「一票の格差が世襲議員を構造化する    ──福田博・元最高裁判事の近著に寄せて」

西川伸一『プランB』第22号(2009年8月)

はじめに
 衆院総選挙が近づいている。この拙稿が刊行されるときは、どのような情勢になっていることだろうか。個人的にも今回の総選挙は興味津々である。わたしの大学院研究室の学生が、あろうことか民主党公認で立候補するからである。石川2区で森喜朗元首相との一騎打ちとなる。
 さて、国政選挙となれば、必ずといってよいほど選挙後に、選挙無効請求事件が提訴される。いわゆる定数訴訟である。当該選挙当時の選挙区間の1票の格差が、法の下の平等を定めた憲法14条1項に違反するというものだ。
 たとえば、総務省は2008年12月25日に、同年9月2日現在の有権者数を発表した。それによれば、衆院300小選挙区の1票の格差は最大で2.255倍であった。有権者数が最も多い千葉4区は48万3702人であるのに対して、最小の高知3区は21万4484人にすぎない。すなわち、千葉4区の有権者からみれば、高知3区ではその半分以下の有権者数で一人の衆院議員を出しているのである。言い換えれば、千葉4区の1票は高知3区の1票の半分以下の価値しかないことになる。
 小選挙区の区割り改定案をつくって首相に勧告するのが、衆院選挙区画定審議会である。同審議会設置法は、小選挙区の人口格差は2倍未満を基本とすると定めている。しかし、このように高知3区の2倍を超える有権者を抱える小選挙区は38にも達している。参院選挙区では1票の格差はもっと著しい。
 一方で、今回の総選挙を控えて、民主党がしきりに争点化をもくろんだのが、国会議員の世襲制限である。同じ選挙区の議席を親から子へと「相続」する事例は確かに目に余る。本人の責任ではない「生まれ」によって公職への道が閉ざされることになれば、それは封建社会への逆戻りを意味する。
 実は、世襲議員がはびこる現状を構造的につくりだしてきた一因は、1票の格差の抜本的是正を怠ってきたことにあるのだ。わたしはうかつにも、この両者に因果関係があることに気づかなかった。福田博元最高裁判事の近著『世襲政治家がなぜ生まれるのか?』を読んで、まさに目から鱗が落ちる思いがした。福田は格差を放置してきた政治の不作為ばかりか、それを結果的に正当化してきた最高裁判決をも厳しく指弾する。

1 最高裁判決と反対意見
 福田は最高裁判事として、定数訴訟5件の大法廷判決に携わった。福田は外交官出身であって、職業裁判官としてのキャリアはない。最高裁長官と最高裁判事14人のあわせて15人の最高裁裁判官の内訳は、職業裁判官出身者6人、弁護士出身者4人、その他の「学識経験者」5人と事実上ほぼ決まっている。
 彼ら15人は5人ずつ三つの小法廷に分属する。上告など最高裁への訴えは、いずれかの小法廷に振り分けられる。ただ、その訴えに違憲判断や判例変更の可能性があるなどの場合は、15人全員で構成される大法廷に回される。これを大法廷回付という。定数訴訟は慣例的に必ず大法廷で審理される。
 高裁以下の下級裁判所の合議法廷(通常3人で構成)には合議の秘密があるため、二対一で判断が分かれた場合も、少数意見は明らかにされない。これに対して最高裁では大法廷、小法廷を問わず、意見が分かれた場合は多数意見、反対意見などが顕名で明らかにされる。だれがどの判断に与したかたちどころにわかるのである。福田最高裁判事は5件の定数訴訟で、いずれも違憲とする反対意見を表明した。
 この場合、多数意見が依拠するのは「国会の立法裁量権」である。1票の格差が衆院小選挙区で3倍未満、参院選挙区で6倍未満であれば、「国会の立法裁量権の限界を超えるものとはいえず」、合憲とみなされる。しかし、3倍、6倍という数字に合理的根拠はきわめて乏しい。だからこそ、「裁量」に逃げ込むのである。

