イエローストーン国立公園に行ってきた!(更新日2003/07/27)

 日本はそろそろ梅雨明けでしょうね。 アメリカは夏真っ盛り。大学も含めて学校が夏休みに入って1ヶ月半も経過してしまった。梅雨のないミシガンは、それぞれ思い思いの夏を満喫している。
 こういうことには、アメリカ人を見習わないと損とばかり、家族で1週間イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park, YSNP) を旅してきた。

 7月7日早朝、デトロイト・メトロポリタン空港を出発。途中、ミズーリ州のセントルイスで乗り換え、ユタ州のソルトレイクシティまで、かかった時間は6時間半。ミシガンとの時差は3時間。このソルトレイクシティからめざすYSNPまでレンターカーを使って5時間。いやはや、アメリカは広い。この日はただただ移動しただけだった。因みにYSNPは、アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州に広がり、総面積は四国の約半分に相当する。

  
間欠泉 Beehive Geyser              ロアー滝 Lower Falls            グランドティトンにあるチャペル


 イエローストーンといえば巨大な間欠泉ぐらいしか知識のなかった私であるが、ほとんどのアメリカ人はこの公園を誇りにし、一度は訪れたい憧れの地であるという。
間欠泉、白い湯気が立ちこめる温泉(残念なことに湧き出る温泉はただ流しているだけで、日本のように温泉として楽しむ施設はない)。

 豪快な滝と黄色い岩肌の険しい渓谷、深い森、どこまでも続く平原、川が緩やかに蛇行する湿地帯。
そして隣接する(車で30分ほど)グランドティトン国立公園(Grand Teton NP)は、かつての西部劇『シェーン』の背景にもなった所で、どこからカメラを向けても絵になる美しさはスイスを思わせる。この両公園を歩けば、あらゆる種類の自然美を堪能できる。写真はその一部だが、ただその迫力が再現できてないのが残念!
もちろん私の写真技術のせいではあるけれど。

 しかしアメリカ人がこの公園が好きなのは自然風景だけからではない。実は野生の鳥と動物たちに出会えるからだ。YSNPへの旅行者、年間300万人と聞くが、動物目的の方が多いかも知れない。鹿の仲間、ムース、ミュールジカ、エルク、いわずと知れたバッファロー、アメリカのシンボルのハクトウワシ、カワウソ、コヨーテ、オオカミなどなど。車が渋滞していたり、やけに横付けの車が多いと思えば、必ずバッファローやエルクが道を横切ったり、川で水浴びしている光景に出会う。

      

川岸でくつろぐ(?)エルク           車道を堂々と歩くバッファロー           広場のゲートはシカの角でできていた



 さて、ここから後は私のイエローストーン公園雑感。 少し理屈っぽくなることお許し下さい。

 まずこの公園がアメリカ最古であるだけでなく、世界最初の国立公園(1872年)であることに注目したい。1865年の南北戦争終結と同時に、内奥の未開地の開発が盛んになった。以前からこの一帯の自然の重要性が知られ始めていたが、一部の科学者たちはその乱開発による自然破壊を憂慮した。危機感を抱いたアメリカ政府はついに、1872年、この一帯を国有地としたのである。
 この国有地という考え方、市場経済偏重、規制緩和、自由競争の国・アメリカで、しかも国有概念の祖国ロシア革命のはるか以前のこの時代に国有地! 国の力で市場(開発)を規制しようというのだ。何という皮肉。
 しかも自然と科学技術、動物(植物)と人間の共生、開発と保護、この優れて現代的な課題(テーマ)に前々世紀の後半のアメリカ政府が正面から取り組んでいたという事実、これはもっと知られてよい。驚嘆に値する。
 その後、時々のアメリカ政府のイエローストーンへの思い入れは並々ならぬものがあるように見える。公園の北東部の入り口には立派なアーチがあるが、その名を「Roosevelt Arch」という。第26代の大統領の名を冠したものである。
 歴代ではもっとも若い(就任時42歳)このルーズベルト(Theodore Roosevelt, 1858〜1919)大統領は、産業資本家の強大な力に対して労働者の保護を主張した。それだけではなく、自然環境保護にも尽力した人物であったという。狩猟者が捕獲した熊を助け、この逸話をもとに、彼のファーストネームの愛称「Teddy」をとった熊のぬいぐるみ、‘Teddy's Bear’が生まれたという話しは有名。YSNPは、こうして人間と産業と自然との共生のシンボルとして、再評価されてよい。

ところでYSNPはもう一つ別の面で有名である。山火事である。最近の大きなものは1988年に発生したもの。公園内の立て看板を読むと、この年の5月に発生した山火事は、完全に鎮火したのは11月だったというから、ほぼ半年間燃え続けたことになる。東京都全体面積の1.5倍、実に公園全体の36%が焼け野原と化したというのだから凄まじい。
 それから15年になるが、今でも公園のいたる所で焼けこげて立ち枯れた木々をみることができる。どこまでも深い深い森を想像していた私には、焼けこげ、立ち枯れた木々は、痛ましくさえみえた。
 左の写真を見てもらいたい。画像が小さくてわかりにくいかも知れないが、山の下、手前に何本も立っている白い丸太のようなものは、すべて焼けたまま放置された木々である。この写真はまだ良い方で、実際は、園内のいたるところで「禿げ山」、せいぜい「焼き立ち枯れ林」を「発見」させられる。

 この大山火事の原因は何か。ものの本によると「積極的な消火活動はおこなわない」という当局の姿勢にあったらしい。なぜ消火活動を積極的におこなわなかったのか? 落雷などが原因の山火事も自然現象の一つ、自然のサイクルの一環だとすれば、鎮火もまた自然に任せるのが理にかなったこと、それによって自然自体の力で生態系が維持されるのだという考えだったという。要するに自然を大切にするYSNPの思想に忠実に、意図的に消火活動をしなかったのだという説明。
 私はこの説明に俄に支持できない。当局は「自然が(人間社会とは違う)自然のスピードでゆっくりと回復している」と説明し、観光パンフレットもその解釈に従っている。確かにその焼けこげ立ち枯れた木の間から「新しい生命」が復活してきてはいる。しかし、「自然に任せるため意図的に消火活動をしなかった」という説明、どうもいただけない。あと知恵の臭いがする。本当は自然の偉大さの前に人間は無力であったということではないか。アメリカの消火技術では自然を制御できなかったということではないのか。鎮火したくてもできなかったというのが真相ではないかと睨んでいる。

  少々論理飛躍、些かうがった見方かも知れないが、この最後のYSNPの山火事問題は現代のアメリカをめぐるさまざま社会矛盾を象徴しているように私には思われる。
  保護と開発、自然と人間、自然と科学、自己のコントロールの利かない分野への対応策、これらの課題にアメリカは有効な対応策を提出できているのだろうか。共生というよりは「自然現象だから仕方ない。自然の摂理に任せるのがよい」、つまり「弱肉強食の原理に任せよ!」になってはいまいか。
 いまこそイエローストーン国立公園の原点を想起すべきではないだろうか。前々世紀から受け継いできた共生という崇高な理想をアメリカと地球に根付かせるリーダーシップを発揮すべき任務がこの国にはある。アメリカンスタンダードをグローバルスタンダードとして世界に押しつけることなく、それから外れるものとの「弱肉強食」戦争に奔走するのではなく、共生を求める原理の確立の先頭に立つ責務がこの国にはある。



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