最近、私が思うこと、言いたいこと

 2009年4月9日

雇用破壊と研究者の責任

 21世紀に突入してもうすぐ10年になる。
 前回このページに書いたのが2002年の7月、ちょうど明治大学から在外研究を許されて渡米直前だった。あれからもう7年近くにもなる。
 その間、私たちを取り巻く状況は一変した。今や連帯に代わって競争、福祉に代わって効率と自助、そして平和に代わって国益と戦争が人々を覆ってしまっている。


 そして昨年(2008年)秋以降、100年に一度とも言われる経済危機の嵐が吹き荒れている。およそ10年前、トヨタ自動車の元会長で経団連の初代会長であった奥田 碩は「おかしな風潮」として次のように「嘆いて」いた。
 「従業員のクビを切れば株価が上がる。しかも辞めさせる社員の人数が多ければ多いほど株価も高くなる」(『文藝春秋』1999年、10月号)。

 そのトヨタも今日では「おかしな風潮」に染まり、この1年間で期間従業員のおよそ3分の2を解雇した。厚生労働省の発表によると、昨年10月以降に職を失った非正規労働者は、今年6月までの9カ月間に予定も含め192061人(319日現在)に達するという。まさに「雇用破壊」が日本全土を襲っているのである。

ところでこの未曾有の雇用破壊・生活破壊が進行する真っ只中、新自由主義(市場原理主義)の急先鋒の一人であった中谷巌は、自身が推進した「構造改革」について、今更ながら、あれは間違いだったと懺悔しはじめている(中谷 巌『資本主義はなぜ自壊したのか』集英社インターナショナル、2008年)。しかし、この間の派遣切り、失業者、ネットカフェ難民、過労死(自殺)、凶悪な殺傷犯罪などを想起すれば、罪深いというほかない。懺悔で済む話ではないと私は思う。
 この中谷にたいして荒木国臣は次のように批判している。
「なぜ自らの理論的誤謬が生まれ、それを政策的に宣揚して致命的な惨状を日本にもたらしたのか、という誠実な反省の作業がないのです。社会科学者としての存在そのものが問われいる状況への自己認識の欠落に無自覚な姿は、ため息をつくような無責任の精神構造をさらしています」(愛知労働問題研究所『所報』第
144号、20093月)。同感である。

その一方で、ロバート・ライシュは近著の中でこう述べてる。「私たちはこの超資本主義(市場原理主義)のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義をより強いものにしていかなくてはならない。そのためには現在の資本主義のルールそのものを変えていく必要がある」(ロバート・ライシュ『暴走する資本主義』東洋経済新報社、2008年)。

問題はその先にある。雇用破壊・生活破壊の嵐が吹き荒れているいま、いったいどのようなルールをどのように構想し、どのように社会と職場の中に実現すべきか、社会科学の研究者としての責任の真価が問われているのである。

 本年月に駒澤大学で労務理論学会が開催されるが、その大会統一テーマは「現代日本の働き方を問う―――規制緩和下の労働と生活」であるという。ぜひとも活発な議論に期待したい。


 2002年7月31日

 世紀末的新世紀と労働事情(季刊『明治』第15号、2002年7月発行より転載)

 世紀の転換点が足早に駆け抜けていった。

 前世紀末の「世紀末」的現象を引きずったまま世紀の転換点がやってきて、解決の糸口を見出せないまま課題だけを残して駆け抜けていってしまった。もっと悪いことに、昨年の9.11テロを引き合いに出すまでもなく、絶望と悲劇が世界を覆い、地球と人類の未来を脅かすまでになっている。実現したわけではないが、20世紀は連帯と平等、福祉と平和を信じることが出来たし、少なくとも思い描くことが出来た。だが21世紀の入口に立つ今、これらの言葉の何と空虚なことか。連帯に代わって競争、平等に代わって個性、福祉に代わって効率と自助、そして平和に代わって国益と有事。これまで思い描いていた21世紀と目前で繰り広げられているそれとの落差に思わず気後れする。

 嘆いていても始まらない。21世紀の入口に立つ私たちの足下を確かめて、問題を発見し、その異常さを認識し、そこからいま進行中の21世紀とは違うもう一つの21世紀を模索するしかないだろう。以下では掲げた表を参考に「働くこと」に焦点をあてる。

 「働くこと」をめぐる大きな変化の一つは女性労働である。実は働く女性の割合は、巷で流布されている「常識」に反して、この30年間ほとんど変化がない(下段の統計表参照@、A)。変化したのは、働く女性のうちで雇われている人(労働者)が急増していることにある(B、C)。それに引きずられるように、女性労働者の平均年齢も平均勤続年数も伸びている(E、F)。要するに女性たちの多くが、企業に従業員として働くようになり、しかも長期間働き続けるようになったのである。企業内での処遇、出産・育児の社会的支援、家事負担などを不問にできないが、これは確かに男女の共生に向かう好ましい流れではある。

 にもかかわらず、男女の賃金格差はいっこうに改善の兆しが見えない。これが二つ目の問題である。男性の半分以下の賃金しかもらっていないという数字を前に、30年前よりもかえって悪くなっているといわざるをえない(H)。働いている時間の男女格差を考慮しても(I)、この賃金格差は異常である。

