『東京はこう変わる』(東洋経済新報社、1995年)より抜粋

東京は1980年代後半のバブル経済真っ盛りの時代を経て、「世界都市」と呼ばれるようになった。現在の東京にとって「世界都市」は、期せずして冠せられた心地よいイメージを持ったネーミングである。それは同時に、東京が様々な魅力を持つ都市であることの証でもあった。ところが、その世界都市・東京が危機に瀕しているのではないかという議論が湧き上がっている。

 

●「世界都市」とは

「世界都市」とは、一般には「国際的な都市」とか、「世界を代表する都市」のことかと思われている。しかし、この言葉は専門用語の範疇で定義づけがなされてきている。地理学者で都市計画家でもあるロンドン大学のピーター・ホールは、著書『世界都市』(1966年)の中で、数ある大都市の中には世界の中枢的業務が過度に集中しているものがあると述べた。

たとえば政治権力が集中し、強力な行政府があり、さらに国際機関も含めて政府関連業務を行なう多数の機関が集まっている場合などである。しかも政治・行政の集中だけでなく、経済活動の国家的中枢の役割を担い、そのための基盤施設として大きな港湾を備え、道路や鉄道網が集中し、そして国際空港が立地されていることが不可欠である。しかも世界都市は、伝統的にその国家の主要な銀行業務や金融のセンターとなってきている。

こうした基本的要件に加え、医療、科学技術に関する代表的な大学や研究機関と豊富な人材を有することも要件とされている。さらに情報の収集・伝達の場として、マスコミのネットワークの指令機能であるへッドクオーターを持つことなどもその要件となる。

ところで、「世界都市」の命名はホールが初めてではない。すでに20世紀初頭、イギリスの生物学者で、都市計画家であったパトリック・ゲデスが、産業革命後の工業化の進展と人口増加の中でたゆみなく拡大するロンドンの姿を「都市複合体」と評し、「世界都市」と名づけた。このとき彼が対象とした都市は、ロンドンのほかにパリやベルリン、シカゴやニューヨークなどであった。

80年代に、経済活動が世界的スケールで活況となると、世界都市論議が盛んになった。とくに、口火をきった都市計画家であるカリフォルニア大学のジョン・フリードマンの『世界都市仮説』(1986年)は、世界都市の存在が、国際資本の集中・集積と国境を越えた労働力の移動の発生にあり、それをコントロールし得るのが世界都市であり、そのため、世界都市は一つの複雑な空間上の都市の階層構造の中に組み込まれることを述べた。すなわち、ゲデスが命名した世界都市は中核的な国における第一次都市であり、このほかにも、そうした国での第二次都市群(ミラノ、マドリッド、トロントなど)、さらには、準中核的な国における第一次都市や第二次都市があることなどを提唱した。

最近では、経済のグローバリゼーションの進展を背景に、とくに経済ネットワークの中地、すなわち世界規模で行なわれている商取引のサービスセンターとしての役割を持つ都市を世界都市と呼ぶことが多い。そこには先導的な証券取引所、世界資本のための巨大な市場、高度な情報インフラ、国際市場向けのビジネスサービスが完備されていることが要件となる。その意味では、大英帝国以来の首都であるロンドン、大国アメリカ最大の都市ニューヨークが、世界都市の本家であることは自他ともに認めるところであり、そして、その一角に、東京が加えられているのである。

 

● 世界都市・東京の衰退論−金融・資本市場の空洞化

1980年代後半、あれほど逼迫していたオフィス需要は、現在、ややもちかえしつつあるものの、ウソのように落ち込んでいる。外資系の金融機関や一般企業の中には、アジアでの活動拠点を東京からアジアの他の都市へ移し始めているところもある。例えば、バブルの時代、ジャパンマネーを狙って東京市場になだれ込んできた外国の銀行や証券会社のうちのいくつかは、90年代中盤に入って外為業務やディーラーのアジアでの拠点を香港やシンガポールに移した。ゴールドマン・サックス、ソロモン・ブラザーズ、ソシエテ・ジェネラル、パリバ銀行などがその例である。また、カナダ・ナショナル銀行は東京の支店を閉鎖した。こうした動きは外資系金融機関の東京離れだけでなく、デリバティブなど市場の生命線ともいえる業務においても、日本の金融機関そのものの東京離れという現象にも表れている。

