はじめに


筆者は一橋大学大学院社会学研究科に設置されたフェアレイバー研究教育センターで、労働運動や労働教育の研究や実践に従事している。労働教育研究会の事務局も担当している。

本稿では、筆者が労働教育実践に取り組むきっかけ、高校での労働教育実践の中で模索した試行錯誤、現時点でたどり着いた教育の方法と教材・・・まだまだ改善が必要であるが、とりあえず、到達したもの・・・を紹介する。労働教育に関心を持ったきっかけ、高校からの出前授業の経験と模索、たどり着いたE高校定時制での教育実践、今後の課題を順番に述べる。

1.きっかけ・問題関心—労働教育の必要性と試行錯誤
(1)労働教育の必要性を実感地域労組での経験

 
労働教育の必要性を真剣に考えるようになったのは、90年代から2000年代初めのある地域労組での専従役員経験からである。組合に加入していない労働者からの多数の労働相談を受ける中で、基礎的な労働法知識の欠如、それ故に多くの人々が泣き寝入りしている現実を知り、社会人はもちろん、高校や大学レベルでの基礎的な労働教育が必要だと痛感するようになった。

そんなとき、2003年、ケント・ウォンさんとの出会いがあった。彼はカリフォルニア大学ロサンゼルス校労働研究教育センター所長である。英語では略してレイバーセンターといわれる。そこに7カ月滞在して、労働者や学生向けの労働教育実践に触れる機会を持った。そこでは、知識注入型の労働教育ではなく、対話型のワークショップスタイルの労働教育が実践されていた。それは、『被抑圧者の教育学』で有名なパウロ・フレイレの影響を受けた労働者たちの経験や知恵を生かしたスタイルだ。知識注入型教育に慣れている日本人の一人である私にとって、これは新鮮な体験であった。対話型ワークショップスタイルによって労働教育を実践してみたいと思った。

ところが後述するように、いざ、高校で出前授業を始めてみると、知識注入型が染みついて離れない自分を発見するのである。なぜ、そうなってしまうのか。どうすれば対話型でできるのか・・・かくして本稿は、出前授業先の教員とともに、高校において可能であり、かつ効果的な、対話型の労働教育のモデルを試行錯誤する物語なのである。

(2)日本の大学にレイバーセンターをつくろう労働研究と労働教育の実践


帰国後、アメリカのレイバーセンターから学び、日本の大学にもレイバーセンターをつくろうと、一橋大学や明治大学に、労働組合や実践家たち、研究者たちの参加と協力を得ながら、レイバーセンターを創設し、労働教育と労働研究を進めてきた(一橋大学大学院社会学研究科フェアレイバー研究教育センターの前身を2006年設置、明治大学労働教育メディア研究センター2008年設置)。

まずは、労働組合のオルガナイザーや役員、組合員対象の研修において、参加型ワークショップ手法を活用した実践を進めた。大学では、一橋大学や明治大学で実践を進めた。明治大学の労働講座ではOB・OGたちに体験談や受講生たちのアルバイトでのトラブル体験を出発点に、働く上での権利やトラブルの解決方法を考えさせる方法を取った。アンケートに具体的な経験を書いてもらい、その事例を授業で使用した。

こうして、労働教育に関する模索を進めていくなかで、高校から出前授業の依頼が舞い込み、2016年10月までに9回の実践を行う機会を得た。各実践の概要は以下の表の通りである。以下、時系列で、試行錯誤を続けた実践経験を綴り、特に、E高校の事例を詳しく取り上げる。


2.初めての労働教育実践@A総合高校(全日制)−一方通行から双方向的な授業への模索


2009年に、A総合高校の先生から「働く者の権利」と題した講演依頼を受けた。この先生はF高等学校教職員組合の元役員であり、私が地域労組での役員時代に一緒に仕事をした方である。寒い12月に体育館の床に座らせた200人を超える生徒たちにどんな講座を持ったら良いのだろうか、皆目見当がつかないなかでの初めての高校における実践であった。

(1)事前のアルバイト・アンケートと授業準備


そこでまずは、アルバイトの実態とトラブルを知ろうと、事前にアルバイト・アンケートを作成して、記入集計してもらった。生徒の84%が週数時間から20時間程度のアルバイトに従事していた。多くは飲食や販売の仕事である。そのうち2割が何らかのトラブルに遭遇していた。経営者や管理職、社員とのトラブル、接客業が多いので顧客とのトラブル、セクハラ、残業代の未払い、ケガ、シフトや勤務時間の変更拒否、一方的な勤務時間の変更、休憩が取れない、有給休暇が取れないなど大学生が遭遇するトラブルとほとんど変わらない経験をしていた。