 次に指摘できる重大変化は、パートタイマー、派遣労働、フリーターなどいわゆる「短時間雇用者」ないし非正規雇用の急増である(G)。70年と比較すれば男性は2倍、女性は3倍にも増えている。しかもたんなるアルバイトではなく、それを生業としている非正規雇用が急増しているところに深刻さがある。というのも戦後の労働運動を背景に築き上げられた最低労働条件の遵守すらおぼつかないし、彼らに権利とか保障などがないのが「世の常識」とされているからである。なぜパートの賃金は安いのか。いま「世の常識」を根本から問い直す必要がある。

 この30年の間で様変わりしたもう一つの深刻な問題は、失業率の急増である。オイルショックまでは1パーセント台、その後バブル崩壊の92年までは2パーセント代の前半で推移していたのだが、2000年には5パーセントに迫り(J)、昨年はついに年平均でそれを突破してしまった。企業のいわゆるリストラの結果であるが、異常事態である。もともと限定されたものではあったが「終身雇用」はとっくに博物館入りしたといっていい。

 簡単で明快な統計資料がなかったので表には掲げなかったが、企業内の処遇システムも地殻変動にも似た変化が起きている。いわゆる年功的処遇から成果・業績主義への転換である。成績と結果を残さなければ賃金も雇用も保障されない、人事労務管理がそのような原理に転換しつつある。

 こんな状態のなかで労働組合はどうかといえば、目を覆うばかりの凋落傾向が続いている(K)。組合組織率の低下は1976年からの一貫した傾向で、増加に転じた年はまったくない。その原因は何か。暗くてダサイという労働運動の負のイメージを無視するわけにはいかないが、雇用者数が増加している卸・小売業での組織率が低下していることにある。しかも卸・小売り産業ではパートタイマーやアルバイトなどの非正規・不安定雇用という形で雇用を増加させているわけだから、この層の増大が組合組織率の低下と結びついているのである。正規従業員だけを組織してきた企業別組合の完全な破綻である。

 少し暗く絶望的に書きすぎた。世紀末的新世紀からの脱却のシナリオを示さずに終わるのはオピニオン欄にふさわしくないかもしれない。労働組合を必要としている人々は確実に増えている。労働組合の助けを不可欠とする人々のために、私は労働組合の復権を考えたい。これは自他共に認める労働運動のオピニオンリーダー・熊沢 誠氏の主張であるが、私も共有する。連帯と平等、福祉と平和、20世紀の途中まで多くの人々を惹きつけてきたこれらの思想と行動基準を新世紀にリニューアルして蘇らせる途を探りたい。

  主な労働指標                                (黒数字は%)

    1970年

    1985年

    2000年

@労働力率

 81.8    49.9

 78.1    48.7 

 76.4    49.3

A労働力中の男女比率

 60.7    39.3

 60.3    39.7

 59.3    40.7

B就業者中の雇用者比率

 71.5    54.7

 78.9    67.2

 84.3    81.4

C雇用者数(万人)

 2210   1096

 2764   1548

 3216   2140

D雇用者の男女比率

 66.8    33.2

 64.1    35.9

 60.0    40.0

E雇用者の平均年齢(歳)

 34.5   29.8

 38.6   35.4

 40.8   37.6

F雇用者の平均勤続(年)

  8.8    4.5

 11.9    6.8

 13.3    8.8

G短時間雇用者比率

  4.0    12.2

  5.1    22.0

  9.4    36.1

H賃金の男女比

100      50.9

100      51.8

100      49.8

I月間労働時間(時間)

192.7  174.1

182.4  162.5

165.5  137.7

J完全失業率

  1.2     1.0

  2.6     2.7

  4.9     4.5

K労働組合の推定組織率

     35.4

     28.9

     21.5


(注)Kを除いて、各欄とも、前段が男性、後段が女性の数値           
(出所)総務庁『労働力調査』、労働省『賃金センサス』、『毎月勤労統計調査』より

 2001年12月17日
   
21世紀最初の年ももう暮れかかろうとしてます。
   6月に学生時代からずっと一緒に研究してきた仲間と『現代の人事労務管理』というテキストを出しました(八千代出版、2,300円)。その扉に4人の執筆者が学生たちへのアピールとして思うところを記すことにしたのですが、私は次のように書きました。

   「この新時代が働く人々にとって美しく優しい世紀であってほしいものです」。

   残念なことに、9月11日の事件が象徴するように、この願いは早々と裏切られました。今のところ21世紀は「醜く辛い世紀」となっています。テロリストたちも、そしてそれへの報復を仕掛ける側も何と醜くおぞましいことか。「目には目を、歯には歯を」、私たちの国はもうすでに半世紀も前に、このような発想をしないと世界に宣言したのではなかったのか。歴史が前に向かってすすんでいるとは思えない。正直いって愚かです。

   時代が前に向かってすすむことを進歩と呼ぶなら、今は後ろに向かってすすんでいる(逆戻り?)から、21世紀は反動の時代。地球環境問題しかり、雇用問題(高失業率)しかり。20世紀の「進歩」が21世紀の「反動」を生んだということになってしまう。過ぎ去った20世紀とはいったい何だったのだろうか。

 


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