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根本美作子教授

 私は専門分野のない研究者です。
  だからといって、何でも知っているわけではもちろんなく、限られた範囲で研究していることは確かです。けれども、その範囲がはっきりしないというところが、私の研究生活の悩みの種であると同時に一番の特色かもしれません。
 学部生の頃は、美術史学科に在籍しました。表象文化論という怪しげな名前の新しい大学院に入学してからも、美術史的な研究テーマをしばらく考えていたのですが、生まれつきひどくものぐさで、美術館を観に行くという美術史にとってはもっとも重要な研究活動がなかなか思うようにこなせず、元来好きだった文学研究に思い切って鞍替えすることに決めました。以後、文学研究を続けています。
 逆説的な言い方ですが、面倒くさがりということが私の研究生活の機動力になっているような気がします。面倒くさがりの私にとって、寝っ転がりながら読める文学は恰好の研究対象で、わけても文庫本で入手しやすい二十世紀以降の現代文学は、いつどこでも研究可能な理想的な素材です。
 もちろんもともとはこうした浅ましい便宜上の理由で二十世紀以降の文学を研究対象に選んだわけではありません。けれども振り返ってみるとそう思えてならないのです。カフカの『城』における眠りという研究テーマも、いま考えてみれば、美術館通いがてきぱきとこなせない人間がいかにも思いつきそうなテーマです。その後、眠りの考察をプルーストと谷崎の『細雪』に広げて博士論文を執筆しました。そして三島や谷崎の他の作品、プルーストの近代性などについて関心を持ち、そのつど自分なりに研究しました。近代ということから、映画や写真の誕生のプロセスにも興味をもつようになり、そうした方面も少し研究しました。
 そして二、三年前のことですが、南アフリカ出身のJ. M. クッツェーという作家の作品に出会い、文学が現代においてこそ、人間としての在り方を根底から問いただす力を持っていることを理解するようになりました。それは一言で要約すれば、思考の冒険だと思います。今後、どのような思考の冒険がまだ可能であるのか、現代文学を探りながら、毎日未知を見据えるのがいまでは自分の研究のあるべき姿だと思っています。途方もなくものぐさな私も、考えることはどうやらそれほど面倒くさくないということでしょうか。いずれにせよ今後の研究課題の一つとして、面倒くさがりという問題ともいずれ取り組まなくてはならないと考えている次第です。


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