ソ連崩壊後の5冊〜現実を具体的に把握するために〜

   西川伸一  * 『QUEST』第11号(2001年1月)掲載

 1980年代後半、大学院生だった私はパルヴスというロシア生まれのドイツの革命家について研究していた。社会主義はマルクス、エンゲルス、そしてレーニンの専売特許ではない、むしろ歴史に埋もれた思想家のなかにこそ、社会主義をよみがえらせるヒントがあるのではないか。そんなことを考えて、難解なドイツ語と格闘していた。とはいえ、現実との接点を見いだせず、このまま続けても現存の社会主義体制になにかインパクトを与えられるのか、と自問自答を繰り返していた。

 そうこうするうちにベルリンの壁が崩壊し、あっという間にソ連がこの世から消えてしまった。次第に私は、かっこいい抽象的な言葉にとらわれることなく、地べたをはうように現実を具体的に直視しようという気分になっていく。そのきっかけとなった5冊を読んだ順に紹介する。

 1冊目は山田鋭夫『レギュラシオン・アプローチ』(藤原書店)。現代社会においてクルマのもつ決定的重要性を直感したのがこの本。そのころ、友人に「ようやくこの社会を支配しているものがわかった。クルマだよ」と興奮気味におおげさに話したことを思い出す。ひるがえって、パルヴスは1924年に死んでいる。もちろん、クルマが社会にもつ意味を知ることはなかった。私のパルヴス研究に対する意欲は急速にしぼんでしまった。

 グラムシがアメリカ経済を特徴づけた「フォーディズム」という概念をとりいれ、マルクスの「労使関係」という着想に学んで出発したレギュラシオン学派。その基本を解説した本書から、目からうろこが落ちるような知的刺激を受けた。トヨティズムという概念も新鮮で、そこから過労死問題や企業社会の抱える矛盾へと私の問題関心は広がった。

 2冊目はユン・チアン『ワイルド・スワン』(講談社)。最初、妻が夢中になってトイレにまで持っていっていた。そんなにおもしろいのかとページをめくりはじめると、私も同じことをやっていた。

 中国の20世紀の激動を生きてきた祖母、父母、著者三代の物語。中華民国将軍に嫁いだ祖母、共産党幹部で毛沢東批判をした父母、「下放」経験をした著者。中国の近現代史を知る上での格好の道案内になっている。そして、この本ではじめて私は「文革」と出会ったといっていい。文化大革命とはこんなにもインチキな「革命」だったのか。「毛主席は160歳まで生きる」「読めば読むほど愚かになる」「はだしの医者」、、。人々を合理的判断から絶縁させ、狂気に駆り立てたものはいったいなんだったのだろう。読みながら私のなかでなにかが壊れていった。

 3冊目は五十嵐敬喜、小川明雄『議会』(岩波新書)。この本を開かなければ、内閣法制局についての拙著を出すことはなかっただろう。

 現状を変えるのは政策である。政策は法律に書かれてはじめて実行が裏付けられる。そして、法律を作るところは国会。というわけで国会の復権が叫ばれるが、そこに国民の手が及ばない官僚組織が立ちはだかる。「たとえ政権を握り内閣を組織して、ある法律の改正法案を用意しても、内閣法制局が・・『過去の行政法との整合性がない』と突き返す可能性がある。・・『地方分権』や『規制緩和』にとっても、最大の障壁といえるのはこの内閣法制局なのだ。」変革を阻む具体的ハードルはここにあったのか。政策や法律の重要性にようやく気づいた。

 4冊目は『ゴルバチョフ回想録』(新潮社)。訳者あとがきに本書の「欠点」として、忙しい現代人が読むにはあまりに長すぎると指摘されているとおり、上下あわせて1500頁の大冊である。在外研究でイギリスに「逃れた」折にようやく読破した。

 筆者の生い立ちからソ連共産党の消滅まで、貴重な証言が展開される。たとえば、中央政治局入りした筆者がみたものはブレジネフ政権末期のもうろくぶりだった。ブレジネフを疲れさせないために、政治局会議は15〜20分で終了、ブレジネフは冒頭、用意されたテキストを読み上げるだけで、最後は「ブレジネフの意見に同意しようではないか」とだれかが発言して閉じられる。新参として筆者はいやというほど砂をかむ思いを味わう。

 ソ連共産党が抱えていた矛盾や問題点がふんだんに示されていて、私のカタイ頭をこれでもかとたたきのめしてくれた。

 最後は宮崎学『突破者』(南風社)。本誌編集長でもある村岡到氏発行の「稲妻」紙で知った。いまやすっかり有名作家となった著者のデビュー作。ぐんぐん引き込まれて一気に読んでしまった。敗戦の年に京都の暴力団組長の二男として生まれ、学生時代は日共早大細胞で活動、秘密ゲバルト部隊「あかつき行動隊」のリーダーとなる。その腕力、胆力、知力に脱帽するとともに、社会の裏側にうごめく人々のホンネを見せつけられた。それにしても、「まずぶんなぐれ」とはスゴイ教えだ。


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