深呼吸  200848日)

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3月1日の夕方、Frauとともにウクライナに友だちを訪ねた帰り、キエフのボリスポール空港でミュンヘン行きの飛行機の出発を待っていました。出発が約3時間遅れるとチェックイン時に告げられていたので、出発ロビーで土産物屋のマトリョーシカなどをいじくっていました。

 

そろそろ時間かなと思って案内掲示板をみると、なぜかミュンヘン行きの表示が消えていて、出発ゲートがどこだかわかりません。案内所で訪ねてみると、ミュンヘン行きはキャンセルになった、パスコントロールを出て、荷物を受け取って、航空会社のカウンターへ行け、とのこと。(かなり前に放送したのに、まだここにいたのか)という顔でそう言います。仕方がなくその通りにすると、カウンターにはまだ長蛇の列ができており、その最後尾に並びます。カウンターで航空券の予約をやりなおし(翌日の夕方の便=24時間待ちになりました)、それから航空会社の係員がホテルを手配してくれるのを待ちます。

 

手続きが全部終わるまでに3時間くらいかかったのですが、他の数十人の旅客は誰も怒りもせず、いらだち(はあるのでしょうが、少なくともそれが顔に出すこと)もなく、こういったときのヨーロッパの人々の忍耐強さにはいつも興味をもってみています。それ以上に最も感心したのは、ホテルの手配を全部一人でしていた係員で、彼は、旅客から矢継ぎ早に飛んでくる質問を、相手に応じてロシア語、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語で、しかも笑顔で答えることができたのでした。よく見ていると、彼は、部屋から出てくるときに、深呼吸をして、自分の笑顔を確認してから旅客に応対しているようでした。冷静沈着であるべきときに、深呼吸をすることは、有効なのかもしれません。

 

 

 

チャリティ・ショップ (200733日)

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昨年3月から英国・ロンドンに滞在していましたが、今月下旬からはドイツに居を移すことになりました。ドイツでの研究は主にミュンヘン大学法制史研究所を拠点に行う一方、住むのはFrauの受け入れ先となるレーゲンスブルク大学のゲストハウスとなる予定です。レーゲンスブルクからミュンヘンまでは鉄道で約1時間半の距離です。

 

そのため2月に入ってからは、引っ越し荷物をロンドンからレーゲンスブルクにあてて、1箱づつ梱包しては郵便局に持ち込んでいました。全部で10個送ったので郵便局に10回行ったことになります。4回目くらいからは窓口で「今日のもドイツ宛てかい?」という反応になり、最後の10回目には郵便局に足を踏み入れるなり年配の男性局員が手をたたいて大喜び。今日は来るか来ないか賭けでもしていたのでしょうか。

 

それはともかく、荷物のうち家電製品(とは言っても電気スタンドと加湿器とPCプリンタの3つだけ)は、英国とドイツでアダプタの型が違うこともあり、ロンドンで処分してゆこうと考えたのですが、この国で「ものを処分する」方法にはいくつかの方法があることを知りました。広告を出して買い手を募る、フリーマーケットに出品して売る、チャリティ・ショップに提供するなどで、最後のチャリティ・ショップの存在や仕組みは、最近までよく知らなかったのですが、これは人々から無償で提供された古着や本やCDなどの物品を店頭で販売し、その収益をチャリティ団体の運営費用にあてるというもののようです。気づいてみると、「チャリティ・ショップ」という看板を掲げて、パーティドレスやぬいぐるみや食器などをウィンドウに並べている店が、街中にけっこう見つかります。

 

持ち込んだ店で聞いてみたところ、扱っている品物は衣類やCDが多いけれども、「テレビでもパソコンでも何でも歓迎だよ」とのことです。かくして私の使っていた電気スタンドと加湿器はノッティング・ヒル・ゲイトのトリニティ・ホスピス・チャリティ・ショップに、PCプリンタはケンジントン・チャーチ・ストリートのYMCAのチャリティ・ショップに並んでいます。

 

ロンドンに住んでいて気づいた(またおどろいた)ことは、このようなチャリティの仕組みが幅広く定着していることと、路上に座り込んでいる物乞いに小銭や食料(サンドイッチやピザなど)を与える人が、かなり多いことです。英国の福祉や慈善やまたそれに関わる法と行政について知り、学ぶには、英国人のこうした感覚を理解できないといけないだろうと、思っています。

