ぼくの子育て歳時記(2)朝は大忙し

   西川伸一  * 投書で闘う人々の会『語るシス』第8号(1999年3月)掲載

 2月は何度も風邪を引いたり、足首をくじいたりと散々な月だったが、娘を保育園に送り迎えする生活には慣れてきた。2月22日から妻の育児時間(1時間遅く出勤できる)が終わり、通常の勤務時間に切り変わった。つまり、彼女は7時半には家を出る。この時間ではその途中に娘を預けるのは無理。「送り」はもっぱら私の担当になった。

 朝はとても忙しい。独身のころ、二日酔いでぐうたらしていたのがうそのようだ。目覚ましをかけ6時半には起きて、娘のおむつの交換、着替えをやる。こちらも洗面。その間に妻は朝食の準備。やがて三人で食事となる。

 手づかみで食べる娘は食べ物をテーブルの上はもちろん、その下まで散らかすのであと始末が大変だ。とくに困るのはごはんつぶである。のりと同じなので、ティッシュでとってもうまくとれない。その上を踏んだりするから、くつ下の裏にはそのつぶしたあとがいつもついている。

 そんなことにかまってはいられない。妻は授乳をはじめ、こちらは朝食のあとかたづけ。すぐに妻の出勤時間になる。娘と二人で見送る。手をふって「バイバイ」ができるようになったのがうれしい。

 次に娘の排便の処理をしてやらなければならない。風呂場につれていき、おむつをはずして、シャワーでお尻を洗ってやる。まるで<ウォッシュレット>だ。おむつについた便はトイレでこそげとって流す。

 そのあと、登園の準備をする。娘の身支度を整え、連絡帳には昨晩とけさの献立、排便の有無、体温、その他連絡事項を記入。それが済むと、そのノートをその日の分の着替えでパンパンになったリュックに放りこむ。さて、こちらも着替えなければ。

 こうして、8時10分すぎには、娘にくつをはかせて玄関を出る。歩くようになったので、少しは楽になった。以前は10キロの娘を抱えて、団地の自転車置き場までつれていっていた。保育園へは自転車で10分ほど。途中上り坂がある。

 登園すると、担当の保母さんにその日の体調などを知らせる。着替えは娘の名前が付いたクリアボックスに押しこむ。そして、保母さんたちに「いってらっしゃい」と声をかけられて、保育園をあとにする。別れ際でも娘は泣かなくなった。やれやれ。

 いま大学は春休み。家で仕事をすることが多いので、「いってらっしゃい」といわれると面はゆい。実際は家に帰るのだ。夕方迎えにいくと、今度は「お帰りなさい」。いよいよ穴があったら入りたくなる。

 いずれにせよ、6時半からはじまる朝のたたかいを終えて、家に戻ってくるのが9時前。ちょっと一服。お茶を入れる。そのときはじめて、<ウォッシュレット>のあと手を洗っていなかったことに気づいたりする。

 それでも保育園に預けられる日はまだいい。自分の時間がもてる。しかし日曜日はこうはいかない。ゆっくり寝坊したくても、娘は容赦してくれない。いつもどおり、6時半には起きてくる。そして平日と同じ朝がはじまる。その後はお昼寝の時間以外、片方が娘の相手をし、もう片方は1週間分のたまった家事をこなす。育児に土日も祭日もない。

 ところで、4月からの認可保育園への入園申請をだめもとで出していた。その内定通知が市の生活福祉課から来た。新設の保育園で、うちから歩いて5分くらい。前号にも書いたが、いまの保育園の教育方針はとても気に入っている。おかげで娘はずいぶんたくましくなった。

 しかし、これから娘が小学校に上がるまでの通園を考えると、転園を決断せざるをえなかった。その旨伝えたときの園長先生の残念そうな表情を思い出すと心がうずく。うちの場合が典型だが、無認可園では年度途中で預かった子どもに、新年度になると認可園に転園されてしまうことがよくある。認可園の調整弁となっている無認可園の哀しさ。

 エ〜ン、園長先生、ごめんなさい!!


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