2 アメリカの「内からの変革」
 周知のように、アメリカ大統領選挙は有権者が大統領選挙人を選ぶ間接選挙である。大統領選挙人は州ごとに、それぞれ上院議員と下院議員の合計数が割り当てられる。上院議員は人口にかかわらず各州2名であり、下院議員は人口比で各州の議員数が決められている。その結果、全米一の人口を抱えるカリフォルニア州の大統領選挙人は55名、最小のワイオミング州は3名である。連邦制をとるアメリカでは、上院議員は各州の「大使」的存在であり、一方で下院議員は厳格な格差是正システムの下に置かれている。これを福田は「内からの変革」とよぶ。
 具体的には、平均から4%の乖離があれば必ず是正される慣行である。すなわち、総有権者数を選挙区の総数で割って1選挙区あたりの平均の有権者総数を算出する。そして、現実の選挙区の有権者数がその平均値から4%離れると是正措置が行われるのである。
 平均から4%の乖離は、日本で一般的な1票の格差という尺度に換算すると1.08倍にすぎない。この徹底ぶりに仰天するのは、わたしたちが二つの選挙区を比較して「較差」をはかる相対的平等論に毒されている証拠である。福田は「投票価値の平等というのは、本来「絶対的平等の概念」です」と述べる。そこから得られる格差是正の原則は、「絶対的な平均値からの乖離」しかありえない。
 ところが、日本ではそれを相対的な問題に置き換え、たとえば格差3倍は違憲だが、2倍未満ならばよいと安易に考えがちである。この相対論の横行が日本を「二流の民主主義国」におとしめてきた。後述するように、その論理的帰結が世襲議員の跋扈である。

3 「5分の3妥協」と黒人差別の定着
 もちろん、アメリカとてはじめからこのような厳格な是正措置をとっていたわけではない。むしろ、奴隷制度をもっていたがゆえのマイナスからのスタートだった。
 建国当初、大統領選挙人の数を人口比で州ごとに配分するやり方が提案されると、南部の州は人口が少ないためいずれも反対した。そこで「5分の3妥協」がはかられた。なんと奴隷5人所有で3人の人口とみなして、州の人口に算入したのである。
 こうして南部の州の「人口」が水ぶくれし、南部に割り当てられる大統領選挙人の数も人為的に増やされた。その結果、初代大統領のジョージ・ワシントンから第12代大統領のザカリー・テイラー(就任年は1849年)まで、3人をのぞいてすべて南部出身者が大統領に就いたのである。この時代は黒人差別が制度化された時代に重なる。
 その後ヨーロッパから北部への移民が増えて、「5分の3妥協」があっても北部出身者が大統領の座を占めるようになっていく。そしてリンカーンの登場と南北戦争を経て、奴隷制度は廃止に向かう。とはいえ、ひとたび社会に定着した黒人差別は容易には根絶されず、その後もアメリカ社会の恥部であり続けた。
 すなわち、因果関係を圧縮すれば、「5分の3妥協」という投票価値の歪曲が黒人差別を定着させたといえる。翻って、1票の格差という投票価値の歪曲は、日本の民主主義にいかなる負の遺産をもたらしているのか。

4 「一県一人別枠制」の真実
 参院選挙区の1票の格差は、この選挙が都道府県を選挙区としているところから、その原因は明らかである。都道府県間の人口格差が著しい以上、抜本的な是正は都道府県を選挙区割りの基準にしないこと以外にあるまい。
 一方、衆院小選挙区の場合、先の衆院選挙区画定審議会が区割りの基本とした格差2倍未満さえ、なぜ達成されてこなかったのであろうか。その元凶は「一県一人別枠制」にある。
 300の小選挙区定数を各都道府県の有権者数に応じて単純に割り振るのではなく、各都道府県に1議席をまず「基礎配分」する。そして、残る253議席を有権者得数に従って各都道府県に配分したのである。福田はこの考案者は竹下登であると「又聞き」したという。加えて、「そうしないと竹下氏の地元の島根県が、将来衆議院議員を一人しか出せないことになりかねないのを防ぐためであった」と狙いを説明している。
 つまり過疎県に「配慮」したわけである。並立制導入以前から、過疎県の過剰代表は批判されていた。それを切り返してきたのが、「都市部と地方の経済格差是正」という大義名分であった。貧しい過疎県は国政により大きな声を反映させ、都市部との経済格差を解消する政策を呼び込む必要がある。これが投票価値の不平等を正当化する錦の御旗である。
 とはいえ、こうした過疎県優遇措置は、投票価値の不平等を棚上げできるほどの顕著な効果を上げてきたのだろうか。民主党の岩國哲人衆院議員は2008年3月19日に、「国民の所得格差に関する質問主意書」を福田内閣に提出している。なお、岩國は元島根県出雲市長である。
 岩國はそこで「四十七都道府県別の都道府県民所得額の差異は、直近十年間で拡大しているか」と質した。福田首相名の答弁書は、「一人当たり県民所得における都道府県間のばらつきを変動係数でみると、平成八年度の十四・一八パーセントから平成十七年度には十六・三六パーセントとなり、二・一八ポイント拡大している」と格差拡大を認めている。
 経済格差是正という政策目的が投票価値の不平等を肯定する論理は、破綻しているといわざるをえない。確かに、国会議員が次々に公共事業を地元に誘致すれば、それを受注する業者は潤うかもしれない。しかし、採算の取れないハコモノ建設のツケは、地元住民さらには彼らの子孫にのしかかることになる。
 「一県一人別枠制」の真実は過疎県の過剰代表の温存にすぎず、その不平等を合理化できる根拠はみあたらない。しかるに、最高裁は1999年11月10日の大法廷判決で、「一県一人別枠制」を含む1996年総選挙時の小選挙区最大格差2.137倍を合憲とした。