 

 

 

カラオケの功罪 (2006112日)

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法学部では今年度から新カリキュラムが導入され、1年生向けに「法律リテラシー」と「教養基礎演習」という2つの演習科目(各2単位、必修)が導入されました。わたくしが担当しているのは「教養基礎演習」のほうで、これは十数名の1年生に対して、アカデミックな場において話す・聞く・議論する・読む・書くことのトレーニングを行うものです。

 

このクラスの準備のために文学部の齋藤孝教授(=直接面識はありませんが、ゲラの校正をしながら研究棟の廊下を歩いている姿をよく見かけます)の教育書やビジネス書を読んだりして、芸域を拡げつつあるのですが、この一環として学生諸君が会話している様子を時折観察していて、あることに気がつきました。

 

「会話ができない」のです。

 

ひとが複数集まって言葉を交わしていれば、それが「会話」であると思われるかもしれませんが、違います。会話とは、Aが発した話題について、Bが受け止め、Bはその話題を深めるべくAに質問し・あるいはAの発言について自分の意見を述べ、さらにそれを聞いていたCが、AとBの話を承けて、その話題についての自分の意見を述べ・あるいはAまたはBに質問する、というもので、いわば「話題」というボールを参加者がトータル・フットボールのごとく(古いかしらん)華麗にパス回しをして、ゴールする(=結論を出す・あるいは「下げ」をつける)はずのものです。

 

ところが、よく聞く学生諸君同士の会話は、Aが何か話す、BがAとは関係ない・自分の話したいことを話す、CもAとBとは関係ない・自分の話したいことを話す、といったもので、一見楽しく盛り上がっているように見えますが、そこには創造性も発展性もありません。

 

なぜああなってしまうのだろうと考えてみたところ、これは「カラオケ」の影響なのではないかと思えてきました。よくあるカラオケボックスの光景は、Aが歌っている。BCは手拍子したりして一見Aに歩調を合わせているように見えるが、実は次に歌う曲のことを考えていてAの歌は聴いていない。Aが歌い終わってBが歌い始めると、ACは手拍子したりして一見Bに歩調を合わせているように見えるが、実は次に歌う(云々、以下同じ)  と、カラオケボックスにおいては、実はコミュニケーションがほとんど存在していないし、またそれなしで済ますことができます。学生諸君同士の会話は、これと全く同じなのです。

 

歌うことが心身の健康に優れていることは否定しませんが、大学の演習室では、カラオケボックスでは必要とされないであろう、高度なパス交換能力が求められます。結果、1年生には、1対1のパス交換から教えることが必要になっています。

 

 

 

はじめてゼミ合宿にゆく(ただし自分のゼミ生と、ではなく)(2005106日)

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913日から14日にかけて12日で、長野県・富士見高原というところにゼミ合宿に行きました。ただし、自分のゼミ生とではなく、Frauのゼミ生4名とです。もちろんFrauが引率するので総勢6名です。

 

学生諸君がゼミで合宿する場合(ゼミでコンパするのも基本的には同じですが)、(a)彼ら・彼女らが自ら計画をたてて実行するというプロセスに関わることと、(b)終生の友になり得べきゼミ生同士が同じ時間と空間を共有すること自体が重要であると考えているので、いつ、どこに行くのか、行った先で何をするのか、などはすべて彼ら・彼女らに任せることにしたのですが、ただ実際に出かけてみると、スケジュールやプランが多少ぎこちなくても計画と実行を全て学生諸君に任せたのは正しかったと思う反面、彼ら・彼女らにゼミ合宿の意図(上記(b))をあらかじめ示しておくべきであったかなとも考えました。

 

わたくし自身は合宿所で少々暇をもて余してしまったので、合宿所のなかをうろうろしたり、神奈川大学が発行している広報誌などをあれこれ見ていたのですが、感心したことは、体育会の学生が非常に礼儀正しく、すれ違うときに必ず挨拶して通ることと、(彼らからすれば私が教員に見えたのかもしれませんが、)大学の学生向け広報誌が個別の学生や卒業生の活動・活躍ぶりを詳細にとりあげていて、(一つ覚えているのは、北部スペインの聖地サンチャゴ・コンポステラまで1000kmを徒歩で巡礼した学生の話)、同じ大学に属する学生諸君に自信と意欲を与えようとする意図がよく見られたことでした。

