通貨敗れて山河あり、アイスランド

6期(2002年3月卒) 松葉 祥一郎

 西川ゼミ14期の皆様、ご卒業おめでとうございます。『Beyond the State』の発行にあたり、寄稿させていただきます。

 さて、いささかぶっきらぼうなタイトルで恐縮ですが、この年末年始、金融危機で一躍世界の注目を集めたアイスランド、そしてデンマークに行ってきたので、そのときの体験をアイスランドに絞って今回の寄稿にあたり一つの記録として書き記したいと思います。

 そもそもなぜアイスランドにいったのかといいますと、大学時代の友人と数年来海外旅行したい話がありながらなかなか実現できずにいたおり、去年の6月にたまたまスカンジナビア航空(SAS)のホームページで2009年下半期の航空券が発売になったのを見つけ、年末年始の繁忙期ながら割りと手頃な料金で欧州ゆきチケットが販売されていたのが始まりです。さぁどこにするか、となったときにレイキャビークという文字がたまたま目に入ったということがあります。日本発の欧州行き航空券では西欧・中欧と東欧の主要都市が目的地として基本的には設定されていますが、レイキャビーク行きというのはそれまでみかけたことがなく、これを見て「アイスランドはどう?」と友人になげかけ、そしてこの国を調べてみると温泉があったり、日本のほぼ真裏に近いところにあったりと興味をそそられました。友人も「アイスランドはいくことないだろうし、せっかくだから行こう」となり、この旅ははじまりました。

 年末の1227日(日)、私と友人は成田空港から一路COP15の舞台、コペンハーゲンを経由してアイスランドの首都レイキャビークに向かいました。不況といいながらさすがに成田空港はそれなりに人はおり、結構な混雑でコペンハーゲン行きのフライトも当然満席でした。コペンハーゲン到着後、乗り継ぎ待ちが4時間あったため、一旦街中にでたものの寒さから少し歩いただけですぐに空港にトンボ帰り乗り継ぎ便を待つことに。

飛行機の搭乗前の定番といえば、X線検査ですが、さすがは海外。時計は当然のことながらベルトは外せ、そして気まぐれにボディタッチによる爆発物検査・・・・・・この行為と比べると日本の国内線に乗るときのアバウトなことこの上ないと感じずにはいられませんでした。

 2010分、コペンハーゲンからいよいよ目的地アイスランドへ離陸。でも時差があり日本時間では早朝410分発なのでさすがに睡魔に襲われ、目がさめたらレイキャビークに到着している始末でした。飛行機を出て荷物をさぁ受け取るぞ、とその前に現れたのはなんと免税店。多くの国では通常免税店は搭乗前にあるものですがここアイスランドでは到着口にもあり、しかも購入可能。なんとも大盤振る舞いなものです。日本でもビジット・ジャパンとキャンペーンをするくらいならこういう施設があってもよいのでは、と率直に思いました。ここでミネラルウォーター1本をなんとクレジットカードで購入。というのも到着ロビー内に両替所がなかったためです。そしてこの両替でこの後前代未聞なことが・・・・・・荷物をピックアップして両替所を探すとなんとクローズド! おいおい現地通貨が入手できないという「珍事」に遭遇することとなりました。このままリムジンバスに乗れるかなぁ、と妙な不安に駆られ、バスのチケット売り場に行くとクレジットカードOK、といわれホッとし、ホテルへGO。リムジンバスでクレジットカードが使えるあたりも日本とは違うとこれまた感じた一件でした。ヒルトンホテルに入り、湯船でリラックス、と思ったら何とシャワーしかないではありませんか。世界最大の温泉があり、水着着用の上での温泉文化があるときいていたのに、ヒルトンで湯船がないとは・・・・・・と思いつつ、さっとひと浴びして133時間の1227日は終わり、就寝とあいなりました。

