1.労働教育を始めたきっかけ


私は32年目の社会科の教員で、6年前に今現在の商業高校に赴任した。

以前から現代社会や政治経済の授業で労働法の内容は触れてはいたが、直接のきっかけは2012年の全国教育研究集会で労働教育を広めようという趣旨のリポート発表を聞いたことにある。社会科の中で権利教育として労働法を教えていた。それを独立させて「労働教育」と銘打っていることにまずは驚いたし、内容がある程度系統立てて考えられていることにも感心した。担当者から労働教育に関する資料をもらい、大学院生が作成したというワークシートも手に入れ、とりあえず、これを来年の授業でやってみようと思ったのである。

私は進路指導部に所属していた。大まかな就職指導の実態も把握しており、アルバイトをしている生徒が多いことも知っていた。
 

2.労働教育実施まで
(1)位置づけ 


さて、労働教育をどのような位置づけで実施するか、最も苦心したところである。社会科の枠だけでなく、学校全体でとりくめる時間はないだろうか。総合的な学習の時間の内容は決まっている。その時、人権教育の枠組みでできないかと考えた。働く者の権利の学習はまさに人権学習と捉えることができるではないか。すべての学校には、人権教育に関する委員会組織がある。年に数回または数時間、各校独自に人権教育を実施している。私は、赴任した年から本校の人権教育研究委員会に所属していた。「人権教育として労働教育とDV教育を隔年で行う」という方向性を委員会で決定し、下表のように職員会議に提案し全体の了解を得ることができた。

1.目的 労働者としての人権意識を高めるための労働教育を行う。
(1)働く者の権利としての労働基本権についての学習を深める。
(2)アルバイトや就職先で若年者を中心に発生しているトラブルと解決方法について学ぶ。
※本校生徒の実態(アンケート調査結果)に基づいた寸劇を含む

2.内容  (1)「アルバイトや就職先のトラブルを解決しよう」と題する講演会
講師:
青野恵美子さん(明治大学労働教育メディア研究センター)
高須裕彦さん(一橋大学フェアレイバー研究教育センター)
Aさん(県女性センター)
(2)講演及び寸劇(体育館)、アンケート・感想文(HR)


(2)準備段階


 

まずは、労働教育を実施する以上、全校の状況を把握する必要があるので、全校生徒に対してアルバイトの実態調査を行い、集計作業をした。結果は以下のとおりである。
それを講師に送り、本校の実態を基に内容を組み立ててもらったので、生徒の反応は他のどの講演会よりも良かったように思った。

(3) 腐心したこと


本当は、生徒たちが実際に就職することになる企業の労働条件などを取り上げながら、企業選択の段階から労働教育で学んだことをいかせるようになってもらうのが目的だった。だが、赴任したばかりの私には情報収集の手段がなかった。従って、ゆくゆくは将来のための労働教育という形を取りたいが、まずは手始めとして、内容をアルバイトに限定することで、生徒の実態にも合わせられる、という選択をしたのである。実際には、生徒たちに話を聞くと、労働条件が悪かったら辞めればいいという意見は結構多く、課題が残った。 
 

3.教材


寸劇1 テーマ「休憩時間・休暇がとれない」と寸劇2 テーマ「セクハラ・パワハラ」とその解説で授業を展開。労政事務所制作の若者向け労働法ハンドブック、アルバイト実態と労働法に関する調査アンケート結果、相談先一覧を配布。
 

4.当日の様子
(1) 講演会の様子


1、2年生全員を体育館に集めて行った。約500人弱である。生徒たちには当日の内容を事前に知らせてあったが、「今までの人権教育の時間とは少し違う」という勘のようなものが働いていたのか、いつも以上に神妙であった。聞く態度等には特に問題はなかった。
講師にとっては、教室での授業の十倍以上の人数、しかも体育館という、劣悪な環境であった。途中の労働法の説明が生徒には分かりづらかったようだが、生徒も参加した寸劇は、生徒にとっても身近なセクハラ問題やアルバイトを題材にしていたので、それまでの講師の話を一方的に聞くだけの講演会などと比べても、反応はずっと良かったと思う。

(2) 事後アンケート


ほとんどの生徒が内容を理解できたと回答していたので、1回目としてはまずまずという手応えを感じた。


(3) 反省点

講演内容の事前打ち合わせを行ったが、初めての実施だったので、こちらからは内容云々の注文をつけずに実施してもらった(この手の講演はたいてい講師にお任せしてしまうことが通常である)。労働法の説明の部分で生徒たちが少し戸惑い、ダレてしまったが、それは想定内だった。しかし、肝心要の法的な部分がしっかり浸透しなければ目的には適わないので、その点の改善を次回の課題とした。