では、どんな授業を行うか。良いアイデアもないので、都道府県の労政事務所が作成した労働法ハンドブックを全員に配布して、該当箇所に触れ、パワーポイントを見せながら、トラブル事例に関係する簡単な労働法知識の講義を行った。

(2)一方通行に終わった初めての実践


教員たちは生徒の私語を「弾圧」しつつ、私が一方的に話した40分間であった。いきなり「みなさんは使用者と労働契約を結びます」「使用者には労働条件明示義務があります」・・・と労働法用語をまくし立てて、気がつくとあっという間に時間が過ぎていた。終わった後の教員たちとの飲み会(こちらの方は十分に長かった)で、高校生のアルバイト実態と教え方の手ほどきを受けた。独りよがりの一方通行だったなあ、生徒たちとどれだけ向き合っただろうか、たぶん生徒たちにとって??の繰り返しだったろうと真摯に反省した。

(3)2度目は寸劇を取り入れる


翌年、再び依頼があった。今度は時間が75分与えられ、時間もたっぷりあるし、長すぎて生徒の集中力も持続しないので、途中、教員と生徒に役者になってもらって、寸劇「休憩時間・休暇がとれない」を演じてもらい、具体的な事例に則して考えてもらうようにした。迫力のある演技は大いに受けた。できるだけ、生徒とやり取りして、当てたり、手を上げさせたりして、一方的にならないよう努めた。寸劇をやってみようと考えたのは、ロサンゼルスの移民労働者たちのワークショップでの経験からだ。そこでは、労働者たちが寸劇を演じて、それを素材に労使関係や職場の問題解決の方法を学んでいたからだ。

しかしながら、200人余を前に、生徒たちに参加してもらうには、一方的な講義の部分を減らし、寸劇やグループワークを増やすなど、さらなる工夫が必要だなと実感して帰路についた。

3.500人(12年生)を対象とした実践@B商業高校(全日制) −寸劇にビデオを加えた授業


次は県女性センターの知人を経由しての、県立商業高校からの出前授業の依頼であった。前年にデートDVの人権教育講演会をやったそうで、今回(2013年3月実施)は労働教育の講演をできる人を探している。対象は2学年500人弱。これまた、A総合高校の2倍という、ドキッとするような依頼である。一体どうすれば、500人に勘所を掴んでもらえるような講座をできるのか。

(1)事前打ち合わせの重要性


A総合高校では、事前には電話とメールのやり取りだけだったので、特に1回目はうまくいかなかった。この反省があって、事前にコーディネータのX教員と、2度にわたり打ち合わせをして内容の検討を行った。

(2)3人体制(進行役と2人の解説者)で対応


まず、講師は1人では無理なので3人(女性2人、男性1人)で立ち向かう。1人は紹介者の県女性センターの知人にお願いした。内容は寸劇を中心とする構成とすることとした。

次にアルバイト・アンケートを作成して、3学年全員に回答してもらった。全学年で65%の生徒たちが長期休暇中は平均16時間、授業中は12時間アルバイトをやっていて、2割の生徒が何らかのトラブルに遭遇していた。その傾向はA総合高校とまったく同様である。

講座内容は、アルバイト・アンケート結果の解説、寸劇「休憩時間・休暇がとれない」「セクハラ・パワハラ」と解説という構成とした。司会進行役の1人が2人の解説役に課題を投げてキャッチボールをしながら進める方法を取った。500人の対象にどこまで届いたかわからないが、少なくとも教員と生徒が演じる寸劇だけは全員が集中して聞いてくれた。

B商業高校から2015年3月にも再度依頼があり、今回は男女2人で対応とした。後述するC総合高校の経験を踏まえて、寸劇を3つ、途中ビデオも上映する構成にして、配付教材には空欄を設けて、キーワードを記入してもらうようにした。

コーディネータの立場からコメント(X教員)
 

4.定時制での初めての実践@総合高校定時制−労政事務所職員とジョイント


2013年秋にスタートした「労働教育研究会」のメンバーからの紹介で、F高等学校進路指導協議会で労働教育をテーマに講演を行った。そこに参加していた、C総合高校定時制のY教員から出前授業の依頼があった(2014年3月実施)。

定時制高校で出前授業を実施するのは初めての経験であった。講師は3人で対応とし、1人は 労政事務所職員にお願いした。アルバイト・アンケート結果の説明、明治大学労働教育メディア研究センターが大学の労働講座用に制作したビデオ『職場のトラブルを解決しよう!−長時間労働による過労死』(7分)※の視聴、2つの寸劇とグループ討論、そして解説という構成とした。