5 世襲議員を生み出す構造
 日本の政治家の序列は当選回数で決まる。上院議員当選1回だけの国政キャリアで一気に大統領に上りつめたオバマのような事例は、日本政治では起こりえない。
 衆院議員で当選5〜6回が入閣の目安となる。これを入閣適齢期という。その後も当選回数を重ね、大臣や党の要職ポストを歴任した者が首相に収まるのである。そして、当選回数を重ねる決め手が、強固な個人後援会組織にほかならない。となれば、若いうちにこの安定した地盤を「相続」した世襲議員は当選回数を稼げるので、圧倒的に有利である。また、資金管理団体の相続に税金はかからないというから、世襲議員は最初から潤沢な資金力に恵まれている。
 これらの不平等に加えて、世襲に縁がない「堅気の人」が立候補するには、日本の選挙はリスクが大きすぎる。公職選挙法の規定により、公務員が立候補するには、その前に公務員を辞職しなければならない。民間企業に勤務している人でも在職のまま立候補するのは困難だろう。しかも当選すればよいが、落選したからといって元の職場に復職することはできない。つまり、落選すればただの人どころか、失業者に転落するのである。それでもあえて選挙に打って出ようという人は限られてしまう。
 こうした目に見えない参入障壁にも守られて、世襲議員は当選を繰り返していく。気がつけば、いまや自民党所属衆院議員の35%(106人)は世襲議員である。そして、麻生内閣発足時でみれば18人の内閣メンバーのうち11人が世襲議員であった。実に61%に達する。自民党4役では古賀誠選対委員長を除く3人が世襲である。民主党の衆院議員の世襲率は13%(15人)となっている。
 個人後援会という世襲議員の厚い支持基盤を切り崩す「内からの変革」こそ、1票の価値の公平を目指した選挙区割りの大胆な見直しであるはずだ。だが、最高裁は「一県一人別枠制」をはじめ国会に広い裁量権を認めてきた。投票価値の歪曲された選挙で当選してきた議員たちに、それを是正する区割り法をつくらせるのは喜劇であろう。
 その結果、かつての中選挙区制時代や参院選挙区では、○増×減といって、格差が最も著しい選挙区をペアにして定数を増減させる弥縫策に終始してきた。現行の小選挙区制においても、都道府県ごとの定数を○増×減することで「較差」是正をしている。2002年の5増5減では神奈川、千葉など5県で小選挙区を一つ増やし、山形、鳥取など5道県で一つ減らした。
 すでに述べたとおり、アメリカでは「5分の3妥協」による歪曲された投票価値が黒人差別を定着させた。日本では、投票価値の平等を無視した選挙区割りの固定化が地盤を世襲させ、それが構造的に世襲議員を生み出している。福田はこれを「特別公務員の世代を超えた天下り的現象」と形容する。
「国勢調査のたびに選挙区割りがきちんと引き直されれば、既得権的に地位を保持し続ける議員またはその後継ぎが、ある程度は自然に淘汰され、結果として、あらゆる事態において国の柔軟性を保つ政策を選択する能力の高い議員が選出される可能性が大きくなる。」(福田、78頁)
 いま直面しているのはこれと逆の現象であろう。既得権の維持に腐心する硬直した政策しか発想できない政治の劣化が憂慮される。

6 森清衆院議員の「正論」
 国会の不作為をあげつらってきたが、国会の名誉のために定数問題に熱心だった衆院議員を一人紹介しておく。タカ派で鳴らした森清(自民党)である。森は1976年に旧愛媛2区で初当選した後、一度の落選をはさんで通算4期衆院議員をつとめ、1990年に政界を引退した(2008年死去)。
 森は在職中に、定数問題の国会論戦や自身の論文をまとめた著書を刊行している。その序文には、「衆議院の構成に関する定数問題は、国家の基本問題の重要な柱であり、この問題に取り組んできた」とある。同著の中で、森が注目しているのは1889年の第1回衆院選での議員定数配分の方針である。それは完全な人口平等按分方式で行われたため、1票の格差は1.38倍にすぎなかった。
 それを受けて森は、「私は、白紙で定数配分する際は、完全平等方式即ち、明治以来一貫して行ってきた方式が民主主義の要請する国民代表制に適合する方式であり、最高裁判示のように「面積の大小、人口の密度、住民構成」等を考慮することは、この国民代表制の原理に背反し、法律的にいえば違憲であると考える」(森、351頁)と述べる。まさに「正論」であろう。福田のいう投票価値の「絶対的平等の概念」と一致する。
 「一県一人別枠制」についても、森は「正論」を押さえている。中選挙区制下の1票の格差は人口変動の結果であった。当初の区割りは1票の価値の平等を目指して行われたのである。ところが、「一県一人別枠制」は1票の価値の不平等を前提にしている。森はこれを「違憲であると断定する。」
 しかし現職議員としての限界か、森は一度定着した選挙区は「みだりに変更すべきではない」とする。「現在の選挙区は、歴史的、沿革的にも、地勢的にも、人情風俗においても、社会的・経済的・文化的、行政的にも一体性のある区域」であることを理由として挙げている。そこから導き出される定数是正案は、「人口隔差何倍以内」という相対的平等論にならざるをえない。「正論」からは逸脱してしまうのだ。

