? 巻頭言・昨年いちばん腹が立ったこと


巻頭言・昨年いちばん腹が立ったこと

西川伸一『Beyond the State』第11号(2010年3月)9-13頁

 二〇〇九年六月一日夜、横浜市都筑区で歩道にいた女性三人が、クルマにはねられて死亡するといういたましい交通事故があった。この四月に免許を取ったばかりの一八歳の男子学生が赤信号にもかかわらず交差点に進入し、対向車線を右折してきたクルマとぶつかった。そして、学生の車がスピンして歩道に乗り上げ、信号待ちの三人に次々に襲いかかったのである。一〇メートル以上もはね飛ばされた人もいたというから、ものすごい衝撃であったことがわかる。

 この学生は、自動車運転過失傷害容疑で逮捕された。警察の事情聴取に、当初は「信号がよく見えなかった」としていたが、その後「交差点の手前では黄色を見て、交差点に入ったら赤だった」と供述を変えたという。いずれにせよ、学生の車のブレーキ痕が交差点手前にはなく、交差点内に残されていたことから、相当のスピードで直進してきたと考えられる。

 亡くなった三人は、付近の昭和大学横浜市北部病院に勤務する看護師であった。頭や首を強く打ったことによる脳挫傷などで三人とも命を落とした信号待ちをしていただけで、突然の死に追いやられてしまうとは、なんと不条理なことか。もちろん、三人には何の落ち度もない。震えるような強い憤りを感じた。

 被害にあったAさんは四九歳、Bさんは三一歳、そしてCさんは四三歳の若さであった。このうち、AさんとCさんは母親と二人暮らしであり、とりわけAさんは車いす生活の母親を抱え、仕事と介護を両立させていた。三人は午後五時までの定時勤務のあとも会議や書類作成の残業をこなして、午後九時半ごろそろって病院を出た。わずか一分でもこの時刻がずれていれば、いまも元気で活躍されていたのだ。

 ところで、内閣府の『交通安全白書』によれば、日本は先進国のうちで歩行中の交通事故死亡者の比率が際立っている。二〇〇七年の状態別交通事故死者数の構成率をみると、日本は歩行中が三三・三%であるのに対して、他の欧米諸国は一〇%台である。いちばん高いイギリスで一八・二%となっている。

 また、日本の場合、この歩行中の死者数に自転車乗車中の死者数を合わせると四八・二%にもなる。すなわち、わが国ではクルマに乗らない人が輪禍被害者の半分近くに達しているのである。歩行者が安心して歩ける道をいかにして実現していくか。ドライバーが信号や制限速度を厳守することは当然である。

 しかし、上述の惨劇が示しているように、彼らの良心に過度に期待することはできまい。その意味で、二〇〇一年に刑法に危険運転致死傷罪が新設され(第二〇八条の二)、二〇〇七年には業務上過失致死傷から交通事故に関する罪を分離し、自動車運転過失致死傷罪が設けられた(第二一一条第二項)ことは、高く評価したい。先の学生が赤信号を無視し、「重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転していたことが立証された場合には、最高で懲役一五年の刑に服することになる。ハンドルを握るからには、一歩間違えば他人も自分も一生を台無しにしかねないという自覚を常に持つべきである。

 加えて、クルマを物理的に減速させる「障害」を道路に設置する効果も大きい。平均速度を五%落とせば、致命的な衝突を三〇%減らせるという。たとえば、ハンプ(hump)とよばれるカマボコ状の突起物を道路上に敷設すれば、自動車の速度を抑制することができる生活道路や通学路には、あるいは横断歩道の前にはぜひ設けてほしい。

 いうまでもなく、クルマの利用頻度が減れば、交通事故は必然的に減少する。最近、エコ配という自転車で宅配する会社があることを知った。東京23区が集荷エリアで都内であれば翌日中に届く。今度、研究室から自宅に荷物を送るときにはこれをオーダーしようか。

 交通事故死者数はここ二〇年で減り続けている。警察庁のまとめによれば、二〇〇九年の死者数(事故後二四時間以内に死亡した者)は四九一四人であった。一九九〇年代前半には毎年一万人を超えていたのである。この状況を憂えて、「クルマ社会を問い直す会」という市民団体が結成されたのは、一九九五年のことであった。死者数半減の主な要因は交通違反の厳罰化であろうが、同会の地道な活動も無視できない。

 『野蛮なクルマ社会』(杉田聡著、北斗出版)という刺激的なタイトルの本が一九九三年に出されている。交通事故死者数をみる限り、その野蛮さは多少緩和されたのかもしれない。わたしたちがクルマと共生していかなければならないとすれば、それが少しでも「優しく」なる方途を追求し続ける必要がある。

 ちょうど鳩山由紀夫首相の施政方針演説がきのうあった。その中で首相は「いのちを守るための『新しい公共』」を提唱し、「人のいのちを守る政治」の理念実現を訴えた。輪禍による犠牲者を極小化する努力もまた、「人のいのちを守る政治」にほかならないと確信する。

 

 二〇一〇年一月三〇日

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