書評・村岡到『生存権・平等・エコロジー』(白順社)

   西川伸一  * 『QUEST』第26号(2003年7月)掲載

 本書は、エネルギッシュに執筆活動を展開 している筆者の社会主義論の第3弾である。前2著と同様に〈マルクス主義を超 える〉という課題に果敢に取り組んでいる。その「果敢さ」は以下のとおり。

 「マルクスらの「生存権」軽視あるいは敵視が何を根拠とするもので、そこには どのような欠陥があったのかを、その批判の正当な面とも合わせて明らかにする 」(17頁)

「これらの古典でマルクスやエンゲルスが強調しているのは、「平等」ではなくて「自由」のほうである」(98頁)「マルクスは〈多様性〉という視点を重要とは考えていなかったようである」(134頁)

「残念ながらマルクスは農業を社会主義社会の不可欠の土台として定礎することができなかった」(148-149頁)

 そして、多様な文献を典拠に筆者の考えを練り上げることによって、これらの欠落を埋めていく。

 まず、生存権について。筆者の立論の根拠は、オーストリアの法学者アントン・メンガーである。 メンガーは生存権を「社会主義の三大経済的基本権」の一つとして位置づけている。これをエンゲルスが反論しているが、その「酷さ」を筆者は文献学的に論証 してみせる。マルクス、エンゲルスの念頭には生産関係の変革しかなかったので ある。

 この両者を統合的に捉えることを筆者は強調し、「〈生存権〉は社会主義像の基軸的核心として位置づけられるべきであり、その充全な実現のためには〈生産関係の変革〉が必要である 」(37頁)と結論する。その具体的形態が、筆者の持論の〈生活カード制〉(205 頁以降)ということになる。

 次に、平等概念について。ネオコンがのさばる現代では「平等」という言葉はほとんど死語とさえ言える。しかし、地球温暖化を防止するためにも、年間自殺者3万人の歪んだ社会を正すためにも、平等原則は欠かせない。

 そもそも初期の社会主義運動を展開したのが「平等に憑かれた人々」であったのに対して、マルクスやエンゲルスはむしろ「自由」を語り、ロシア革命後は、スターリンが「差別賃金」を導入するなど、社会主義国においてすらその輝きは失われていった。筆者はその過程を丹念にたどる。

 一方で、筆者は仏教にまで視野を広げて平等概念の重要性を確認している。「今日のもっとも主要で重要な問題は、経済的平等を実現、獲得すること」だという 。社会主義社会では、労働の動機は〈金銭〉ではなく〈誇り〉になる。理屈としてはわかる。が、給与明細をみてニンマリしてしまう私は、労働力が商品化され ている社会にすっかり毒されているようだ。

 一つまちがいを指摘しておく。「1960年代の初めには「貧乏人は麦を食え」と放言して、首相の座を追われた例もあった」(125頁)とある。正確には「所得に応 じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食う」(1950年12月7日・参議院予算委員会での池田勇人蔵相の発言)である。このとき池田は蔵相の座を追われることはなかった。

 最後に、農業について。これは筆者が本書ではじめて斬り込んだ分野である。筆者はマルクスが農業を軽視していた足跡を文献的に検証したのち、それがソ連の環境破壊を放置する原因になったことを指摘する。マルクスに内蔵されていた〈農業・農民〉認識の歪みは、レーニン、スターリンへ流入し、資本制社会以上に 酷い環境破壊をソ連にもたらした。

 中学校の地理の時間でソ連の自然大改造計画を習ったのをうっすらと覚えている 。実は、これは歪んだ〈農業・農民〉認識のもとに押し進められた環境破壊政策であったことを再認識した。それにしても、チェルノブイリ原発事故のあとでも 「ソ連の核はきれいだ」と公言していた人が日本にいたとは(164頁)。

 また、『資本論』冒頭の一文「資本制的生産様式が支配している諸社会の富」から、マルクスの〈農業〉見落としを導き出す指摘には、さすがとひざを打った。「〈農業〉は、その本質─生命有機体の生 産─に基礎をおいて、「資本制的生産様式が支配している」とは言い切れない営為」(194頁)なのである。

 そこで、筆者は石渡貞雄に学んで「農業は保護すべきである」と明確に主張する。 工業生産は幾何級数的に増産可能だが、農業生産は代数的にしか増えない。この格差が〈保護〉の根拠となる。

 これを、仕事をつくることが仕事になっている農水省の役人たちが聞いたら、泣いて喜ぶだろうと余計な心配をしてしまった。

 中国訪問記や広西元信氏追悼文も興味深い。とりわけ、広西氏は『資本論』の各国語版を検討して、日本の研究者の理解不足を明らかにしたという。数年前、私は職場の同僚とレーニンを原文で読む研究会を行っていたが、そこで従来の邦訳文のおかしさにいくつか気づいた。この点を問わないレーニン研究とはなんなのだろうと思ったものである。その意味で、広西氏にも学んだ筆者の精緻にオリジナルを検討する「しつこさ」は正解だ。

 さて、筆者は随所に謙遜の言葉を差しはさんでいるが、筆者の貪欲な知的好奇心と読破力は相当なものである。

 最後に、カバージャケットはニクイ。

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