 

これらはともに大事なことで、学生としてあるべき態度の「形」を作ることは、何を学ぶ上でもまず必要なことです。また、学生としての基本的な能力・資質は、実はどの大学のどの学生でもそう変わりはなくて、ただ自分の定めた目標・目的に対してどれだけの自信と意欲があるかが、彼・彼女がどれだけ向上するかの分かれ目となっていて、大学の立場から言えば学生諸君にどれだけ自信と意欲を与えられるかが、その教育においてまず重要なことであるように思います。

 

 

 

Spare Change News 200547日)

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春休み中に資料調査のためにアメリカ・ボストンに行きました。マサチューセッツはイギリス人が最初に移民して定住した土地であり、アメリカのなかの(ヨーロッパ人からみれば)古都であり実際美しい街なのですが、日本の同規模の街と比べると物乞いの数がかなり多いところでもあります。

street beggingに関するボストン市の報告書は19世紀半ばから出されています。)

 

商店やコンビニの入り口にコーヒーの空カップを持って立ち、「Spare Change, Spare Change」(直訳すれば「釣銭くれ」)とがなっている人が多く、なかには3人くらいで店の入り口に立ちはだかる屈強の大男たちもいて、時に恐怖に感じることもあります。数年前に初めてボストンに行ったときには、彼らが何と言っているのかわからず、当時ハーバードにいたオオウチさんから、あれは「Spare Changeと言っているのだ」と聞いてなるほどと思ったのですが、その人数は当時よりも増えていた印象があります。

 

他方で、街角で身分証明書を付けて『Spare Change News』なる新聞を売っている人がいました。試しに1部(@1ドル)買って聞いてみると、ホームレスが許可証を受けて販売する新聞だそうで、一部売れると75セントが売り手の収入になるのだそうです。東京でも最近、新宿や銀座などで、『ビッグイシュー』という雑誌を売っている人をみかけますが、これも同じ仕組みで、1200円で販売して、1冊売れると売り手のホームレスに110円の収入になる仕組みになっています。こうした試みは、charity(慈善・救済)と言うよりも、むしろ、仕事と収入の機会を与えることで人々の自立と尊厳の回復をめざす仕組みであるのだと思います。

 

 

 

成績優秀者を招いて会食をする(200523日)

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インズ・オブ・コートにおける会食の意味については授業中にお話しし、これを昨年度に実行に移したのですが、今年度も22日と3日の両日にわたって学生諸君を「山の上ホテル」に招いて会食をしました。

 

ただし昨年度とはやや趣向が異なって、今回は成績優秀者の表彰を兼ねて、各クラス成績順に4名づつ招いて、それに私と私のFrauが加わりました。私のクラスでは、学年末に各クラスごとに成績優秀者名簿(Roll of honors)を公表し(Oh-o!Meiji上に掲載しています)、かつ最優秀の者には最優秀賞を与えていますが、これに加えて、専門科目(法史学西洋の昼・夜2クラス)については、担当教員夫妻との会食が賞として付いた、ということになります(諸君にとって私と会食するのがうれしいのかどうかよくわかりませんが)。

 

大学は学問を研究・教育する機関である以上、何よりも正課の学業で良い成績を挙げた学生を、まず褒めなければいけないという考え方にたっています。

 

 

 

就職活動をはじめる君に (2004114日)

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けさの授業のはじめにアマガサさんから、「先生が卒業後の進路を決めたのはいつですか」と聞かれましたが、それをきっかけに、就職活動をはじめようとする諸君に伝えておきたいことがいくつかあるのを思い出しました。

 