 翌日は朝はややゆっくりしてホテルの朝食へいくとバイキング形式で色々あり、トマト1つをとってもチーズを乗せて焼かれていたりして、こんな料理法があるのかと思わずうなってしまいました。肉類ではラムのハムがあり、これはアイスランドらしい料理といっていいでしょう。アイスランドというのはかなりの羊大国で、北海道のジンギスカン料理店でもラムはアイスランド産という店が結構あるくらいです。

 朝食を済ませた後は、この日はレイキャビーク市内を主に見てまわり、ガイドブックにも記載されている教会、議会(外観)、展望所と見てまわり、あっという間に夜となってしまいました。というのも夜明けが朝10時、夕方は4時には外はほぼ真っ暗なのです。緯度で言えば北緯60度をこえるのですから当然といえば当然かもしれません。ちなみにこの日のランチはホタテと手長海老を使った魚料理をたべましたが、このときに本格的に「通貨敗れて山河あり」を実感しました。レストランのメニューは飲料など値段が手書きでかきかえられているのですが、メインディッシュは据え置かれており、この値段が2595アイスランドクローナ(ISK)でした。年末訪問時の為替レートは1ISKあたりやく0.75円なので約2000円の料理でしたが、これが金融危機前のレート1ISK=約2円前後だと6000円近い料理となり、半端ではありません。日本は物価が高いといわれたりしますが、それと比べてもあきらかに上手です。アイスランドには付加価値税(日本では消費税が近い位置にあります)というものがあり、これが24.5%の高い税率になっているのです。よって元々高いものにさらに拍車がかかった形となっています。

 そしてこの日、期待をしていったのはホフディ・ハウス。ガイドブックには記載されていませんが、1986年に当時の米国レーガン大統領とソ連・ゴルバチョフ書記長が会談を開いたハウスです。中はどうなっているのかなと見に行くと工事中でがっかりしました。何でも内部が火災で焼けて修理中とのことでした。残念。

 市内観光をした翌日は、ツアーで近郊をめぐりました。最初にいったのはレイキャビークの町の電力を主にまかなう発電所。建物が綺麗であることとあとは何故か日本の鎧兜が飾られているところが妙に印象に残りました。発電設備自体は三菱重工業が主なメーカーだったようで、建設発注のお礼ということで贈られたもののようです。その後、グルフォスの滝へ行き、カナダのナイアガラ以上ともいえる滝に寒さと戦いながらしばし見入っていました。地球の歩き方によればこの滝ではその昔、水量の豊富さに目をつけた英国企業が発電所を計画したものの地元に住む少女が反対運動を初め、その輪が広がりついには建設中止に至った歴史があるそうで、発電所やダムの建設について考えさせられます。

 続いては名物の間欠泉へ。GEYSIRという英単語がありますが、その起源となった場所で、1520分に1回、地底から熱い水が高さ10m位までフワッと吹き上がります。すぐ近くにはみやげ物店とレストランがあるのですが、寒さにギブアップしてここでとうとうウールの帽子を買い、着用しました。GEYSIRをみながら、もしここが日本なら寒くても足湯があるかな、と思いました。でもそこはアイスランド。さすがに足湯はなく、早々に次の「議会」へ。

 ツアーの最後はシンクヴェリル国立公園へ。ここは1000年以上前の930年、アイスランドに入植したヴァイキングたちによって世界で初めて開かれた議会、アルシングがあります。日本で議会が初めてひらかれたのは1890年の帝国議会が初めてであることからすると、すごいなの一言につきます。しかもこの議会、屋外で開かれたというから今の私たちの感覚からすると不思議に感じずにはいられません。いまのわが国の国会議事堂を建物を取り壊してなにもない状態で衆議院・参議院をひらいたらどうなるでしょう。おそらくは街宣車や各種団体がおしかけてとても本会議などできないように思ってしまいますがお読みいただいている貴方はどう思われますか? ただ、屋外でやれば電気代はかからずエコな議会ができそうです。そしてこのアルシングのそばではユーラシアプレートと北米プレートがぶつかっており、ツアーガイド氏曰く「アメリカへようこそ! パスポートとセキュリティーチェックなしで!」と笑える一幕もありました。私はこのフレーズを聞いたとき、日本の裏側にほんとにきているんだなと改めて実感しました。