※ビデオ『職場のトラブルを解決しよう!−長時間労働による過労死』(7分)は、下記の『就活中のあなた必見です!!〜OB・OGからのメッセージ』(13分)の短縮版です。DVD等が必要な方は労働教育研究会事務局までご連絡下さい。


(1)うまくいかなかったビデオ上映


50人弱の生徒のうち最初から最後まで寝たままの生徒が3〜4人もいて驚いた。グループ討論では、講師3人と教員が各グループに張りつついて、生徒一人ひとりの経験を引き出すようにした。自分の経験を活発に発言する生徒もいれば、アルバイト経験のない生徒や経験があってもまったく発言しない生徒もいた。

ビデオについては大学生向けに制作されているので、少し難しいと思われてしまい、集中して視聴してくれない生徒たちが結構な数いた。映像教材は一般に効果的であると信じられているが、視聴対象者の関心や理解度に合っていないと見てもらえないと実感した。以後、E高校でも同様の経験をした。

また、配付資料の漢字にルビを振らないと、言葉の意味以前に読めない漢字があることに初めて気づいた。以後、配付資料の漢字にルビを振るようにした。

(2)労政事務所との連携−相談のハードルを下げる


若者は様々な問題に遭遇しているにもかかわらず、適切な相談先にたどり着けないことが多い。そこで、相談することの大切さを理解させ、相談に行くことのハードルを下げるために、労政事務所職員が講師として参加し、労働相談について説明してもらった。その結果、相談窓口の存在を強く印象付けることができた。 

(3)2回目は教員との連携に失敗グループ討論支援について


C総合高校からは2014年12月に再び依頼があった。講師は2人で、構成は前回の内容に加えて寸劇を1つ増やした。今回も寸劇やビデオ上映の後にグループ討論を行った。前回と異なり、グループ討論を支援する役割を教員が担うことが教員全体で意思一致されていなかった。このため、教員たちが傍観者となり、私たち講師との連携がうまくいかず、各グループへの介入がうまくいかなかった。

5.紹介による依頼@高校定時制普通科・専門学科


続いてC総合高校の担当教員から紹介を受けたとして、D高校定時制から出前授業の依頼があった(2014年12月実施)。1年生から4年生の合計90人が対象であった。40分枠であったので、1人で対応し、アルバイト・アンケート結果の解説、2つの寸劇と解説で構成した。

D高校からは2016年3月にも依頼があった。今回は90分枠であったので、講師は2人で対応とし、もう1人は労政事務所職員にお願いした。寸劇は3つとし、ビデオ上映も行った。

6.異動先からの依頼@高校定時制普通科・専門学科


C総合高校の担当であったY教員がE高校に異動となり、直ちに出前授業(2015年7月実施)の依頼があった。対象は1年生から4年生まで60人。90分枠であったので、2人で対応とし、もう1人は労政事務所職員にお願いした。本講座は、これまでの実践で取り上げてきた内容を改善しながらフルバージョンで実施したこと、研究会のメンバーが傍聴し、講座での説明や発言などが具体的にどのように進んでいったかについての詳細な記録(フィールドノーツ)をとっているので、以下に詳細に取り上げる。

コーディネータの立場からコメント(Y教員)

(1)準備プロセス―E高校定時制における


これまでの7回の教育実践、高校現場の教員のみなさんからすれば、わずかな回数ではあるが、一つひとつの貴重な経験とその反省、そして、本格的に起動していた「労働教育研究会」での実践交流や議論を踏まえて、どうすれば、より対話型になるのか、生徒たちの問題関心にアプローチできるのか、考えながらE高校での講座の構成を考えた。

アルバイト・アンケートー3割の生徒がトラブルに遭遇


アルバイト実態アンケート(リンク・PDF)については、Y教員からの指摘を受けて、時給の設問を新たに設けた。事前に全員に回答してもらい集計すると58人中43人74%(女性85%、男性66%)がアルバイトをしていて、平均して長期休暇中は週28時間、授業期間中は21時間働いている。時給は平均914円、最賃違反の750円から1200円までバラツキがあるが、半数が当時の最賃額から900円の時給であった。43人中3人に最賃違反があった。

アルバイトをやっている者のうち3割13人が何らかのトラブルに遭遇していて、経営者や店長、正社員、同僚などとのトラブル(7人、16%)、接客業が多いためお客さんとのトラブル経験者が7人(16%)と多い。トラブルに遭遇した生徒13人のうち7人が解決のためにアクションをしていた。休憩が取れなかった生徒は労働基準監督署に相談していた。退職強要に対して親を通じて本社に申し入れてもらった生徒や社長や店長と話し合って解決した生徒、自分に非があると気づいて謝って解決した生徒もいた。ただ、学校の教員への相談は1件もなかった。

