「書評・高橋一行『教育参加 学校を変えるための政治学』(新読書社、2004年)

   西川伸一  * 『Quest』第33号(2004年9月)

 本書は、今日の教育のあり方を憂慮する人々にとって、果敢な代案提示の書といえよう。ヘーゲル研究者の筆者らしく、本書は3部構成をとっており、「私自身の体験から」→「体験から理論へ」→「理論から実践へ」と論理的である。

 まず第1部では、「我が子の不登校体験」と塾講師としての「私の教育体験」が赤裸々に語られる。近年では、文科省の役人ですら「学校に行かなくてもよい」と発言するくらいに、不登校を見る目は「寛容」になった。だが、今から12年前、小学校3年生だった筆者のお嬢さんが不登校になった当時、それはほとんど理解されなかった。

 不登校の親子は「まるで犯罪者」のようにみられ、世間や学校は様々に働きかけて、学校に行かせようとする。母親は不登校は自分の責任だとふさぎこむ。その圧力をはね返して不登校を貫くには、強い信念と相当の根気を要する。

 筆者は「学校と子どもが合わないのが不登校であり・・学校以外の教育を親が捜せば良い。これは簡単なことだ」と事の本質をすばやく見抜く。そして、「不登校なんて別にたいしたことではない」として、「登校拒否を考える会」という「親の会」に積極的にかかわっていく。さらに、子どもの不登校は親の意識改革を促す絶好の機会であり、教育を学校任せにしてきた姿勢を見直せ、と説く。

 塾講師の体験談も興味深い。学校に敵視されながらも、筆者は個別指導とクラス運営に心を砕いて生徒たちの学力を上げていく。毎月、生徒が月謝袋をもってくるかという緊張感が筆者を奮い立たせる。これがサラリー族としての学校の教員と決定的に違うところだ。

 その意味で、学校選択制は市場の力による学校の活性化というよりは、学校へのこの緊張感の注入とみなされる。学校選択制は「教師集団」が「親から選択され」「学校が正統化」される手続きとなる。

 第2部では、以上の体験が理論的に整序され、深みのある教育論が展開される。

 すなわち、教育について考えるとき、各人の能力差は「普通の人が考えている以上にある」ことを認識すべきだ。筆者の経験では、「5」をとるような子は「教えなくても自力でその単元を理解し得る」のに対して、「1」や「2」の子には「教え方は、良く分からない」という。

 そのまま放置すれば、階級が露骨に再生産される社会が出現する。各人は親を恨む以外にない。これに対して、筆者は「福祉の充実による、実質的な機会の平等」が達成される社会を望ましいと考える。公教育こそその効果的な手段である。それが経済的格差という結果の不平等を是正するからである(カネのかかる私立校に通わなくとも、教育の機会は保証される)。

 翻って、いまの日本の教育行政はこれに逆行している。教育改革国民会議が提唱する一連の新自由主義的政策は、実質的には機会不平等を容認している。その当然の結果として、階級の固定化が進行する。その亀裂を隠蔽するために、国家主義的イデオロギーが散布される。

 この流れへの対抗策として筆者が提案するのは、首長の任命制になっている教育委員を公選制に戻すことである。だれも自分の住んでいる都道府県、市区町村の教育委員をまず知らない。東京都では、首長の個性と都教育委員会といういわば匿名の権力によって、「教育改革」が進められている。

 教育委員を公選制にすれば、この匿名性は避けられ教育への民意の反映度は格段に高まる。しかし、公選制導入には前提として、住民の教育への意識の向上が欠かせない。それをどう確保するか。本書のタイトル「教育参加」である。その具体例として、学校選択制の導入、学校運営に住民の意向が直接反映されるコミュニティ・スクールや、住民たちの自発的教育活動としてのヴォランティア・スクールの設立が提言される。

 第3部では、これら三者によっていかに学校を変えるかが構想される。

 第一に筆者は、「塾を作ったら良いと思う」とよびかける。ヴォランティアでいろいろな子どもたちを教えることで、学校教育の矛盾点に気づかされるからだ。たとえば、二次方程式を完全に理解できる中学生はどれくらいいるか。中三まで様々な能力の子を同じ教室で一斉に教えることがいいのかどうか。

 次に、「学校に入る」事例が紹介される。親が、塾(で開発された教材や授業展開の仕方)が、ヴォランティアが学校に入って学校を変えつつある。

 とりわけ筆者は「ヴォランティアの論理」を重視する。親は教育の消費者であってはならず、創造的にこれにかかわるべきである。ヴォランティアで教えた経験をもつ親同士がヴォランティア・スクールのあり方を議論する。こうした親が増えることが学校選択制を機能させ、コミュニティ・スクール設立の推進力となる。ひいては、この制度変更が教員の意識改革をもたらす。

 教育と無縁ですむ人はいない。多くの人が本書によって教育参加に目を開くことを願いたい。それにしても、不登校「親の会」に相談に訪れる母親の8割以上が、子どもの教育にまったくかかわらない夫の悪口を言い募るとのこと。あまりに悲しい。夫たちが遅くとも夜7時には帰宅する社会にしていかなければ。


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