ヨーガと気功

 

思想としての身体技法

■「霊的な」身体技法の二大潮流として、インドのヨーガ(瞑想)と中国の気功 をあげることができる。インド思想、中国思想などの「東洋」思想の特徴は、論理的な思索と身体技法がセットになっているところで、そこが思考偏重の「頭でっかちな」西洋思想とは異なるところである。

■ヨーガの目的を輪廻からの解脱、つまり正しく死んで二度と生まれ変わってこないこと、とし、気功の目的を不老長寿とすると、両者の目指すところはおよそ正反対である。しかし、両者の霊的身体モデルを比べてみると、それは互いによく似ていることがわかる。(→気とプラーナ

 

生気のモデル

■「気」(キ、qi`)は気功の基本概念であり、もともと空気、とくに呼吸によって出入りする息の意味であった。それが同時に 生命を構成する微細な物質としても捉えられるようになった。同じような考えはインドのプラーナ、チベットのルン、ユダヤのルーアー、ギリシアのプネウマ、ラテンのスピリトゥスなど、他の文化にもみられる。

「人ノ生ヤ、気ノ聚(アツ)マレルナリ、聚(アツ)マレバ則チ生ト為リ、散ズレバ則チ死ト為ル」(『荘子』知北遊篇:22)

「吹(口句)呼吸シ、吐故納新、熊経鳥申スルハ、寿ヲ為スノミ」(『荘子』外編、刻意15:1)

つまり生命は「気」の集まりであり、生まれつき持っている気(元気)は歳をとるとともに劣化、散逸し、やがて死に至ると考えられていた。そして、使用済みの古い気は体外に排出し、新鮮な気を体内に積極的に取り込むことで、生命力を高め、寿命を延ばすことができるとされた。これは、二酸化炭素を吐き出し、酸素を吸い込むことで生命活動が維持されるという近代医学の考えにも似ているところがある。

 

ヨーガと気功の歴史

■気功の起源はシャーマニズムにある。古代中国の巫(フ、wu~、シャーマン)の舞踊(巫歩)、とくにトーテム動物をまねた神降ろしの舞踊から、春秋戦国の二禽戯、漢代の五禽戯 (虎、熊、鹿、猿、鶴)が発展したといわれている。そこからさらに漢代には導引(気を積極的に体内に取り込む術)が成立した。 ふつうに「気功」といえばこの導引気功のことを指す。最古の医学書とされる『黄帝内経』も春秋戦国時代には成立した。

■いっぽう、インドではインダス文明(西暦紀元前4000-1800年)の印章にすでにヨーガのようなポーズをとった人物像がみられ 、瞑想的な伝統がアーリア系民族の到来以前からあったことを暗示している。

■ヨーガとはサンスクリット語で「結合」「統御」を意味する。ヨーガの伝統には、大きく分けて古典的なヨーガと密教的なヨーガがある。歴史的には、中世になって、 西からの新興勢力、イスラームの影響が強まる中で、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教が、そろってタントリズム(密教)という新しい方法を発展させる。多少のリスクをおかしてでも、より早く解脱の境地に至れるように、身体的、とくに性的な行為をつうじて瞑想を加速させる方法が開発されていった。

■ヨーガの方法を記したマニュアルとしては

・ラージャ・ヨーガ(古典ヨーガ)
 →パタンジャリ『ヨーガ・スートラ』(西暦2〜4世紀)

・ハタ・ヨーガ(密教的なヨーガ)
 →スヴァートマーラーマ『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』(16世紀)

の二冊がとくに重要である。

 

チャクラと丹田

■ハタ・ヨーガには四つの段階がある。

1.アーサナ(体位法)
2.プラーナーヤーマ(調気法)
3.ムドラー([封]印)
4.ディヤーナ(瞑想法)

現在、ふつうに「ヨガ」「ヨーガ」といえばそれはハタ・ヨーガの、それも第一段階のアーサナの部分を指す。しかし1〜3は瞑想に先立つ、いわば準備体操である。瞑想を効率よく行う 目的で、積極的に身体を動かす方法が準備されているところに、密教的なヨーガの特徴がある。(写真:6個の主要なチャクラの図/大英博物館)

■これらの準備体操の中でも、ナーディの流れをよくするアーサナだけでも行うと、プラーナの通りがよくなり結果的に健康になるので、この部分だけが健康法として 広く普及することになった。第二段階のプラーナーヤーマではクンヴァカ(保息:息を吸って止める)という技法が中心になる。

■ハタ・ヨーガの身体論では、背骨と並行する最も太いナーディ(スシュムナー)に沿ってチャクラ(輪)という節のようなものが並んでいるとされる。 気功の身体モデルにもやはり丹田(ta-n dia'n)という、気を養うセンターが存在する。(→チャクラと丹田

■気功の身体モデルでは、元気(身体が先天的に持っている気)は腎臓に宿っているという考えもある。

■ハタ・ヨーガでは最下部、会陰のムーラーダーラチャクラにクンダリニーという蛇、ないしシャクティという女神によって象徴される[女]性的なエネルギーが眠っており、これを目覚めさせ、 スシュムナーに沿って頭頂まで引き上げることにより、解脱の境地に至る。 そのための身体技法がムドラーで、性的な方法が使用されることもあるため、秘密の方法とされた。ムドラー、つまり封印と呼ばれるのはそのためである。

 

