「内閣法制局を見学してきました」

   西川伸一『もうひとつの世界へ』第12号(2007年12月)42-43頁。

もはや古い話になって恐縮だが、2007年5月25日に私と私の大学院の授業受講者4名のあわせて5名で、内閣法制局を見学した。内閣法制局は私の主要な研究テーマのひとつで、遅ればせながらようやくその地に足を踏み入れたのでる。そこで撮影した局内の写真は貴重な資料と考えられるので、この場を借りて紹介したい。

 まず、内閣法制局とはいかなる役所なのか。内閣に直属し、内閣を直接補佐する行政機関の一つである。実は、こうした位置づけの省庁は数少ない。その主な仕事としては、各省庁が立案する法案などを審査すること(審査事務)、および憲法解釈をはじめ法律問題について意見を述べること(意見事務)の二つがある。内閣が閣議決定ののちに国会に提出する法案はすべて、事前に内閣法制局の厳重な審査を受けたものである。また、政府は憲法9条と自衛隊を「整合的に」説明してきたが、その場合の政府とは内閣法制局を指している。

 内閣法制局は、霞が関の中央合同庁舎第4号館11階に入っている。当日はまず、午前10時半前に同館の西門(国会議事堂側)玄関で照屋敦文書・国会係長の出迎えを受け、入館手続きののちエレベーターで上に昇った。通された会議室で、まず中野實総務課長から「内閣法制局について(平成19年5月25日)」と記されたレジュメに従って、内閣法制局の概要について30分ほど説明を受けた。ほぼその説明が終わった頃、林徹総務主幹が入室された。元々は林総務主幹が説明する予定であったが、国会によばれていたため遅参したとのことであった。

 ちなみに、総務主幹とは他省庁の官房長に相当するポストで、内閣法制局でも出世の登竜門ポストである。林総務主幹が照屋係長に「きのうは帰れたか」と声をかけたのが印象的であった。連日、作業が深夜に及び終電で帰れれば早いほうで、林氏は昨晩はタクシーで帰宅したという。その時間もとれなければ、この第4号館が簡易宿泊施設となる。

 原稿提出が締め切り間際に殺到するように、各省庁の法案原案も期限ぎりぎりで内閣法制局に持ち込まれることが少なくない。すると、内閣法制局は徹夜作業を強いられることになる。中には、そこに目を付けて、内閣法制局の厳しい審査をかいくぐるために、わざと土壇場まで提出を引き延ばす省庁もある。

 林氏との若干の質疑応答ののち、局内見学となった。許可を得て写真撮影した。写真1は審査部である第二部での審査風景である。おおきなテーブルを囲んで審査が行われている。テーブルについている6人のうち、左側のスーツを着た4人が審査を受けにきた省庁側である。ワイシャツ姿の2人が内閣法制局側で、いちばん右に座っているのが参事官である。

 参事官は必ず他省庁のキャリア組からの出向者で、審査事務や意見事務の責任者である。もう一人奥にみえるのが参事官付で参事官の補佐をする。参事官付はノンキャリアでプロパー(内閣法制局が新卒者を採用)と出向者が混在している。77名の定員のうち、プロパー職員は33名とのことであった。この写真のように、参事官と参事官付が2人一組で審査にあたる。

 (写真1:審査風景-筆者撮影)

 この広いテーブルは他省庁の担当者との審査のためのもので、その「来客」がなければがらんとしている。ふだん参事官はその背後にある「部屋」で執務している。写真2は「部屋」の入り口であり、その中に執務机がある。このように、衝立と本棚に仕切られた小部屋のような空間が参事官一人一人に与えられているのである。

 (写真2:参事官の執務「部屋」-筆者撮影)

 たかが机の配置、ではない。大部屋主義といって、中央省庁では個室が与えられるのは審議官級以上であり、課長職以下は大部屋で部下と机を並べて執務している。欧米先進国の行政組織ではありえない日本独自の執務形態である。大部屋主義という集団での執務形態は、官僚の行動パターンや政策形成に大きな影響を及ぼしている。たとえば、課長と部下が常にフェイス・トゥー・フェイスの空間を共有することは、両者の政策をめぐる意見交換を限りなく日常会話にしてしまう。それを通じて、いわば両者が場の空気を読んで、あたりさわりのない「穏当な」政策しか立案されないことになる。ドラスチックな決意をもって着任した課長であっても、やがてその意欲は大部屋の「なあなあ」の雰囲気によって希釈化されてしまうのである。

 これに対して、課長相当職である内閣法制局参事官は、写真2にあるような閉鎖的空間を確保している。大部屋主義的執務とは無縁である。この物理的要因も参事官の独立の気概、「1条に3時間かけるから参事官だ」と揶揄されるほどの妥協のない審査姿勢を担保しているのではなかろうか。

 訪問の最後に、宮崎礼壹長官にお目にかかれると知らされて仰天した。それこそ「想定外」の出来事である。通された広い長官室でお茶をいただきながら、宮崎長官から5分ほどお話をうかがった。緊張のあまり、なにを尋ねていいかわからない。お聞きしたいことは山ほどあったのだが。

 帰り道、私は院生たちに「応対された方々の顔が浮かんでくると批判しにくくなるね」と冗談半分に語りかけた。研究対象を知らなければ論じられないが、知りすぎると過度の配慮が働きかねない。新聞記者も、取材対象に密着しなければ特ダネはとれないが、それは対象との癒着と紙一重だと聞く。その点は十分に自戒したい。(肩書きは当時のもの)


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