●幕末の貨幣価値

  幕末は、政情不安ともあいまって、貨幣価値が激しく変動した時代であった。

  以下のデータは、本学大学院前期1年(2001年現在)の山田紘一郎氏が演習で
  発表したものを、同氏の好意により転載するものである。

 1)基礎データ

   池田弥三郎編『江戸と上方』(至文堂、1965)による

年代 一両 一分 一朱 一文
文化元年(1804) 14200 3550 887.5 1.42
   5年 10000 2500 625 1
文政元年(1818) 13900 3475 868.75 1.39
   8年 9800 2450 612.5 1
天保2年(1831) 10000 2500 625 1
   4年 6700 1672 418.2 0.67
   8年 3700 925 231.12 39
   9年 6000 1250 312.5 0.6
  14年 10000 2500 625 1
弘化2年(1845) 7700 1925 481.25 0.77
嘉永2年(1849) 8300 2075 508.75 0.83
   4年 5900 1475 368.75 0.59
安政2年(1855) 9200 2300 475 0.92
   5年 6300 1575 392.25 0.63
万延元年(1860) 4000 1000 250 0.4
文久2年(1863) 4000 1000 250 0.4
元治元年(1864) 2600 675 168.55 0.26
慶應元年(1865) 1600 400 100 0.16
   2年 600 150 37.5 0.06
   3年 700 175 43.75 0.07

                       (単位:円)

   1両は4分、1分は4朱、1朱は625文で計算
   1両は銀60匁、銀1匁は、165文


 2)基礎データの問題点

   江戸時代の貨幣価値を算出する方法は、いろいろと考えうるが、最も一
   般的な方法は、米価による換算である。つまり、例えば米一升の価格を
   比較して、換算するわけである。

   基礎データも、その方法によって算出したものである。

   ところが、基礎データは、1965年における米価をもとにした貨幣価値であ
   るので、現在の貨幣価値とは、実感としてややずれたものとなる。

   そこで、『日本長期統計総覧』および『日本統計年鑑』によって、米の価
   格の変動を調べると、1965年から1999年で、米の価格は約3.72倍
   になっていることがわかる。

   それによって、1)の基礎データを改変すると以下のようになる

 3)改変データ

   山田紘一郎氏の改変データによる

年代 一両 一分 一朱 一文
文化元年(1804) 52824 13206 3310.5 5.28
   5年 37200 9300 2325 3.72
文政元年(1818) 51708 12927 3231.75 5.17
   8年 36456 9114 2278.5 3.65
天保2年(1831) 37200 9300 2325 3.72
   4年 24924 6220 1555.41 2.49
   8年 13764 3441 859.77 1.45
   9年 22320 4650 1162.5 2.23
  14年 37200 9300 2325 3.72
弘化2年(1845) 28644 7161 1790.25 2.86
嘉永2年(1849) 30876 7719 1892.55 3.09
   4年 21948 5487 1371.75 2.19
安政2年(1855) 34224 8556 1767 3.42
   5年 23436 5859 1459.17 2.34
万延元年(1860) 14880 3720 930 1.49
文久2年(1863) 14880 3720 930 1.19
元治元年(1864) 9672 2511 627.01 0.97
慶應元年(1865) 5952 1488 372 0.6
   2年 2232 558 139.5 0.22
   3年 2604 651 162.75 0.26

                        (単位:円)


4)つけたり

  もと、このデータは、岡本起泉作『沢村田之助曙草紙』(明治13年1880)
  を大学院の演習で講読していた際、安政6年(1856)に、田之助に懸想
  をした上野の観正院が、田之助の好きな万年青を300両で買って送って
  気を引こうとしたくだりで、300両とは、現在の貨幣感覚ではどれほどにな
  るのだろうか、という疑問に山田氏が調べてきてくれたものである。安政
  5年のデータでは、1両が23436円であるから、300両は7030800円
  ということになる。役者一人のために、700万円をぽんと出すのであるか
  ら、実話だとすれば、すごい話である。

  なお、山田氏のさらなる調査によると、『朝日新聞100年の記事に見る
  奇談珍談巷談』(1979・5)では、明治15年ごろ、万年青の売買が大流行し
  たという記事を紹介しているということである。『沢村田之助曙草紙』のエ
  ピソードが実話なのかどうか充分な裏付けがないのであるが(ご存知のか
  たがいらしたなら、ぜひ掲示板等に書き込んで、教えて頂きたい)、比較
  的近い時期に流行していたことは間違いないようである。あるいは、その
  ような当代の流行が、巧みに取入れられているのかもしれない。

  また、さらに、本学大学院の朝岡浩史氏(前期1年)の調査によれば、槌田
  満文『明治大正の新語・流行語』(角川書店、1983.6)に、「万年青」の項目
  があり、明治期には万年青の大流行が、5年、13年、31年、40年の4次
  にわたって起き、それと相応ずるかのように、鴎外の「雁」(明治44年〜大
  正4年、時代の設定は明治13年)、『金色夜叉』(明治30年)、漱石の『門』
  (明治43年)等に、小道具として用いられている、ということが指摘されてい
  る、という。同書によれば、明治13年の投機的な万年青流行が最もはなは
  だしかったという。明治13年は、まさに『曙草紙』の出版年である。
  
  また、本学大学院の太田翼氏(前期1年)からの教示による、『風俗画報』の
  第1号(1889.2)の20〜21頁にある「万年青」に関する記述によれば、寛永
  年中は菊花、元禄には椿、寛政には橘、文化文政には朝顔・蘭などが流行
  し、天保のころから、万年青が流行したという。

  (2001.10.12記、2001.10.15補訂、2001.10.19再補訂、2002.1.15増補)