メタ超心理学研究室

研究報告


第38回理論心理学研究会 報告者:石川幹人
2003年4月26日(土曜)明治大学駿河台校舎研究棟

<論文紹介>
Philosophical Sensitives and Sensitive Philosophers: Gazing into the Future of Parapsychology, Int'l J. Parapsychology, Vol.12, 2001.

本論文では,超心理学が,これまで重きを置いていた科学的方法論の行き詰まり状態において,認識論的危機に陥っていることを指摘している。著者は,超心理学は,現代科学やその対極にある伝統的宗教などに従属することなく,認識論的自律を主張すべきであるという。

●超心理学は危機にある

1909年にW.Jamesは、超心理学(当時の心霊研究)者に対して、「すぐに多くの成果を望んではならない。超心理現象全体を説明する理論を確立するには、50年から100年が必要となる」と警告した。その後、理論的解釈を待つデータがどんどん積み重なっていった。

もうJamesの予測期間は満了するが、すぐに最終結果に至る兆しはない。D.Radinに代表されるような厳密な研究(『意識の世界』)がなされていてもなお、主流の科学者や哲学者を説き伏せるところへも近づいていない。サバイバル研究に至ってはほとんど無視されている。こうした中で、超心理学者が東洋思想にPSIの哲学的拠り所を求める傾向も顕著である。

だが、そのアプローチは理論や実践によって裏付けられているわけではない。どんなものであれ、宗教的信念にPSIを隷属させてしまうと、データの曲解を招きPSIの真の姿を見失うのである。超心理学はあらゆる宗教から(「科学」という宗教からも)距離をおき、厳格な認識論的自律性を保つべきである。

この自律性を保つか否かが、超心理学の「危機」である。「危機」というのは、そのギリシャ語の原義からして「重要な決定を迫られている分岐点にある」ということなのだ。超心理学は長らく科学的文化規範に寄生してきたが、近年は流行の宗教・哲学に媚びる様子も見せている。これは、超心理学が既存の文化様式を転覆させてしまう力と重要性を持つことに、超心理学者自身、十分自覚がないからだろう。この「危機」において、どのような決断がなされるかは、依然として見えてこない。

けれども、古代人が直観していたように、意識されない隠れた大きな力もまた働いている。この理解不能な力は、人々の心身を包含し、また超越している。もちろん、同種の大きな力は超心理現象の背後にも潜んでいる。だから、超心理学の将来について知りたいと思えば、超心理的「経験」(予知や予言など)にも目を向けるのがよいだろう。

先のJamesの予測に戻ろう。予測とは、科学的には、意識的な合理的計算の結果である。ところが、超心理学についての二次的な(メタな)知識が、一次的な超心理的経験に依存しているとなると、かの予測の期間は500年かそこらに延長せねばならぬだろう。500年後に初めて、超心理学者はPSIの一般理論を確立できるだろう。では、超心理的経験から、超心理学の将来をどのように占うのだろうか。

●予知と予言:PSIと新宗教意識

予測と予言、すなわち超心理学の進歩と宗教の進化はどのように関係するのか。

この疑問の答えは複雑で、超心理学と宗教、哲学、科学の入り組んだ歴史に目を向ける必要がある。まず超心理学の真正理論を立てるには、過激な理論化手法を受け入れねばならない。知識と実在の合理的な理論に関する源として非合理的な知性を認めるのだ。主観的であることは、経験から理論を引き出すのに本質的である。外部からPSI経験を見るのは、自らのPSI経験から考えるのとは異なる。James自身、「自己経験を抑制せよという科学の要請はばかげている」と、主観的であることの現実性を受け入れることが合理的問いの中核原理であると主張している。

Jamesの議論は、科学モダニズムとポストモダニズムの論争を越えるものである。科学が主体なき客体を探したとすれば、ポストモダンは実在物なしの諸主体を主張した。Rortyによれば、我々の知識と独立した世界の概念は「空概念」なのだ。世界は個々の観点の総計に過ぎず、客観的には真でも実在でもない。いわゆる「事実」はすべて、隠れた偏見に由来する解釈に過ぎない。すなわち、モダニズムとポストモダニズムはともに、客観性か主観性のどちらかだけがあるに過ぎないとしているのだ。

超心理現象の体験は普通、通常の対立概念が一緒になって意味ある統合を形成するときに現れる。ここに、超心理学が新しい思考様式を生む糸口がある。筆者は共時的体験をしたが、そうした体験は親密な雰囲気の心理療法の場に多く現れる。我々はほとんどいつも、気づかないうちに特異体験を無視し、日常生活は現実よりもずっと整然としていると思いたがっているのだろう。

雑然とした経験を整然とした概念が支配することが、古い宗教意識の中心的モチーフであった。ところが、一方的な還元でなく、対立概念を越える新宗教意識が重要となる。そうした意識を見い出す認識論的バランスを取るために、Jungは、特異現象に注意を払うのが肝要だと強調した。

超心理学がこの宗教意識の転換に寄与するには、まず「科学への羨み」を越え、秩序を説明しようとする古めかしい究極理論探索を捨て去ることだ。代わりに、意味の有機的な創発を奨励しよう。理論と実践の両面において、合理的意識と非合理的意識が結び合わされることが重要だ。すなわち、超能力者が哲学者に、哲学者が超能力者にならねばならない。それはつまり、超自然現象が「自然化」されることでもある。

Jamesらは、心霊研究の現代化のためにサバイバル研究を排し、宗教的議論と一線を画したが、心霊研究が超心理学になり、統制実験が用いられるにつれて、「自然」の概念が変質してしまった。自然とはもはや、質的に感じ取るものではなく、量的な抽象物へと矮小化された。専門家のみしか自然(数理的公式)を理解できなくなった。こうしてPSIについても、日常生活から切り離されたのだ。

対照的に新宗教意識は、我々はみな超能力者であるという、急進的な立場に立つ。そして、旧来の宗教が神聖化していた「自然の別の次元」を、人々の日常的世界へと引き下ろしたのである。よって新宗教意識のもとでは、その次元の探求にPSI現象が採用され、体験の意味への問いが宗教的実践にもなっているのだ。

●超能力者から敏感者へ

超能力者(psychic)という用語より、敏感者(sensitive)という用語を使用しよう。

●4人のミュータント:敏感者かつ哲学者

ソクラテス(敏感な哲学者)
 託宣に従って行動した哲学者。

アイリーン・ギャレット(哲学的敏感者)
 研究の促進に超心理学財団を設立した霊媒。

ジェーン・ロバート(哲学的敏感者)
 科学と宗教への哲学的不満から霊能力を得たという。

ニーチェ(敏感な哲学者)
 PSI体験が彼の哲学に反映した。

●終着点:超心理学の新しい神話学に向けて

将来、超心理学者は自らのPSI体験の意味を探る敏感者となる。科学と宗教が出会うところから超心理学の未来が開けるのである。


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