アルバイト実態に根ざした寸劇—最低賃金違反事例


寸劇は、生徒たちのこのようなアルバイト実態に根ざしてこそ、成功する。だから取り上げたのは「時給850円のアルバイト」「休暇を請求したらクビだと脅された!」「セクハラ・パワハラにあって」の3つ事例である。「時給850円のアルバイト」は、筆者が、たまたま、ある駅ビルのテナントのアルバイト求人情報で発見した実際の最低賃金違反の事例を取り上げた。この事例は、事業実施日の直前に所轄の労働基準監督署に情報提供していた。最賃違反の求人情報は授業実施の当日にもネット上に掲載されていた。

机間指導を行う


構成は、アルバイト・アンケート集計結果、寸劇とグループ討議、解説「時給850円のアルバイト」「休暇を請求したらクビだと脅された!」、ビデオ上映と解説、寸劇とグループ討議、解説「セクハラ・パワハラにあって」とした。筆者が前半からビデオまでの解説、労政事務所職員が相談先の紹介とセクハラ・パワハラの解説を行うこととした。

また、これまでの経験、特にC総合高校での実践から、講師が前で話しているだけでは、生徒から遠く、対話するのが難しいことを実感していたので、2人で机間指導を行うこととした。
 
生徒配布用プリント(PDF)
※実際に使用した配付プリントに一部改善点を加筆修正した。なお、最低賃金は毎年改定されているので注意。使用する場合は寸劇などの修正が必要。労政事務所発行の労働法リーフレット(添付なし)も配付した。

(2)授業の様子—成功と失敗 現実を少しは知れた?


寸劇を軸にした授業展開。一方が発言中に、もう1人が板書や机間指導。あるいは2人で生徒たちの間に入って行って、生徒たちとやり取りするようにした。グループワークが難しそうなので、グループを作らず、隣同士や前後でやり取りして、投げかけた質問に対する答えを考えてもらうようにした。生徒と教員の行う寸劇が始まると、シーンとして集中したのが印象的だった。演技がうまかった。

最低賃金違反の実例を示す


最低賃金違反の寸劇は実際にあった事例として紹介。その場でインターネットにつないで、その求人情報を見せて、労働基準監督署へ是正を求めて情報提供もしたことを話した。この点は印象つけられたのではないか。有給休暇を取ったことのある人と投げると、実際に、中堅スーパーでアルバイトしている生徒が有給休暇を取っていたことが判明した。他の生徒にもピンときたと思う。しかし、次にいきなり「就業規則」と切り出したら、失敗。何のことやらわからない。

高校生には難しかったビデオ


ビデオについては、いきなり36協定(「サブロク」協定。時間外労使協定)だの、労働組合、連合などと出て来て、やはり高校生には難しい。高校生向けの相談機関の紹介ビデオが必要だなと実感。

講師が繰り返し、相談先としての労政事務所を紹介していたので、相談の大切さとその存在を実感させた。

教員も1人の労働者


最後のセクハラの寸劇の後、教員たちに、管理職から誘われたら断れるか聞いた。女性教員が「なかなか断れないと思いますので行きます」と答えた。生徒たちにも大人たち=労働者の現実を伝える機会になった。

事後アンケート結果(PDF)

7.おわりに—「逆の労働教育」と権利行使


教育実践をやり終える度に課題が出て来る。いままで、意識化されていなかったが、この間の「大幅」な最低賃金の引き上げに、高校生のアルバイト時給が追いついていない。つい先日、近所の地場スーパーが高校生の時給だけ最賃違反で求人を出していたことに気づいた。高校生の無知につけ込んでいる。

最賃違反はわかりやすい事例だが、高校生たちの働く現場には様々な問題が潜んでいる。高校生たちは、日々「逆の労働教育」を受けている。忙しければ休憩が取れないのは当たり前。15分までは残業がつかない。多少のサービス残業は当たり前。有給休暇なんて聞いたことがない。こんなアルバイトの現実から出発して、少しでも権利を知り、それをどうやって行使したら良いか考える場をつくる必要がある。しかし、私たちの出前授業は、対話型へと改善されつつあるにせよ、労働法の知識教育の域を出ていない。

どうすれば権利を行使できるのか。権利を行使するためには、職場の仲間の支えと集団的な職場環境・労働条件の改善が必要だ。すなわち、その最良の方法としての労働組合の存在がある。これらをどうすれば認識してもらえるか、いかなる方法を取れば、生徒たちが考えていく場をつくれるのか、引き続き大きな課題である。