ゼミ外書について

   西川伸一  * 明治大学政治経済学部『政経フォーラム』第3号(1995年3月)掲載

 授業を担当してまだ1年半しか経っていない私に、授業について何か示唆的なことを言えるはずもないが、せっかくの“ご指名”なので、授業とりわけ外書講読およびゼミ外書を担当して感じたことなどを綴らせていただくことにする。

  93年4月、私は2部の外書講読Tを任された。授業現場については本誌の前身の『資料センターニュース』に書かれた先生方のご報告から若干学ばせていただいていた。そのような学生を相手にしなければならない。とはいえ、いやしくも政治学科の専門科目として外書講読をやる以上、政治学の基本的な概念が盛り込まれたものを一緒に読みたい。こう欲張ってテキストを選んだ(Ch. Lindblom, The Policy-Making Process, Englewood Cliffs, 1980)のが、見事に失敗した。学生達は最初のころこそもの珍しさも手伝って、それぞれ予習をしてきていた。しかし、回数を重ねるごとに、きちんと準備してくる学生はへってゆき、それに反比例して私語や非協力的姿勢が増えていった。

 やはり、抽象的な政治理論を原書で読むことは、彼らにとって過剰な負担だったのである。先の諸先生のご忠告をもっと吟味すべきであった。もちろん授業担当者の力量のなさその第 1の原因である。だが、その力量が飛躍的に上がるわけもない。どうしたものか。このままでは、学生達にとっても、私自身にとっても不幸なことになる。結局、私が取った方法は、無記名アンケートを行って学生の忌憚のない意見を吸い上げることだった。前期の最後の時間にこれを行った。以外にも、と言っては学生に叱られるが、寄せられた意見は真剣なものばかりで、身の切られる思いがした。テキストに対する不満が多く出され、現代の政治や時事問題を扱ったものに代えてほしいという要望も強いことがわかった。

 学生に媚びるつもりはないが、とはいえ、前期に感じた学生の学習意欲の傾向的低下とも言うべき事態を、放置するわけにはいかない。ここは謙虚に学生の提案に耳を傾けよう。政権交代で日本の政治への関心が高まった折でもあり、後期は The Economistの日本政治関連記事を読むことにした。つまり、私は93年度後期には、政治に関する外書購読はやったが、政治学に関するそれはやらなかったのである。

 多くの先生からこっぴどくたたかれそうだが、現実としては後期はこれがうまくいった。これなら学生も十分に予備知識があり結構予習をしてきてくれ、私語はかなり減った。私の力量と学生のレディネスを考え併せると、こうしたテキストの方が much betterであったと言わざるをえない。

 1部はいざ知らず (担当したことがないので)、2部に関しては、単なるクラス編成によって機械的にくくられた、興味や関心において同質性の低い60名に対して、政治学の原書を一緒に読んでいくのはなかなかむずかしい。これが率直な感想である。出席というしばりをはずし、一握りの熱心な学生のみを相手にするのなら別だが、クラス単位の必修科目である以上、そんな選別的なことはできない。さらに60名という人数は言うまでもなく多すぎる。やり方にもよるが、これでは当たる回数は年に数回であろう。いきおい予習に手を抜き、受講態度にも緊張感を欠くことになる。私語をする学生を一方的に責められない構造的問題である。

 こんなことを考えながら1年が過ぎた。 94年度にはゼミ外書のみもつことになった。ゼミはクラスに比べれば関心・興味において同質性はきわめて高い。ここが決定的に違う。たとえば私のゼミ学生は、一応という限定はつくが、政治学や国家論を学ぼうとして入ってくるわけで、“覚悟”ができている。こちらとしてもテキストはより専門性の高いものを選ぶことができる。そこで私が選んだのは、大学院時代にゼミのテキストとして読んだD. Held (ed.), States and Societies (Oxford,1983)である。かなり歯ごたえがあるが、ゼミ学生の“覚悟”に賭けてみることにした。

 7名しかいない (来年度はもっと取ります)ので、出席はとるまでもないが、春合宿で、必修科目であるから遅刻・無断欠席のないように脅しておいた。また進め方はあらかじめ当てる人を決めておくのではなく、千野栄一『外国語上達法』にならって、各自名前をカードに書かせ、トランプのように切ってランダムに当てることにした。(前年度の外書講読でも前期はこの方法をとったが、当てる者当てる者、予習をしてきていないので挫折した)。これによって、全員が次の時間はここまで進むと予告した箇所まで予習してくるはずであった。

 こうした方針で前期のゼミ外書を進めた。5時限目という時間が幸いした (来年度は1時限にやります)のか、前期中、遅刻・無断欠席は1度もなかった。また予習に関してはみなさんきちんと訳文をノートに書いてきており、これまで指名して“やっていません”と居直った者はいない。構文・内容に関してドシドシ質問するよう促しているせいか、学生は比較的よく質問を出してくれる。あるいは内容がつかめているか不安なときはこちらから発問したりもする。ときにはこちらが答えに窮するような質問もあり、来週までの宿題ということで逃げている。こんなことをしているから、1回に進むのは2項ほどであるが、精読に徹することでよしとしている。

 いずれにせよ、ゼミ単位の外書講読履修は従来の制度に比べて、その教育的効果は飛躍的に大きいと思う。 (教員の1コマ負担増が玉にきずであるが)。願わくば、2部は3時限までしかないこと、先生方の負担増(1・2部ともゼミをもてばそれだけで5コマ!)などむずかしい問題はあろう。しかし、休み時間にジュースも飲めず(構内に自販機がなく日大に買いにいかざるをえない)に頑張っている2部学生を見るたびに、これをクリアする妙案をなんとか考え出さねばと思ってしまう。


back