東京市場はニューヨーク、ロンドンと並ぶ三大国際金融センターとしての役割を担うべく位置づけられてきた。しかし、中国経済の急拡大を背景とした香港市場の躍進や、シンガポール市場の発展の前にその地位を脅かされている。こうした東京市場の空洞化を招いている原因は規制や慣行のため不透明さが強く、むしろ香港、シンガポールの方が国際的スタンダードには合うこと、また、ビジネスコストが高いこと、金融システムに不安があること、規制緩和が進まないこと、税金が高いこと、などがその原因とされている。

 金融の自由化は、日本は欧米先進国の中で一番遅れており、しかも、自由な市場が売り物のアジア各地に比べても遅れつつある。例えば、世界の金融市場ではデリバティブに代表される金融革新の流れが広がっており、この分野で主導権を取れるかどうかが金融機関の生き残りを決めるといわれている。しかし、他の市場では自由に取引できるのに、東京市場では取引所の規格商品以外はなかなか扱えないのである。こうした規制が続く限り、外国勢が逃げ出すことに歯止めがかけられないのではないかという不安が広がりつつある。

 

● 世界都市・東京の衰退論−アジアのハブからの脱落

こうした空洞化の不安に加えて、国際ビジネスをサポートするうえで重要なインフラの一つである国際空港のキャパシティが東京では限界となっている。これに対して、経済的躍進の目覚ましいアジアの主要都市では、着々と基盤整備が進められている。ソウルは1999年開港を目標に、ソウルに新しい国際空港を建設中である。1997年7月に中国に返還された香港も、チェクラップコック新空港を建設している。上海でも浦東新国際空港の建設に着手した。シンガポールにはチャンギ空港がある。一方、これに対して、現在、滑走路を一本しかもたない成田空港は年間利用旅客数が3年前の93年末の段階で、すでに2200万人となりほぼパンク状態となっている。今後、成田に代わって東アジアの航空路線の拠点はソウルか上海に移行するのではないかという議論が湧き起こっている。その時、香港は東南アジアと華南経済圏とを結ぶ航空網のハブになり、シンガポールはアセアン諸国の玄関になる。一方、これに対して、94年に開港した関西国際空港は、空港建設費に始まり、航空機の着陸料、旅客の空港施設利用料、空港関連企業の賃貸料などが軒並み高く、成田に代わって東アジアのハブになるには解決すべき課題が多すぎるのである。

すでに首都圏第三空港の構想もだされているが、21世紀初頭に実現する可能性はうすい。20世紀後半、アジアの表玄関だった東京は、このままだと21世紀に東京はアジアのハブ(軸)からサブ(副次)のローカル都市に脱落することが現実のことになりえるのである。

 

● 東京のストックは大きい

最近の悲観論である金融センターとしての地位の低下、アジアのハブとしての地位を他の都市に奪われるという不安から、東京は世界都市として生き残れるのかという問いが現実味を帯びてきている。この問いに対して、2つの側面から考えることが可能である。第1に、東京が将来にわたって世界都市としての要件を満たしていくことができるのか。第2に、仮に東京が世界都市の冠をはずすとすると、その代役はどこの都市が務めるのか──である。

世界の三極のつ1つとしてニューヨークとは14時間、ロンドンとは9時間の時差を持って、東京がアジアの代表としての地の利を生かしているのであれば、その代役を務められるのは東京との時差が1ないし2時間の都市、香港、シンガポール、ソウル、北京、上海、台北ということになろう。

しかし、1990年の人口規模をみると、このうち都市規模において東京に匹敵するのは、上海(広域で1280万人、市区部で780万人)と北京(広域で1035万人、市区部で700万人)の二都市で、東京(都全体で1170万人)に準ずる大きさである。東京の人口がすでに頭打ちであるのに対して、上海、北京とも増加中であり、将来的な潜在力は大きいといえる。だが、東京の場合には空間的に相互に連担した都市群が13500平方キロの首都圏に広がり、そこに3200万人以上の人口を擁している。93年には首都圏への人口流入が止まったとはいうものの、都市集積を、たとえば人口で考えた場合、東京が抱えるであろう人ロストックに上海や北京がそう簡単に追いつくとは思えない。

一方、96年末のオフショア市場の規模は、香港が東京の94パーセント、シンガポールが67パーセントと、いつ追い抜かれてもおかしくないレベルにある。東京の金融市場の受け皿としては、かつてのアジアの金融の中心であり、行政規制が緩く、かつ活動コストの低い香港が再浮上してくるという見方もある。しかし、中国への返還を契機として、経済の活況を呈しているとはいえ、政治的要因などの状況が確定していない以上、香港に圧倒的な優位性があるとも思えない。

