我々は決して終わることのない
絶望の始まりに直面している

 2001年、後期の講義開講を前に重大な事件が起きた。政治学を語る大学教員として、この問題に触れることなく講義を進めるわけにはいかないと考えます。以下は2001年9月17日・和光大学、同21日・明治大学での後期開講に際しての私のメモです。 

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アフガン人道援助・小リンク集
アフガニスタン人権情勢報告〔全邦訳〕
アメリカ合衆国国務省 民主主義・人権・労働局 2001年2月 発表


 世界貿易センターが倒壊する場面を見て説明のつかないかなしみにおおわれました。

 私にとって思い出深い街だったからかもしれません。事件の衝撃から私は記憶を少しづつたどることにしました。
今から約二〇年前、私は短期留学でニューヨークにいました。正確には一九八三年のことです。
そして、その年の九月、あの大韓航空撃墜事件がおきたのです。
 それは諸君が生まれてまだ間もないころに起きた大事件です。

 事件の日、私はワシントンにいました。ニューヨークから少し足を伸ばしてやってきた小旅行の最終日でした。
 最初に異変を察知したのは、コングレス・ホールの近辺でのことでした。何機ものヘリコプターが上空を飛びかっているのです。地上に着陸するや、スーツ姿の男は飛び降りんばかりの勢いで近くの建物へと駈け込むのです。

 当時、アメリカはレーガン政権下の軍拡時代にあり、米ソ間の緊張は対話不能の時代へと動き出していました。私は戦争を予感しながらニューヨークの大学の寮へ戻りました。

 ニューヨーク・シティのバスターミナルから街へ足を踏み出したときの感触を今でも思い出すことができます。
 何かがちがうように感じられたのです。
何の根拠もなかったのですが、あのニューヨーク独特の活気やスリリングさとは異なる緊迫した空気を私は感じ取りました。
 間もなく我々一行のうちの誰かが、民間機がソ連の戦闘機により撃墜されたらしい、という情報を伝えたのです。
それが誰で、どのようにしてもたらされたのかを思い出すことができません。しかし、我々は急いでマガジン・スタンドで新聞を買い求めました。

 私の脳裡に焼きついたのは、"shooting down" という言葉とミグ戦闘機の写真でした。

 民間機をなぜ?、一体、これは本当のことなのか?

 驚くばかりで、とても何かを考えるという感じではありませんでした。友人の指摘で街の星条旗が半旗となっているのに、ようやく私は気づきました。その飛行機にはアメリカの下院議員が搭乗していたのです。

 大学の寮に戻ると、韓国の学生たちがロビーの一ヶ所に集まっていました。中央に若い男性の写真を手に号泣する女子学生がいました。
 その時、友人を一人喪ったことを私は知りました。
その学生を「友人」と表現できるほどのつきあいがあったわけではありません。教室で少し言葉を交わした程度でした。しかし、事件への衝撃は彼とのわずかばかりのやりとりを、私の記憶に刻み込みました。
 我々、韓国の学生は日本の学生と違って簡単にはアメリカに来れないんだ、と話していました。
 ビザが中々下りないし、お金も、お前たち日本人のようにたくさんあるわけではないと。
 一度、留学したら目的を達成するまでは、そうそう簡単に国には帰れないのだと。
 だから我々韓国の学生は一生懸命勉強する。

 それは暗に贅沢三昧の日本人学生を牽制していたようでもありました。

 "But you pronounce good" (しかし、お前、発音はいいな)、そう言うと彼は照れくさそうに笑いました。
 そして、帰国の途上、旧ソ連軍戦闘機の撃ち放ったミサイルにより、彼は海空へと散ってしまいました。
 


 崩れゆくツィンタワーに説明のつかないかなしみを感じたのは、こうした記憶のせいではないかと思います。

 しかし、あの事件には多くの謎が残されたままです。何故、大韓航空機はサハリン付近で領空侵犯を犯していたのでしょうか?
 民間機を盾とし軍事偵察を繰り返していきた事に、遂にソ連の側がしびれを切らしたという説もあります。
原因を問うことなく、ただ友の死を悼み、いかなる理由があろうとも暴力はいけないとソ連を非難することだけで、問題が終わるとは、どうしても私には思えません。

   "But you pronounce good"

 この言葉が未だに記憶の底からよみがえります。

 
 以上が、あの事件に対する私の第一印象についての説明です。次に、私は今回の事件をどう捉えているのか、ということを述べてゆきたいと思います。

 私は、繰り返し流されるビルへ突入する飛行機の映像に非常に深い憎悪を感じました。ビルへと飛び込む機体に、「必ず命中をさせる」という強い憎悪の意志を感じたのです。
 アラブ=イスラム世界の中にあるアメリカに対する憎悪がどれほど深く、和解不能なものであるかを、改めて確認しました。

