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環境問題・環境政策の歴史を学びエコ・シフトの方向を見定めよう


 環境問題の歴史は、人類による青銅器や鉄器の製造と利用に伴う森林の過剰伐採に発したといってよいと思います。また、大気汚染は主に英国が先導した先進諸国の産業革命の過程における石炭の燃焼に伴い、また水質汚染は同過程での石炭採掘や金属鉱石の採掘と精製過程に原因があったとされています。第二次世界戦後には、先進諸国でエネルギーとして石油が、石炭に代替しつつ、新たに化学工業の原料となり、大気および水質汚染さらには土壌汚染の原因物質に形を変えて、全世界的に拡散されました。さらに原子力エネルギーの戦争利用や発電利用は、潜在的および顕在的な環境破壊の原因として加わっています。
  1960年代後半から70年代にかけて、先進諸国は、公害防止投資の節約に起因する大気汚染と水質汚染による公害現象の激化への対応を迫られました。そのため、環境担当省庁の設置と環境法体系の整備により、公害対策を推進しました。主に環境基準や排出基準の設定あるいは排出禁止物質の指定により、「命令による規制」型の環境政策を遂行しました。その際には、一方で、政策遂行上のインセンティブとして、公害対策投資への低利融資や対策企業への減免税などの産業政策的な支援策が採用されました。また他方で、公害被害者の救済のための原資を徴収する課徴金制度などの負のインセンティブも採用されました。こうした一連の政策は、公害防止機能をもつ装置・機器を従来の生産装置に付加する「末端処理機能付加型(end-of-pipe add-on type)」の技術的対応を公害企業に促しました。その結果、エコ(環境)装置製造部門が従来のエンジニアリング部門の内外から形成され、エコ装置市場が形成ました。
  70年代末には、エコ装置は社会に一巡し、それ以降、原料選択および投入段階から製品産出と廃棄物排出までの各段階で汚染を制御する「統合的汚染浄化機能内在型」の技術への代替も一部なされました。また73年と78年の二回のオイルショックは、省エネルギー技術の革新を促し、改めて汚染削減技術が同時に省エネ技術であることの再認識を企業に促しました。
  特記すべきは、以上のような技術革新の諸過程で蓄積された技術は、それ自身が、単に公害発生コストを削減するだけでなく、省エネ効果により利益を増やし、場合によっては特許化され売買されて、開発企業に開発投資を上回る利益の確保を可能にすることが企業に自覚されたことです。
 1980年代後半以降明らかになった、地球規模の環境問題であるオゾン層の破壊や海洋および越境大気汚染や気候候変動リスクの増大は、地球規模の国際協調対策を要請しました。特に地球温暖化問題は、二酸化炭素を主とした温室効果ガスの排出削減のための京都議定書の締結を導きました。公害問題においては環境破壊物質の排出企業が特定できました。しかしながら、地球環境問題では、ほとんどの企業活動が濃淡の差はありながらも加害者側に立たされることになり、さらには全ての消費者にも同じくその経済活動の修正が求められることになりました。経済全体のエコ・シフトの新たな模索が始まりました。  


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