8-4 意識の探究

明治大学情報コミュニケーション学部教授
メタ超心理学研究室 石川 幹人

 以下では,心の究明を,意識の究明に置き換えて検討し,超心理学との関わりを見て行く。

<1> 意識とは何か

 「心とは何か」と問われるよりも「意識とは何か」と問われるほうが答えやすい。我々が起きている状態には意識があり,寝ている状態には意識がない(夢を見ているときは意識がある)という,明確に区別できる差異があるからだろう。また,寝ぼけているときのような,両者の中間的状態,普通の覚醒状態とは異なる意識状態(4-3)の存在も比較的理解しやすい。
 意識とは,精神的経験全体の安定した流れであって,恒久的自己を形成する統一性のとれたものである。また「意識する」とは,主体的な気づきの感覚であり,そこには何かしらの状況把握や反省が伴われる。より客観的には,認知心理学者のバーナード・バーズが1988年,意識しているという内観報告があり,その報告の正確さが別な証拠によって支持されるとき,を「意識している」と定義した。だが,その定義では,すべての意識をカバーしない。報告できなくても「意識がある」場合が考えられる。言語に障害を持った人間や,人間が分かるような言葉は話さない霊長類であっても,ときには意識が認められるだろう。また我々自身,別に証拠がなくても現に意識していると自分で分かるものだ。
 意識については,意識状態と無意識状態を比較することでも理解が進む。無意識状態にはなく,意識状態にあるものが何かを調べればよいからだ。我々の素朴な常識からすると,経験の内容のほとんどは意識状態に特有なものであり,無意識状態にはそうした経験の内容はないかのように感じられる。ところが心理学の知見はそれを否定するのである。古くは精神分析を興したジグムント・フロイトが,無意識状態にも信念や願望,感情があり,ときにその抑圧が精神疾患の原因になると説いた。続いてカール・ユングは,無意識とは我々の集合性と創造性の源であるとした(5-8)。
 最近の実験心理学の知見では,1986年にヴァイスクランツが「盲視」という現象を見出した。障害で視知覚を失っている特別な患者に物体を提示すると,「見えない」と内観報告をするにも関わらず,「当てずっぽう」の答えが極めて正確なのである。実は「見えている」のに,見えている「自覚」に欠けているのだ。さらに健忘症の患者の中には,自分が何をしているか分からないにも関わらず,ジグソーパズルを解くのはうまい者がいる。同じパズルを再度行なわせると,なんとより早く解けるのである。
 どうも無意識状態にも意識状態と同様な経験の内容がありそうである。では意識状態に特有なものは何だろうか。それは質的経験や,経験の反省,自己の認識などだろう。質的経験は「クオリア」とも呼ばれ,「痛み」や「赤み」の感覚である。例えば,赤い物体を感知しているときには,物体があることの感知に加えて,赤さの感覚が経験されているだろう。経験の反省は,例えば,物体を感知していることを感知しているというような,「メタ感知」である。

<2> 意識と心の関係

 西洋思想で「心」というと,物的世界と対比させた心的世界を指し示し,「意識」をも含んだ広い概念である。現代の心の哲学では,「意識」と「志向性」が大よそ「心」(心的なもの)に対応していると考えている。志向性とは,何かが何か別のものに「ついて」であるという性質である。例えば「トマトが赤い」という信念は,「トマトが赤い」という事態に「ついて」のものである。あらゆる信念は志向性を持つがゆえに,心的なものであるのだ。
 それに対し東洋思想では,意識と心とを分離して考える。心は精神的活動プロセスや認知の機能である一方,意識は存在するものである。上述の「意識状態に特有なもの」というのが,東洋思想の「意識」に大よそ当たるのだろう。東洋思想の「心」はずっと「物的」である(東洋思想では「物」自体が,西洋思想よりもずっと「心的」なのではあるが)。例えばサムキヤ・ヨーガでは,心(サトラ)は,物に関する知であり,物(プラクリティ)の一部である。またそれは,物とは独立した意識(プルシャ)から影響を受けるともされる。

<3> 意識科学

 認知に関する実験心理学に,脳神経生理学と,コンピュータによる認知機能のモデル化研究とを加えた研究領域を,認知科学と言う。だが最近では,心を研究対象とする分野を,学際領域まで含めてもっと広く「心の科学(マインドサイエンス)」と呼ぶ傾向も現われてきている。
 それに対して,「意識科学」を標榜する動きも出てきている。アリゾナ州ツーソンで1994年から隔年で開催されている「意識科学に向けて」という国際会議である。この国際会議には,心理学者はもとより,生理学者,生物学者,物理学者,コンピュータ科学者から,社会学者,哲学者,宗教学者までが数百人規模で集まり,意識に関するさまざまな話題を議論する場である。研究領域は「心の科学」と大部分重なっているが,「意識科学」というだけに,哲学的な研究が多く含まれている。国際会議の主催は,アリゾナ大学の意識研究センターであるが,そこでは意識研究誌(JCS)と言う論文誌も発行しており,そちらの内容はかなり哲学に重点が置かれている(1-3)。
 さらに1997年からは,意識の科学的研究学会が結成された。こちらも哲学者が中心になっているようである。次のWEBサイトを参照されたい。http://assc.caltech.edu/
 意識や心の科学というのは,まだはっきりとした「科学」になっていないために,研究コミュニティや研究アプローチが混沌とした状態である。

<4> 超心理学と意識

 現在模索されている「意識科学」の営みには,科学と非科学の境界を再設定しようとする狙いが含まれている。そうでなければ,意識は科学の対象にはならない(8-2)。この境界再設定に伴って,超心理学が科学と扱われる可能性があるかもしれない。実際,「意識科学に向けて」の国際会議では,超心理学のセッションが設けられ,数人の超心理学者が研究報告している(2002年の会議では,マリリン・シュリッツを座長にした5件の発表と,チャールズ・タートらによるワークショップが開催された)。このように超心理学は,意識科学という大きな傘の下に居場所を見つけようとしている。
 けれども他方では,意識研究と超心理学の結びつきに疑問を呈することもできる。PSIの能力発揮は無意識に行なわれる傾向が強く(4-8),意識がむしろ邪魔になるようでもある。ホーンティング事例(7-4)のように,人間を介在しないような現象もみられ,物理学や工学出身の超心理学者には,物質的な説明体系の内に超心理現象を収めようとする者もいる(5-5)。

<X> 付記

 本項の内容はSSPにおけるラマクリシュナ・ラオ氏,エドワード・ケリー氏の講演をもとにしている。一部は,筆者らが編集した『入門・マインドサイエンスの思想〜心の科学をめぐる現代哲学の論争』(新曜社)によっている。
ラオラマクリシュナ・ラオ氏


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