Hyde Park



 左の写真は、ロンドン中心部にあるハイド・パークです。掛け値なしに、ロンドンが世界に誇れるものは、私の考えでは、市中にあるこうした公園です。広大で美しく、大都会とは思えない雰囲気になります。このような公園は、街に建物ができる前にあらかじめ計画して、その場所を確保しなければなりません。建物ができてからでは、ほぼ不可能となります。ロンドンは、それを実行したために、多数の公園が市中に配置されることになったといってよいと思います。

 多数ある公園のなかでも、ハイド・パークはもっとも有名なところといってもよいので、ロンドンに来たことのある人であれば、かなりの人が訪問していると思います。

 この写真は、2004年5月のある土曜日に撮影したものです。公園のサーペンタイン湖に架かる橋から、東の方角を見たものです。右側の、写真に写っていないあたりに、ダイアナ妃を記念した池があります。もっとも、この写真を撮ったときは、建設中でした。また、撮影している私の背中の方角約1キロメートルに、ケンジントン宮殿があります。ダイアナ妃が暮らしていたところです。

 実は、この日の夕刻に、近くで会合が予定されていましたが、あまりの上天気なので、はやく自宅を出て、この公園を散策しました。そのときの写真です。コンピュータのなかに入れたまま、忘れていました。たまたま画像を見つけて思い出したので、ここに掲げる次第です。




 ハイド・パークの一画にあるのが、アルバート公記念碑です。アルバート公はビクトリア女王の夫でしたが、急病で、しかも手当が遅れた(?)かで、急死しました。ビクトリア女王は夫の死を悼んで、この碑をつくりました。塔の中に、金色の座像がみえますが、これがもちろんアルバート公です。失礼ながら、それほど趣味がよい像のようには、私には見えませんけれども。






















 この碑の4隅にも像がありますが、その1つが上のものです。座った象がいて、それにまたがる人とか、周りの人の様子を見ると、インドの風俗を描いた像でしょう。ビクトリア女王の時代は、イギリスがまさに世界の大帝国になった時代で、世界中に植民地を持っていました。それ誇るための像と思います。もっとも、現在から見れば、「帝国主義」「植民地主義」を象徴する像といってよく、やはり趣味がいいとは思えません。

 ビクトリア女王は、夫をふかく愛していたので、その死後、ずっと喪服で過ごしました。しかし、人生はわからないものです。その後、有名な「ロマンス」がビクトリア女王に生まれます。しかし、「彼」も女王より先に死んでしまいます。やがて、長生きしたビクトリア女王も死去しますが、そのとき、密かな遺言を側近に残しました。、それは、アルバート公の遺品と「彼」の遺品の2つを自分の棺桶の中に入れてほしいということです。それは実行されました。「ロマンス」と「彼」については、日本語でも多く書かれていますので、興味のあるかたはお確かめください。この文章を書きながら、私はどうしても「彼」のなまえが思い出せませんので、こういう文章で「お茶を濁す」ことになってしまいました。