(1)「将来どういう進路に進みたいか」というやや抽象的な希望は、就職活動をはじめる時点では、「どの会社にエントリーするのか」、あるいは場合によっては、「どの国家試験を目指すのか」「どの大学院を受験するのか」といった、具体的な問題に変わります。さて、この時点でまず考えなければならないことは、「その仕事が自分自身に向いているのかどうか」ということです。諸君が職業に対してもっているイメージは、もしかすると当たっているかもしれませんが、ことによると事実とまったく異なっているかもしれません。ある職業に対するイメージを確かなものにするには、その仕事についている人と接してみる(=話を聞いてみる、話してみる)ことが、実は一番手っ取り早い手段です。そのために、大学では講演会・業界研究会・企業見学会などの行事を多数用意しています。(詳しくは就職課のページを見て下さい。)時間の許すかぎりで色々なものを覗いてみると良いでしょう。

 

(2)各企業は、おおよそこれからの時期(1012月)に、20063月卒業予定者(=現3年生)向けの新卒採用情報をホームページ上に公開しはじめます。そろそろ、関心のある業界・企業のホームページを見てみるとよいでしょう。ウェブ上の会社案内をみるだけでも、業界や企業のイメージ(もちろん、それはイメージの「一面」に過ぎないかもしれませんが)をつかむことができます。「リクナビ」や「毎日就職ナビ」といった就職情報サイトに登録するのも一案です。ただし聞いたところでは、企業が求人情報をこうした情報サイトに掲載するのも、けっこうな費用がかかるらしく、「○○ナビ」のうち一部にしか情報を載せていない(というより、載せられない)企業もあるようですので、「○○ナビ」は、複数のところに登録したほうが良いかもしれません。

 

(3)就職活動は、お見合いに似たところがあるように思います。諸君の側からみれば、就職活動は、相手に対する好意を伝えつつ、「この人と生活をともにして行けるのかな」という、いわば相手との相性をはかっているわけですが、企業の側からみても同じで、企業が諸君をみる目も、「この人と一緒に仕事をしたいか、どうか」という点が、採用するかどうかの分かれ目であるようです。企業が諸君に求めているものは、知性であったり、柔軟性であったり、体力であったり、好奇心であったり、行動力であったり、企業によってさまざまでしょうが、そういったものの一切を含めて、「相手と相性が合うかどうか」が最も重要な点であるように思います。その意味で、就職活動は、恋愛と同じく、移ろいやすい人の心次第のものですから、あまり結果に深刻にとらわれないほうが良いだろうと思います。

 

(4)場合によっては、自分の希望の業種・職種を選ぶことができないかもしれません。しかし、卒業してこれから社会に出ようとする諸君にとって、まず大事なことは、文字通り「社会に出る」、いいかえれば、「自分で働いて、自分で収入を得て、自分の生活を成り立たせる」ことです。さしあたりの仕事が、自分の希望ないし目標とかけはなれているように思えるものであっても、諸君が自分の希望と目標を見失わなければ、いつか自分の目標に近づくチャンスは巡ってきます。また、自分で働いて生活しているという事実そのものが、諸君に自信をもたらすはずです。

 

健闘を祈ります。

 

 

 

Alter BauNeuer Bau 2004930日)

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夏季休暇中に1週間、ドイツ・バイエルン州のレーゲンスブルクというところに出かけていました。今回はフラウの用事についていっただけなので、わたくしにとってはもっぱら物見遊山であったわけですが、気楽にあちこち見て回っていると、仕事で出かけたときには気づかないような発見をすることがあります。

 

ドイツの街並みというと、中世以来の石や漆喰でつくった建物ばかりだと思っていたのですが、実は市街地にも郊外にも、現代的なコンクリート造りの建物が多く見かけられました。フラウの説明では、古くからの建物をAlter Bau(旧建築)、現代的な建物をNeuer Bau(新建築)といって、ドイツ人の好みもさまざまで、若いうちは趣きのある(しかし段差が多かったりエレベータがなかったりエアコンが効きにくいなど不便な)Alter Bauに住んで、歳をとったら機能的で便利な(でもやや味気ない)Neuer Bauに住むという選択がよくある、とのことでした。

 

レーゲンスブルクは、ローマ時代に開かれ(ローマ軍の城塁が置かれた)12世紀頃から商業で発展した(帝国自由都市であった)非常に古い町なのだそうですが、大学は戦後つくられた新しいものらしく、校舎は典型的なコンクリート造りのNeuer Bauで、わたくしの母校である東北大学とあまりにそっくりな建物なので、一瞬どこにいるのかと錯覚を覚えるほどでした。レーゲンスブルク大学の校舎は、大学のウェブサイトに写真があります。

