Steps to an Ecology of Spirits

東南アジア島嶼部

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  パフォーマンスとしての葬送 −バリ島民の世界観(1)−

バリ・ヒンドゥー文化の展開

ヒンドゥー的な
リンガ(男根)崇拝
山の斜 面につくられた棚田

  バリ島はジャワ島の東に隣接する小さな火山島で、そこに住む人々の社会は、ヘスペロネシア地域の多くの社会と同様、稲作を基本とする双系社会である。土着 のアニミズム的信仰と、インド由来のヒンドゥー教が習合した、バリ・ヒンドゥーという独特の信仰形態が息づいている。

  伝説によれば、16世紀、インドネシアの島々がイスラーム化されていったとき、ヒンドゥー王国であったマジャパイト王国の支配者たちは、ジャワ島の東隣に 隣接する小さな島、バリに逃げ延び、そこで自分たちの文化を守り続けたという。
観光の中心、クタ・ビーチ
オランダによる植民地支配時代にも、バリは、イスラームの影響を受ける以前のヒンドゥー文化が残っているという点で注目され、この伝統は廃れるというよりはむしろ保護され、やがて文化自体がバリ・ヒンドゥー観光資源となっていっ た。 バリは、東洋の神秘と南洋の楽園というふたつの幻想を満たしてくれる、世界有数の観光地になる。
きれいに舗装された道路
「宗教儀礼のため通行止め」

  ふつう、貨幣経済の流入は伝統文化を破壊していくものだが、バリではむしろ伝統文化のある部分は観光化されながら発展してきた。インドネシアの他の地域に 比べても、バリの政情は比較的安定していて、観光収入によって経済的にも潤っている。 宗教的な習慣も、観光化と共存しながら根強く存続している。

葬送儀礼と他界観

バリ・アガの村の風葬

 バリ社会のコスモロジーをよく表しているのが葬送儀礼である。バリ語でンガベンとよばれる火葬は、もともとインドから13世紀ごろに伝わった習慣だと考えられている。ヒンドゥー文化をあまり受け入れていないバリ・アガという人々の村落では、今でも土葬や風葬が行なわれおり、これがまた観光化して問題を引き起こしている。

 いっぽう、火葬は観光客にも大々的に公開され、賑やかに、盛大に行なわれる。これには二つの理由がある。ひとつには、残された親族が自分たちの威信を誇示 し、また富めるものが散財することによって、富を再分配するという意味がある。バリにはインドのものと似たカースト制度があり、階層化された社会ではある が、いっぽうで富の偏在を嫌い、個人が突出することを嫌う。呪術の盛んな社会であるが、それはまた妬みが社会的な再分配の原動力になっていることを意味し ている。

賑やかな御輿が遺体を
運び出す(動画)
いったん埋葬した遺体を
掘り起こす(動画)

 火葬にかかる費用はあまりにも膨大なので、すぐに用意できない場合には、遺体はいったん墓地に埋葬される。そして、資金が十分にたまってから掘り起こさ れ、あらためて荼毘にふされる。遺体は不浄な(スブル)ものであって、いつまでも村に埋めたままでは、そのうち村全体が不浄になってしまう。だから、すで に白骨化していても、それでも最後にはかならず火葬にしなければならない。火葬の目的は、具体的な肉体を焼いて灰にすることなのではなく、むしろ抽象的な ケガレを焼き払うことにある。

遺灰は海に流される(動画)
遺体を納めた
牛棺が燃える(動画)

 また同時に、火葬には肉体から魂を解放するというインド的な意味合いもある。 肉体は魂の乗り物にすぎず、魂は肉体が死ぬと古い肉体を離れ、また新しい肉体に宿って生まれ変わってくる。そして、できることなら、この繰り返される輪廻転生のサイクルから離脱し、肉体の制約から永遠に自由になりたい。だから、死 は、魂が肉体の制約を離れて解脱できる重要なチャンスなのだ。

バリ島の象徴的二元論
バリ島の象徴的二元論

 バリ的な二元論の基本にはつねに山側(Kajia)/海側(Kelod)という二項対立があり、遺体は村の海側の墓地に運ばれ、焼かれ、遺灰はさら に海または川まで運ばれ、そこに捨てられる。肉体から解放され浄化された祖霊は、屋敷の山側に置かれた祠に祀られ、やがて一族の中に生まれ変わってくると いう転生の概念がある。 (文・映像:蛭川立)


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