Steps to an Ecology of Spirits
―彼岸的なるものの生態学に向けて―

■西暦で世紀の変わり目を挟む約十年間、カメラとノートを片手に世界各地、約二十の国と地域を歩いた。
■それは、文化人類学的な、インテンシヴな学術調査というよりは、むしろ知的好奇心と漂泊の想いに突き動かされたエクステンシヴな旅だった。
アマゾン上流、ウカヤリ川を遡行中
(Photo by myself)
■なるほどこのサイトでは、世界各地のさまざまな文化を浅く広く紹介している。しかし、それはたんなる羅列的、博物学的、好事家的な視点からの展覧会ではない。
■僕の一貫したテーマは世界観 worldview ないし宇宙論 cosmology だ。所謂未開社会、伝統社会では、この世とあの世、彼岸と此岸が関連しあいながら、ひとつの有機的な世界像を形作っている。このデジタルコンテンツでは、そのことを提示していきたいと思う。
■たしかに文化によって世界観は違い、規範の体系も違う。文化相対主義は尊重したい。しかしその基層にあるもの―たとえば非日常的な意識状態に入り、この世界とは別のリアリティに触れる体験―は、われわれの種、ホモ・サピエンスに共通する脳構造に根ざしており、そのレベルでの普遍性を持っている。それが文化的に表現されるとき、その体験は、その社会の中で固有の観念体系をかたちづくる。
■それゆえ、世界観のような観念体系は、人々がどのような土地に住み、どのようなものを食べ、どのような社会に暮らしているかという文脈から切り離しては理解できない。概説のページで、生業や親族構造のような文化的バックグラウンドにかんする教科書的な記述に多くの字数を割いたのはそのためだ。
■このサイトではどちらかというと、古きよき人類学が対象としてきたような少数民族や古代文化に重きを置いて紹介している。とはいえ、破壊され、失われゆく「真正の」伝統を記録するという視点には立たない。むしろ近年になって急速に再創造されてきている「作られた」伝統も、作り物として軽視するのではなく、むしろ新しい文化運動として積極的に注目したい。なにが本当の伝統で、なにが作り物かという区別にはあまり意味がない。文化はつねに変容していく。過去も現在も、人々がその中で生きているかぎり、その文化はすべて「本物」なのだから。
西暦2005年/仏暦2548年3月
明治大学情報コミュニケーション学部
助教授 蛭川 立