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玉井崇夫教授

 ぼくは本学の卒業生です。大学新聞(「明治大学学園だより」第179号)に「新入生に贈る言葉」と題して書いた駄文がありましたので、これを自己紹介の代言とします。

 甲州街道の陸橋を上ってくると、白堊の校舎が松の梢の向こうに大きく見える。ぼくの目には、気恥ずかしいくらいピカピカ輝いて見える。
 ぼくの入学した一九六四年は、東京オリンピックのあった年だ。東京の街はどこも突貫工事で、お祭り気分に似た活気が溢れていた。国際都市の仲間入り。世界中から観光客がやってくる。そういえば、《ステテコ姿で電車に乗らないようにしましょう》と、思えばおかしなキャンペーンがあった。駅のホームに痰壺が見えなくなったのも、その頃か。
 これも思い出した。和泉の校門に《下駄履を禁ず》と書いた看板が立ててあった。下駄をカラコロ鳴らして登校する不心得な学生がいたのだ。実は、ぼくもそうだった。いつか、体育のK先生に見つかって、大目玉を喰ったことがある。
 「こらこら。そこのアンちゃん。君は漢字が読めんのか!」
 柄の悪い先生がいるものだと、たまげた。下駄を手にぶらさげて、素足になった。が、やがて姿が見えなくなったので、下駄を履いてトイレに行くと、そこでまたK先生に会ってしまった。覚悟を決めて、横に並んで、用を足した。朝顔の前で、顔をそむけていると、「おい。便所で脱げと言うわけにもいかんもんなあ。」
 ポンと肩を叩いて、出て行かれた。小便が思わず止まりそうになった。
 井の頭線の電車に乗っていると、窓から蝶が舞い込んできたりしたので、まだ牧歌の時代だったのだろう。しかし、そうだろうか。それもこれも、時を経た感傷の遠眼鏡を覗いて見るからで、あの時分、ぼくの日常は訳のわからぬ不安と焦燥に塗り込められていたはずなのだ。青春はバラ色ではなかった。現実はどこまでも白茶けて、歩く足は重かった。毎日出る教室も単調で、物足らず、情熱のぶつけ所がどこにも見出だせなかった。何よりも、そんな風に悩んだ自分が甘ったれの阿呆に思えて、たまらない。ぼくは大学を止めようと思った。紆余曲折があって、結局は夏休みの前に休学届を出して、半年遊んだ。
 青春にある者が青春を素晴らしいと言うのは嘘だ。煽てられたり、騙されたりしてはならない。どんな時代にも、自分の人生の指針を立てる年代が楽しく、安直であるはずはないのだ。
 四月のガイダンス。いつもこの時期、校庭の桜が薄紅の綿雲のような花を咲かせる。桜吹雪が若い肩に降る。新入生を迎えながら、年々歳々、こちらは一年ずつ齢を取っていても、自分がその下をくぐっているような気がする。そして、君たちに、豊かな限りある青春を大事に育んでほしいと心から希うのだ。


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