「気」と陰陽五行の身体論

「気」(キ、qì)は漢民族的身体観、中医学の基本概念であり、もともと空気、とくに呼吸によって出入りする息の意味であった。それが同時に 生命を構成する微細な物質としても捉えられるようになった。同じような考えはインドのプラーナ、チベットのルン、ユダヤのルーアー、ギリシアのプネウマ、ラテンのスピリトゥスなど、他の文化にもみられるが、漢民族の「気」の概念は、より物質的なニュアンスが強い。古代の漢民族は、生命は「気」の集まりであり、生まれつき持っている気(元気)は歳をとるとともに劣化、散逸し、やがて死に至ると考えられていた。そして、使用済みの古い気は体外に排出し、新鮮な気を体内に積極的に取り込むことで、生命力を高め、寿命を延ばすことができるとされた。これは、二酸化炭素を吐き出し、酸素を吸い込むことで生命活動が維持されるという近代医学の考えにも似ているところがあるが、元気が先天的であること、気を取り込み続ければ不死になると考えられていたところは異なる。

「人ノ生ヤ、気ノ聚(アツ)マレルナリ、聚(アツ)マレバ則チ生ト為リ、散ズレバ則チ死ト為ル」(『荘子』知北遊篇:22)

気功の起源はシャーマニズムにある。古代中国の巫(フ、wŭ:シャーマン)の舞踊(巫歩)、とくにトーテム動物をまねた神降ろしの舞踊から、春秋戦国の二禽戯、漢代の五禽戯 (虎、熊、鹿、猿、鶴)が発展したといわれている。そこからさらに漢代には導引(気を積極的に体内に取り込む術)が成立した。

「吹呴(スイク)呼吸シ、吐故納新、熊経鳥申(ユウキョウチョウシン)スルハ、寿ヲ為スノミ」(『荘子』外編、刻意15:1)

ふつうに「気功 qìgōng」といえばこの導引気功のことを指す。最古の医学書とされる『黄帝内経』も春秋戦国時代には成立した。気は主に2+12本の経絡を流れ、その流れの異常によって病気になり、とくに経絡上の重要なポイントである経穴(ツボ)を刺激し、気の流れを調整することで病気を治すことができるとされた。

また、身体はそれ自体で完結しておらず、外界のさまざまな要素と結びついた体系をなしていると考えられた。自己が自己の物質的身体ではない、という発想は、古代インドの身体観とも似ている。

「汝ノ身スラ汝ノ有ニ非ザルナリ」「是レ天地ノ委形ナリ。性ハ汝ノ有ニ非ズ」「天地ノ疆陽ノ気ナリ」(『荘子』知北遊編、22:4)

身体という小宇宙を構成する要素は、陰陽・五行というシンボリズムによって外界の大宇宙を構成する要素と対応関係にあるとされた。詳細は、陰陽五行の図を参照。

鍼灸医学の妥当性については研究が続けられており、プラセボ効果以上の効果が認められるという結果も出ているが、その理論的根拠になっている経絡が物理的実在であるのか、象徴的概念にすぎないのかはわからない。経絡は解剖学的な実在ではないが、ある種の電気的な現象であるという説もある。(※AMIによる経絡の電気的測定井の頭鍼灸院))

(2006/2549-11-20 蛭川立)