 

大学における学問の修養のためには、校舎は実は本質的に重要なもので、校舎のありかた一つで学問をつきつめようとする雰囲気は、生まれもするし壊れもします。また、大学に対する帰属意識が生まれるかどうかも、大学に属する学友たちや教職員に対して共感と信頼がもてるか否かにかかっているのと同時に、大学の建物ないし「空間」そのものに好意が寄せられるか否かにもかかっているように思えます。

 

レーゲンスブルク大学

http://www.uni-regensburg.de/

 

 

 

コンプレイン(2004716日)

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日本語では「不平・苦情を言う」という意味で「クレームをつける」と言うことがありますが、これにあたる英語は「claim(=権利を主張する)」のこともあるし、「complain(=いやな感じ・不満な感じを表明する)」のこともあります。

 

先日、わたくしはヒルトンホテルの喫茶室でフラウと待ち合わせをしていました。わたくしが一人で席にすわっていると、たぶん大学生くらいの男女が、ウェイターに案内されてやってきて、わたくしの隣りの席にすわりました。そのウェイターは彼らのテーブルにメニューを置いて、他の客の接客のためにいったん席を離れました。数分後、フラウがウェイターに案内されてわたくしの席にやってきました。ウェイターはその場でフラウから注文をとると、隣りの席の件の男女のテーブルにメニューが置いたままであるのに気づいて、彼らの注文を取り始めたのですが、女のほうが、ウェイターにかなり強く「コンプレイン」しているようです。どうやら、席についてから何分もたつのに注文を取りに来ないこと、後からきたフラウの注文を先にとったことが、気に入らなかったようです。

 

彼女が不愉快になった理由はわからないではないのですが(お洒落して彼氏と一流ホテルでデートなのに、お嬢様扱いしてもらえない、まして他の客より軽く見られた(と感じた))、どんなに高級なレストランやホテルでも、人のすることに完璧なことはないし、このばあい、(わたくしは西洋法制史の教師なので、)ヨーロッパ的な価値基準によって立つならば、黙って待っていないで自分でウェイターを呼ぶ、というのが正しい行動なのではないか、と思います。

 

ただしこういうときにウェイターを呼ぶのは、(同様にヨーロッパ的な価値基準によるならば)男の務めです。上の例で、実はわたくしがいちばん「どうしようもない」と思ったのは、彼女がみるみる不機嫌になるのにも気づかずに、ぼうっと待ち惚けていた、男のほうです。男子学生諸君は、こうした過ちを犯さないように。

 

 

 

選挙の意味(200477日)

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東京はこのところ猛暑続きですね。きょうは所用で日中に外出しましたが、選挙戦さなかのせいかあちこちで選挙街宣車を見かけました。実はわたくしはもう不在者投票(いまは期日前投票というそうですね)をしてしまったので、選挙運動の声や街頭演説を耳にしても、一歩距離をおいて冷静に観察することができます。

 

わたくしの授業で議会政治や権力分立制について扱うときには、わたくしは、「われわれの社会に権力分立制というのは本当に必要なものなのか?三権が均衡であるのが本当にあるべき姿なのか?」ということを学生諸君に問います。答はめいめい考えてもらいたいのですが、民主制にあって選挙とは、国民の権利であるとともに、その結果を国民が《腹を括って》引き受けるということでもあるはずです。その意味で学生諸君に投票に行け、とも、行くな、ともわたくしは言いませんが、結果に対する責任は誰もが負わなければならないものだと考えます。

 

 

 

鍵を忘れた(2004624日)

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この4月からフラウと同居することになり、引越しなどでしばらくばたばたしていました。お互いの仕事の都合で結婚いらいずっと別居していましたので、じつは一緒に暮らすのはこれが初めてのことです。

 

けさ出勤してきて仕事場のドアを開けようとして、鍵を家に忘れてきたことに気づきました。自宅の鍵と大学の鍵は同じキーホルダーに入れていて、一人暮らしで家を出るときには必ず自分で施錠していたので、忘れることはなかったのですが、他に家族がいると家の鍵を忘れて出かけることがあるということを、いまさらながら思い出しました。

 

ようやく二人暮らしに慣れてきた、ということにしておきましょう。