この企画は隔年で実施することを決めていたので、次回2014年度(実施は20153月)に向けては事前打ち合わせ等しっかりやらなければと感じていた。

6.2回目に向けての準備
(1)1回目の総括をふまえた改善


全体的な授業の流れは変更せずに、生徒の興味関心をさらに引き付けるために、DVDを上映した。労働法の説明部分をわかりやすくした。

(2)2回目の事後アンケート集計結果


内容について「よく分かった」「分かった」を合わせて98%、説明について「分かりやすかった」が92%だったので、概ね理解できたのではないかと思う。アルバイトを「している」「していない」による違いも集計してみたが、アルバイトを「している」生徒の方が、「よく分かった」「分かった」の割合がほんのわずかに高かった。


7.課題と今後の抱負
(1) 課題


本校における最大の課題は、実際に生徒が就職する企業において、労働教育で学習したようなトラブルが発生した場合、どのように対処するか、それをどのように解決するか、ということにある。従って、アルバイトにおける事例での労働教育は、あくまでその前段階であると考えている。



本校では、毎年100名以上の生徒が一般企業に就職している。全体の動向は把握していないが、一例として私のクラス(40人の女子クラス)の卒業後丸2年を経過した動向をまとめたのが上の表である。就職者32人中、すでに退職した者が11名いる。特筆すべきは退職率100%のサービス業である。4人の就職先はそれぞれ、レストラン、ホテル、介護サービス、レンタカーであり、すべてが本校から毎年生徒が就職している企業なのである。つまり、生徒にしてみれば、毎年誰かが就職し、進路の手引き(進路指導部が作成する進路実現のための冊子)にも企業名や合格体験記が掲載されているので、つい選んでしまうのである。ちなみに、レストランに就職した生徒は私のクラスの内定第一号だった。

相談された内容


レストランに就職した生徒は、5月には私に連絡してきて、「辞めたいけど辞めさせてくれない」という話を聞いた。連日の深夜勤務、客商売なのでお客さんからの誘いなども多く、終電過ぎてタクシーで帰ることもしばしば。他にも、お伝えするのも憚れるような話も聞いた。社長宛に退職願を郵送すればとアドバイスし、文案まで考えてあげて、1ヶ月後に無事退職となった。

ホテルでは、パワハラに悩んだ生徒が相談に来た。介護サービスでは、お客さんから個人的な付き合いを再三再四申し込まれたり、つけ回されたりしたらしい。いずれも相談後、しばらく働いたが結局退職を選択した。

レンタカーの生徒は、典型的な長時間労働に苦しめられていた。8時から20時までが営業時間だが、開店前から閉店後までの勤務は当たり前だったという。高卒だから半年ごとに支店を換えさせられるそうで、そんな状態はどこの支店でも同じだった。加えて、中途入社で実務経験のない上司(店長)の下で働くことにほとほと疲れたそうだ。辞めることについては相当悩んだし、最初のうちは私も頑張れと励ましていたが、数回話を聞くうちに、早めに辞めて新しい仕事を探した方が良いと思うようになった(その後、職安で紹介してもらった薬局の事務の仕事に就くことができた)。

いずれの生徒も在校中に問題があった訳ではない。レストランの子は3年間運動部、ホテルの子は3年間皆勤、介護の子はクラスの中央委員、レンタカーの子もクラスの中心となって頑張ってくれた子だった。いずれの例も、本人が社会そして会社に適応できなかったのではなく、ひどい会社のシステムに耐えきれなかった結果としての退職である。

卒業後のつながりが大事


一般的に、高卒の離職率は3年で約40%と云われ続けてきたが、正確な数字はどこの学校でも把握していないはずである。その理由は、学校は生徒を送り出せばそれで終わり、という風潮であるからである。時たま卒業生が遊びに来て、「○○ちゃんが会社辞めたよ」という話を聞くことはあるが、「先生、何とかしてください」ということは実際にはごくごく稀なことなのだと思う。社会に出たら自分で荒波を乗り越えろ、が当たり前になっているのが現実の社会であり、学校と卒業生の関係である。
しかし、これで良いのか、というのが私の最大の関心事である。労働教育の真価は、むしろ送り出し、社会の荒波に翻弄されている生徒たちに何らかの手を差し伸べるためにあるのではないか、それが出来るか否かを問われているのではないかと、卒業した彼女たちの現実を知るにつれ、その思いを深くするのである。

この課題を解決する方法論としては、まずは会社の実態を知ることだと思う。就職指導の段階で、求人票以外の情報を生徒にいかに正確に供給出来るか否かが鍵を握るが、それが就職実績のある企業だったりすると、話はややこしくなるのが学校の悪いところなのである。少なくとも、卒業生がどんな状況で勤務しているのか、そんな実態だけでも正確に把握し、企業別の労働条件のデータベース化によって、出来る限り「人間らしく働ける」会社に就職するように導くのが、私たちが最低限すべきことなのだと考えている。

(2) 今後の抱負


卒業生の就職先企業の労働条件調査を是非実施したい。出来れば過去3年間、300人分ぐらいの情報が集まれば、高校生を採用している一般企業の実態の一部を垣間見ることが出来るのではないか。そうすれば、それを活かした就職指導がもっと充実したものになると確信している。