 アルシングを散策したのち、アウトレットショップに連れて行かれた後ツアーは無事終了となり、この日はアイスランド産ラムのステーキを食した後、屋外公営の硫黄分を含有したプールで氷点下10度近い中をひと泳ぎし、就寝しました。

 アイスランドの4日目は、午前中レイキャビーク市内をひと歩きしたのち、世界最大の温泉として名高いブルーラグーンへ行き、その大きさには思わず唸りました。氷点下約5度、雪に囲まれて夕焼けを見ながら入る温泉は日本にいるかのようでもあり、でも水着着用で入浴して、水深が1.5mもある辺りは外国なんだとも感じます。そしてこの日の夜はアイスランド最後の夜でもあり、ホテルのレストランで通貨暴落後レートで4000円以上もするエビ料理を堪能しましたが、このレストラン、テーブルはほぼ満席でそこで食事をしているのは・・・・・・何と日本人オンリーだったのです。この光景に私は内心「海外に来た感じがない」とぼやき、連れの友人は「まるで妙高高原にでも来たみたいだ」と苦笑いしていました。なにゆえこんなに日本人ばかりなのかとしばらく考えていましたが、その解を食後に得ることになります。食事を済ませて部屋に戻ろうとした際、トランクがロビーに多数あり、なんとなく見えるタグがその解をしめしていました。タグには日本人の名前がかかれていますが、住所を見るとベルギー、フランス、イギリス・・・・・・すなわち欧州各地に駐在する日本人が正月休みを利用して温泉旅行でアイスランドに来ていた、というわけです。ヨーロッパで温泉があるのはスイスとハンガリー(とトルコ)位であり、海を越えて気分転換を、となるとアイスランドはその有力候補の1つにおのずとなるのでしょう。日本人だらけであることに一瞬「えっ」と思いましたが、今となってはガイドブックにはない経験をしたと思います。

 そしてこの日は夜、2時近くまで夜更かしをしてオーロラ探索しました。見えたか、というと青い光を放ったオーロラ、とはいきませんでしたが光源がない真っ暗な空で赤みを時折帯びることがあり、オーロラの入り口らしきものは見えました。らしきと書きましたが、明確にオーロラとは言い切れず、でもオーロラでなければ真っ暗な中に見える赤みを帯びた光は何なのか、というところです。この謎を明確にすべく、アイスランドには再度いかねばという思いです。

 半ば夜更かしに近い状態で迎えた大晦日。はやいものでアイスランドから離れる日となり、空港にいき、着いたそこでみたものは・・・・・・本日の出発便で行き先がコペンハーゲンとロンドンゆきの1便ずつのみ! これには静岡空港や能登空港もビックリすること間違いなしです。1国の首都にある国際空港で、1日の出発便が2便しかないというのは前代未聞といっても言い過ぎではないでしょう。おそらくはクリスマス休暇が終わり、1年の最後の日ということが重なって偶然飛行機が少ない日であったのかもしれませんがそれにしても強烈なインパクトを最後に残してくれました。

8時、かつてない体験を思い出にアイスランドの地を離れてコペンハーゲンへ。機中で体験したことを回想してみると映画のフィルムのごとく情景が脳の中でながれていきますが、通貨危機にも関わらずアイスランドの人たちは日本人より元気だな、少なくとも暗い感じはしなかった、さてこれはなんだろうかと旅を終えて1ヶ月になる今でも考えてしまうことがあります。金融危機で経済が厳しくても日本人より元気である(と感じた)アイスランドの人々。危機遭遇時にどう生きるか、1つの示唆を私にしめしてくれたように思います。

旅はこの後デンマーク&スエーデンとありますが、かなり所定の字数を超過してしまったようです。長々としたこの旅日記にお付き合いいただいた全ての人に感謝の気持ちを申し上げ、筆をおきたいと思います。

14期の皆様、ご卒業おめでとうございます。