Noda

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Toshihiko Nakamura

From Ontology to Epistemology: Countering Antitheatricalism in Twelfth Night

 

Abstract
My paper examines the way Shakespeare’s Twelfth Night or What You Will (written and first performed in 1600-02) translates and transposes early-modern antitheatrical discourses especially against boy actors’ cross-dressing.  Many antitheatrical pamphleteers harshly condemned this custom as an impermissible sin against God.  John Rainoldes (1549-1607), an Oxford theologian, contented that cross-dressing effeminate boy actors, dissolving God-given difference between men and women.  His accusation went even further, claiming that boy actors playing female roles seduced male spectators into sodomy by arousing their erotic desire.  His fierce condemnation gave rise to controversy, resulting in the 1599 publication of Th’ overthrow of Stage-Playes, which collected his antitheatrical treatises and some letters which countered his accusation.  A few years later, Shakespeare staged Viola disguising as a page boy named Cesario in Twelfth Night.  It is arguable, therefore, that the controversy was in the dramatist’s mind when he wrote the play.  My presentation will try to detect the trace of Shakespeare’s attempt to counter antitheatrical discourses of the time in his Twelfth Night.

 

Sean Nicholson

A Graphemic Study of Proper Nouns in Nakamura Masanao’s Japanese Translation of Smiles’ Self-Help

 

Abstract
The first Japanese translation of Samuel Smiles’ best-seller Self-Help, translated by Masanao Nakamura under the title of Saikoku-rissi-hen, originally appeared in 1870, and enjoyed unparalleled sales until the middle of the Meiji period. It has also enjoyed great popularity as a text in studies of the modern language/language modernization in Japanese linguistics.

The process of translation can be said to operate on many different levels, from the very large to the very small. The translation of proper nouns can be said to fall under the purview of the ‘very small,’ as matching between the source and target language must be made between either the sound form or graphemic form, many times on the levels of single graphs or phones.

For Nakamura to translate Smiles’ Self-Help, decisions such as how to render names like ‘Benjamin Disraeli’ had to be made: was it to become <disreirii> or <disre-ri>? Is the  English <di> to become the graph <zi><> or <dji><ディ>? The latter means having to use a compound graph not formally established in the Japanese writing system as the time, and the former means choosing a graphic form known to be untrue to the native pronunciation, and this is but the first of many hurdles in the translation process. This presentation will summarize a graphemic analysis of the various types of problems seen in Nakamura’s Saikoku-rissi-hen, and briefly sketch how Nakamura’s solutions differ from those of present-day Japanese.

Keiko Oku

From Consumerism to Post 3.11 Regeneration: Destruction and Reconstruction in SPAC’s A Midsummer Night’s Dream

 

Abstract

Shakespeare’s A Midsummer Night’s Dream (1590-96) was radically rewritten by Hideki Noda (1955-) and staged in August 1992 at the Nissey Theatre.  In his own version, Athens of Ancient Greece became Fuji-no-Kuni, or the country of Mt. Fuji.  Nineteen years later, Noda’s Japanized version was revived by Satoshi Miyagi (1959- ) in June 2011.  Miyagi did not change Noda’s text, but his performance showed remarkable differences from the 1992 original which Noda himself directed.  Reflecting the full-blown consumerism of the early 90s, Noda’s Midsummer came with gaudy costumes and set design, while Miyagi used recycled newspapers mirroring the post-3.11 ethos.  Miyagi’s production was further localized as it was staged at Shizuoka Performing Arts Center (SPAC), a public theatre of Shizuoka Prefecture, whose main touristic attraction is Mt. Fuji.  My presentation will focus on the differences to identify what is behind them.

Yuki Shimizu

Lost and Found in Translation: The Constructed Original in Junichirō Tanizaki’s Shunkin-shō

 

Abstract
In 1927, Junichirō Tanizaki translated Thomas Hardy’s Barbara of the House of Grebe (1890) into Japanese.  Six years later, his Tale of Shunkin (Shunkin-shō) was published – a novel handling the same subjects that appear in Hardy’s: remembrance, and beauty disfigured and reconstructed.  A Tale of Shunkin not only tells the intimate relationship between Shunkin and her devoted disciple Sasuke, but also refers to the act of interpretation itself.  In his story set in Japan before its industrialisation, Tanizaki first foregrounds himself by asserting to be the interpreting authority, but then slowly vanishes into obscurity through his identification with the main subject of his interpretation, which is Sasuke. 

My presentation will trace the deviating journey of Tanizaki the translator in his path from Barbara to Shunkin-shō, paying particular attention to the fact that what Tanizaki claims to be the source text of his novelette – a biography of Shunkin – is actually fictive.  I hope I can show that Tanizaki’s beauty is a retroactive narrative construct by positing his feelings of uprootedness in the historical background.

 

第12回

 

2015

116

小山亮

 

 

【報告要約】

 

 

花岡敬太郎

 

 

【報告要約】
 

井戸田総一郎先生

 

 

【報告要約】

 

 

 

 

2013年度はこちらよりご参照ください。

2012年度はこちらよりご参照ください。
2011
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2010
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2009年度はこちらよりご参照ください。

2008年度はこちらよりご参照ください。

2007年度はこちらよりご参照ください。
2006
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2005
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