 このように語ることを批判する人もいるでしょう。和解不能と決めてかかることに、平和への意志を断絶するものがあるからです。

 平和が単に戦争がないということを意味するのであれば、そのような批判も一つの真理なのでしょう。
 しかし、それがアメリカ本位の平和であるならば、それを平和と呼ぶことができない現実が世界にはあります。

 私のいた大学寮という小さな世界においてすらそれを認めることができました。アラブ圏からの留学生とイスラエルからの留学生の間では些細な事柄をめぐってトラブルが絶えませんでした。

 ディベートの授業でアメリカは偉大だと述べた韓国の学生は、ヨーロッパの留学生たちから激しい非難を浴びていました。


 おそらく「テロはいけない」という主張は、政治学者として最も低レベルな感想でしょう。そのような主張に人として愛すべき気質を見ることはできても、おおよそ政治を語る資格などないバカ者です。

 問題の本質は

テロを批判する=アメリカの正義を支持する


という構造が、今回の事件を契機に途方もないほどの勢いで国際的に形成されているという点にあります。
 それはまるで、キリストの踏絵のように人々の喉下に、あなたはあのテロリストを支持するのですか?と突きつけてくるのです。

 アメリカは、二〇万人規模の報復のための軍隊を迅速に準備していますが、それだけの人員と予算を、なぜ、今、瓦礫の下に埋もれている人々を救出するために用いないのですか?

 報復は急がなくてもできるでしょう。しかも、誰が犯人であるという証拠も、その所在もはっきりはしていません。アメリカは、オサマ・ビンラディン氏を擁護するものも、攻撃の対象とするという物騒なことを、言っています。疑わしきは空爆するというわけです。

 しかし、救済を待つ人々の所在ははっきりしています。ニューヨークの消防士が、どこから手をつけていいのかわからない、と疲労困憊で呆然としているのであれば、救出作業にこそ、この際、正規軍を大量投入すべきではないでしょうか?

 報復というのは、正当なのでしょうか?テロはいけないといいながら、主権国家という主体であれば、武力発動は正当化されるのでしょうか?

 権力とは、あらゆる事柄に利用価値を見出します。このテロをアメリカが今後どのようなことに利用していくのかを見ぬくことが、本当に必要な考察なのです。

 そして、この世に、イスラエルという国家があるかぎり、アラブの意識の底流にあるアメリカへの憎悪は消えることがありません。
 建国以来、半世紀が過ぎ、イスラエルという国家はもはや動かし難い現実です。そこを祖国として生まれ育っている世代が数多くいるのです。彼らの人権はどうやって守ればいいでしょうか。
 つまり、逆に言えば、この種の憎悪も、もはや動かし難い現実なのです。このような解決不能で対話不能な状態の終結は、力関係によってのみ、決着がつけられます。これが弱い立場の側にあるものが、テロを行使する最大の理由となるのです。

 「テロはいけない」

 これと似たような言葉をかつて我々日本人も、中国大陸の抗日ゲリラに対して使っていたと思います。一体、正義とは何かを、考える契機にして欲しいです。我々が、暴力はいけない、話し合いをしなければ、といってみても、それは中東の人々から見れば、所詮、「安全地帯の人道主義」に過ぎないのです。それでも、平和を主張し、それへの責任を守りたいと考えるのであれば、日本はまずその責任が負うことができる範囲というものを定義し、その範囲から外には、無闇に出ないことが必要でしょう。

 国際貢献、国際貢献、と何でも先ず外に出たがる向きがありますが、「国際社会」に対して貢献することが、必ずしも平和への貢献にはならないことを、今回の事件は我々につきつけてきていると思います。

 アメリカは世界で最も国際貢献をしている国家なのではないでしょうか?
 そのアメリカの国際貢献に、日本が貢献するということは、つまりアメリカ本位の国際社会への貢献でしかなく、そのような貢献への帰結として今回のような事件が起きたのではないでしょうか?
 百歩、譲って対米協力をしたとして、その協力は、協力に見合うだけのアメリカへの批判を伴うのでしょうか?
 日本が平和ボケならば、アメリカも軍事力と戦争にボケているのです。

 しかし、流れを止めることはできないでしょう。

 アメリカはいずれ大規模な軍事行動を起こすのでしょう。それは中東をさらに「平和」から遠ざけ、憎悪をさらに深めるでしょう。

 我々は、決して終わることのない絶望の始まりに立たされている。

 21世紀は、このような地点から考え始めなければならない時代なのだということを銘記しておいてください。