7 「闘う司法」への変身を
 ところで、ミスター司法行政とよばれた矢口洪一・元最高裁長官(長官在任:1985年11月〜1990年2月)は、2002年に実施されたインタビューで、次のように述べている。
「今後の裁判所の行き方は、司法行政みたいなものでやるのではなくて、裁判で、はっきりと「駄目なものは駄目」と言うことだと思う」「闘う司法でなければ駄目です。それが、今後の司法だと思う。」(矢口、279頁)
 このままのいわば「弱腰司法」では国民の司法への信頼を損ないかねないという危機意識が、矢口にはあったのだろう。その典型が最高裁の定数訴訟判決にみられる。福田の最高裁在職中の定数訴訟は5件とも合憲判決であった。さかのぼれば、過去に2度最高裁大法廷は違憲を言い渡したことはある。1976年4月と1985年7月のいずれも衆院総選挙の定数について出された判決である。ただし、両判決とも「事情判決」により選挙自体は有効とした。
 事情判決とは、取り消すと著しく公益を害する事情を考慮して、請求(この場合は選挙無効)を棄却する判決をいう。要するに既成事実への屈服である。確かに、選挙無効を宣言すれば国会は蜂の巣をつついたような騒ぎになろう。とはいえこの伝家の宝刀を最高裁が抜けば、最高裁に寄せる国民の信頼は高まり、弥縫策でお茶を濁す国会の最高裁をなめきる姿勢も改まったに違いない。
 裁判所には謙抑の美学があるという。違憲判決を乱発すれば、法律は信頼を失いやがて法治国家は崩壊する。そうならないために、国会の立法権を尊重して控え目な存在に徹することが、裁判所のあるべき姿と考えられてきた。
 しかし、このままでは投票価値の不平等が根本的に改められることはあるまい。「事情判決を重ねると司法は国民の信頼を失っていく」と元最高裁長官の岡原昌男が述べたのは、すでに1985年6月のことであった。「闘う司法」へ変身する時機はとっくに来ているのである。

7 むすびにかえて
 わたしたちは民主主義の根幹にかかわる甚大な権利侵害に慣れきってしまっている。投票価値の不平等を放置する現行制度によって、国会に民意が正しく反映されていないことになんの痛痒も感じない。この不感症に「病識」をもつべきなのだ。同時に、この不感症を助長してきた最高裁の姿勢を、厳しく問い直さなければならない。国民審査はそのためにある。イラン大統領選の開票不正が大きく報じられたが、日本ではきわめて巧妙に民意をねじ曲げる「選挙不正」が、見過ごされてきたのではないのか。
 「絶対的な平均値からの乖離」を基準に1票の格差を厳格に是正するシステムが確立されれば、「内からの変革」が日本でも実現されよう。これは少しおおげさにいえば、制度化された革命である。選挙区割りが硬直化しないことで、既得権が淘汰され新陳代謝を促進させるシステムがビルトインされる。そこに、むずかしい革命のイデオロギーは不要である。都道府県、市区町村といった行政単位による選挙区割りにこだわらない発想の転換さえあればいい。
 日本国憲法43条1項は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と謳っている。国会議員は全国民の代表なのだから。
 
                          (文中、敬称略)
 参考文献
長嶺超輝(2007)『サイコーですか?最高裁!』光文社。
野中尚人(2008)『自民党政治の終わり』ちくま新書。
福田博(2009)『世襲政治家がなぜ生まれるのか?』日経BP社。
森清(1986)『衆議院定数問題論集』菜根出版。
──(2003)「違憲違法の衆院の定数配分」『正論』378号。
矢口洪一(2004)『矢口洪一オーラル・ヒストリー』政策研究大学院大学。
山本祐司(1997)『最高裁物語(下)』講談社+α文庫。
 参考URL
NHK解説委員室ブログ「時論公論「世襲議員制限は必要か」」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/19447.html(2009年6月27日閲覧)


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