『技官』に注目して公共事業を考える

   西川伸一  * 執筆日 2002年4月3日/朝日新聞「視点」に投稿→不採用 

 『官僚技官』(五月書房)という本を2月末に刊行した。その前後から、「技官」に迫った記事をよく見かけるようになった。「技官」とは要するに、理科系出身の技術畑の官僚たちのことである。

 本紙では、昨年10月29日から5回にわたって「土建国家の終章 技官の転落」が連載された。これは、兵庫県芦屋市の助役に出向した旧建設キャリア技官が、昨年はじめに発覚した同市汚職事件で逮捕されるまでの「転落」の経緯を描いたものである。毎日新聞は、毎週月曜日掲載の「理系白書」において、霞が関における文系優位・技官冷遇を取り上げた(3月25日)。そして、読売新聞は横浜市長選で旧建設キャリア技官出身の現職が破れたことにつき、「技官型首長」の役割に疑問を投げかけた(4月2日)。また、3月下旬には新藤宗幸著『技術官僚』(岩波新書)が出されている。

 キャリア官僚といえば、東大法学部卒の事務官をすぐに連想する。ところが、実は数の上では技官の方が多数派である。96年度から5年間の省庁別採用状況を集計すると、防衛庁および外務省をのぞく1府10省庁で、キャリア事務官は1049名に対して、キャリア技官は1560名。「技官率」は約60%となる。とりわけ、国土交通省および農水省にはキャリア技官が多い。00年度では、国交省で事務官33名に対して技官74名、農水省に至っては事務官11名に対して技官114名が高級公務員の卵として入省した。

 問題はその後の処遇にある。キャリア官僚が2年周期で異動を繰り返して出世の階段をかけ昇っていくことは広く知られているが、これは事務官に限っての話。技官の昇進は大きく遅れる。1939年に内務省入りした後藤田正晴氏は「当時の役所では、技術系はかなり軽視されていました。技術系は7、8年から10年は出世が遅れる」(『情と理』上)と回想している。これはいまもなお改善されていない。

 技官は出世が遅いだけでなく、その上限も制限されている。昨年5月22日の参院予算委員会での保守党・入澤肇氏の指摘によれば、審議官級ポストに事務官は186名いるが、技官は44名でしかない。

 こうした技官差別に対して、技官たちは「技官王国」を築くことで対抗している。彼らは「河川屋」「道路屋」といったスペシャリストとして育成される。落選した高秀前横浜市長は「河川屋」であった。そして、それぞれのタコツボが予算と人事を事実上牛耳り、事務官や他のタコツボからの口出しを許さないのだ。公共事業分野の予算配分シェアの硬直化の一因である。

 「技官王国」は地方をも支配する。昨年10月時点で、47都道府県のうち28府県の土木部長ポストは、旧建設技官の出向者が占めている。旧建設省はこのほか、住宅課長、河川課長ポストや各市の建設関連ポストなどにも技官を多く送り込んできた。開発優先の公共事業を推進してきたキーマンは、各自治体に出向した技官といっても過言ではあるまい。そのツケは膨大な借金として国民にのしかかる。

 公共事業のあり方は財政構造改革とあいまって、時代の大きなテーマである。そこに「技官」という観点を持ち込むことで、問題の所在はより明確になると考える。


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