そもそも東京におけるオフショア市場の歴史は浅く、東京が香港を抜いたのは88年のことでしかない。しかも、89年時点での外資系の銀行(カッコ内は駐在員事務所)の数を見ると、東京の83(127)に対して香港は141(152)と、香港が優位に立っていた。オフィスコストという点でも、バブル期の90年に、東京・丸の内地区の平均賃料は一平方メートルあたり2万円、一方、香港の金融街・セントラル(中環)地区が1万4千円であったが、最近の東京におけるオフィスの供給過剰による単価の下落と、香港でのオフィス価格の上昇を考慮すれば、大きな差はない。強いて言えば、とかく評判の悪い日本の行政規制が問題として残るであろう。

こうしたことから、昨今の東京に進出している外国の金融機関の動向から論じられる東京の゛危機″は、やや短兵急ではないかといわざるをえない。もちろん、香港が70年代から急浮上した要因である強力な資金調達機能、NIES、ASEAN諸国に対する証券投資運用センター機能、豊富な華僑人脈などは、今後とも中国大陸の発展によってプラスに作用するだろうが、東京の財政規模でしかない中国の財政力を脅威とするのも、あまりに過剰反応が過ぎるのではないだろうか。強い円を背景に、国際金融センターを形成してきた東京の成長力に一服の感はある。しかし、それをバックアップしながら形成されてきた周辺のインフラや人的資源のストックは見過ごすことのできないところまで成熟してきている。

 

● 東京の代役は簡単にはできない

では、東京の代役を務める都市は存在するのであろうか。すでに述べたとおり、最も可能性のある香港についても有力とはいえない。その他のアジアの都市は世界都市という観点からは、まだ力不足の感がぬぐえない。

現在、世界で無条件で世界都市と呼ばれているのはロンドン、パリ、ニューヨーク、東京の四都市であるが、これは、・金融・商業センター、・文化・教育センター、・コミュニケーション・センター──の3つの機能がバランスしているからである。金融・商業センターとは金融取引、商品取引など経済活動の中心を指し、文化・教育センターとはリゾート、イベントなどの活動と科学・研究活動の中心を指し、コミュニケーション・センターとは交通、通信、行政活動の中心であることを指している。

たとえば・と・に特化しているのがアムステルダム、香港など、・と・に特化しているのはフランクフルト、ミラノ、シカゴなど、・と・に特化しているのはベルリン、ローマ、マドリードなどである。こうしてみると、・と・と・のすべてがバランスしている都市は、簡単には存在しないことがわかる。

こうした観点からわかるように、世界都市・東京の代わりを務める都市は身近には存在しない。もしあるとしても、世界都市としての要件をクリアできる都市がアジアで、将来のどの時点に登場しうるのかである。

都市の力は、すなわち国力の象徴である。中国が台頭するのか、NIESやASEAN諾国が連合体として力をつけてくるのか、あるいは地域の集合体として華南経済圏(香港、台湾、広州、福建)が檜舞台に立つのか、それとも朝鮮半島を含んだ環日本海が機能するのか──東京が日本の経済成長の中で、その先導的な役割を担ってきたプロセスを思えば、中国のGNPは日本の12.6パーセント、NIESは16.1パーセント、ASEAN諾国は10.7パーセント、そして華南経済圏が9.2パーセントという状況で、これらの国、地域の中心都市が世界都市としての役割を発揮できるのか、その道は平坦でないことは明らかである。

 

● 21世紀に世界都市であり続ける条件

以上述べてきたことは、現在陰りの見えつつある世界都市・東京がこれからも依然としてその力を維持するであろう客観的状況を示している。しかし、それを確実なものとするためには、日本の行政が、強い危機意識を持って規制緩和などに動くことが条件である。もっとも、黒船以来、自ら動いたケースは過去にはあまり見当たらないところに一抹の不安は残るが。

20世紀初頭から大英帝国の中心として世界都市の名を欲しいままにしてきたロンドンも、1960年代に都市の衰退(インナーシティ問題)を迎えたことがある。しかし、80年代のビッグバンで再びその地位を取り戻した。ニューヨークもまた70年代の財政破綻を経て現在がある。パリも欧州統合の中でその中心的役割を担いつつある。

こうした歴史的事実が、この先、東京がもし転ぶようなことがあっても、必ずよみがえるであろう潜在力をもっていることを示している。それを可能にするのは都市の「ストック」である。東京はすでに世界都市として最低限のストックを持ち合わせている。そして、あとは、省益を忘れて、国際スタンダードに立った規制緩和を実行するだけである。それがなされれば、首都・東京は21世紀も世界都市であり続けることが可能なはずである。

 
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