循環と超越

■たとえば、ムドラーの中には、いったん射精した精液をふたたびスポイトのように吸い上げるといった奇妙な行法も存在する。中国の養生法でも、射精は戒められる。「精」というエネルギーを体外に捨ててしまうことになるからである。逆に、射精をしなければ、精は脳に上がり、脳を養う。これを還精補脳という。

■ヨーガの目的とされる究極の境地は、解脱(モクシャ)、三昧(サマーディ)などと呼ばれる。

■解脱、三昧とは、日常的な精神活動を停止させ、欲望や時間を超越した状態のことを示している。感覚や欲望の主体である自我の働きを消し去ることが、輪廻の主体である自我 を消し去ることをも意味する。

「ヨーガとは心の作用を止滅することである。心の作用が止滅されてしまった時には、純粋観照者である真我は自己本来の状態にとどまることになる」『ヨーガ・スートラ』(1・2〜3)

「意の働きが消え去るときに、気の動きもまた消え去る。気の働きが消え去るときに、意の働きも消え去る」「両者がはたらきを止めない限り、感官は、その対象に向かってはたらく。だから、両者のはたらきが無くなった時に、解脱の境地は成立する」『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』(4・23、25)

簡単に言えば、意識の働きを小さな自己(自我)と大きな自己に分け、アイデンティティを前者から後者に移すことである。

■性的なエネルギーを上昇させ、昇華させ、性を聖に転化させるというのが、ハタ・ヨーガの基本的な考えである。それに対し、気功には、宇宙の気を吸い込んで眉間の上丹田に集め、それを下腹の下丹田に降ろしていくという呼吸法もあ り、小周天という循環の回路も考えられている。一般にインド的な身体技法には、身体を超越するという 彼岸的発想が濃厚で、それに対し漢族的な身体技法には、循環によって身体のバランスをとるという現世的傾向が強い。

■しかし、両者の身体観に共通した要素もある。ヒンドゥー的身体観も、道教的身体観も「身体=自己」という、近代的身体観においては自明な図式を拒否する。もし自分の身体が自分のものではないと感じられたなら、西洋医学の診断基準では離人症と診断されるかもしれない。

■ヒンドゥー的な身体観では、身体にアイデンティファイ(同一化)している自己は偽りの小さな自己であって、本当の自己(アートマン)は身体も時空も超越していると考える。

「虚空のように[一切に]遍満する私には、飢えも乾きもなく、憂いも迷妄もなく、老衰も死もない。身体をもたないから」(『ウパデーシャ・サーハスリー』(13・4)

■ヒンドゥーの反主流派として出発した仏教は、真の自己、アートマンの存在を認めないが、身体に同一化している自己の存在も当然、認めないので、その点ではヒンドゥーの主流派のモデルと異なることはない。

■道教的世界観も仏教と似たところがあり、身体は自然の営為によって生成消滅するもので、最終的には自分の意思ではどうにもならない、という考えがある。

「汝ノ身スラ汝ノ有ニ非ザルナリ」「是レ天地ノ委形ナリ。性ハ汝ノ有ニ非ズ」「天地ノ疆陽ノ気ナリ」(『荘子』知北遊編、22:4)

 身体は「私」に属するものではなく、大きな宇宙の一部であり、いろいろな臓器の働きが天体や自然現象と結びついていると考えられていた。(→陰陽五行

 

文化としての霊的身体モデル

■霊的な身体モデルは、物質的な身体と社会的な価値体系の相互作用によって形作られている。同じ身体を持った人間である以上、どんな時代の、どんな文化に生きている人間でも、同じような生理的体験をするはずである。いっぽうで、それらの体験をどう解釈するか、どの部分を強調するかは、文化によって決定される。

■チャクラや経絡などの霊的な器官も、あるものは物質的身体の解剖学的構造に対応しているが、むしろ物質的な対応物が見つかっていないことのほうが多い。しかし、だからといって霊的な身体というものを無根拠な迷信だと片付けられるものでもない。霊的な身体論は、ある程度は解剖学的構造、生理的経験に基づいてはいるが、全体としてはひとつの象徴的モデルであって、それが語られ、経験される(された)文化、時代の社会構造、世界観の中で読み解かれなければならないし、異なる文化に属する人間がその技法を活用するためには、その技法を、ある文化的文脈から別の文化的文脈へと翻訳して再構成する必要がある。

 

仏教の瞑想法

■仏教の瞑想も初期の上座部仏教から大乗仏教、タントラ仏教(密教)への歴史の中で、ヒンドゥーのヨーガと同じような技法を発展させてきた。さらに仏教の瞑想は インド文化圏だけにとどまらず、東アジアの各地に伝わり多様な発展を遂げた。(→世界の宗教一覧

■仏教独自のユニークな瞑想法に禅がある。禅は西暦6世紀、南インドのボーディダルマ(菩提達磨)が中国に伝えた瞑想法が元になっているが、その後漢民族の文化、とくに老荘思想の影響を受けて独特の瞑想哲学が発展した。禅の悟りとは、インド的な意味における解脱よりも、老荘思想のいう「道」(dao)に従って生きるという意味合いが強い。禅ではインド的にマニュアル化された、段階的な瞑想法をとらない。とくに臨済禅では意識的な努力を放棄し、ふと悟ること(頓悟)が強調される。また曹洞禅でも、ことさらに特別な境地を求めずに、ただ座ることが重視される。

■さらに禅は日本に渡ると、武士道と習合、より社会的な色彩を強く帯び、集団の中での礼儀作法、節制と勤勉さ、滅私奉公などのための精神力を身につける修行法という色彩を強めていった。

(2546/2003-05-09 蛭川研究室)